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「勉強」と「探求」の違いって?【CompathレターVol.1】

皆さん、お疲れ様です。Compathレター担当のがみです。
CompathレターVol.1をお届けします。

『Compathレター』は、皆さんの忙しい日常の中に、ふと足を止めて自分や社会について少し考える時間を提供するニュースレターです。日々流れる様々なニュースの中から厳選し、そのニュースから思い浮かぶ小さな“問い”も添えてお届けします。

記念すべきVol.1でお届けするニュースは、去年の8月に『Forbes』で取り上げられた、とある大学准教授の講演内容をお届けします。
そこで語られていたのは、「勉強」と「探求」の違いについて。
なんとなく違いはあるように思えるけど、具体的にどんな違いがあるのかと言われると中々良くわからないこの二つの言葉に対する准教授の見解から、色々掘り下げて考えることができそうだなと思ってチョイスしました。

是非、読んで、一緒に考えてみてください。

ニュース紹介 ~「勉強」と「探求」の違いって?~

岐阜県にある公立不登校特例校、草潤中学校。そこの開校時にアドバイザーを務めた京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之さんが、生徒に向けて行った講演の内容が『Forbes』で掲載されていました。

冒頭で述べたとおり、この講演では「勉強」と「探求」の違いについての非常に簡潔で分かりやすい説明が行われています。曰く、「勉強」とは、「わからないハテナをわかるようにする。すなわち、わからないことをなくすこと」であり、「探求」とは、「わからないハテナがあったら、ほかにもハテナが連鎖するように増えていくこと」。また、「探求」には二つのコツがあり、それは「とことん集めること」と「とことん続けること」であるというのです。うーん、なるほど。

その例として挙げられていたのが、京都大学の益田玲爾先生という水産学者による、東日本大震災後の気仙沼の海に関する調査です。益田先生は、震災があった2か月後から2か月に1回、気仙沼の海の同じ場所に潜って魚の数を数える、ということを繰り返し行ったそう。当初の海中は津波で流されたもので埋め尽くされていたのですが、季節が過ぎるうちに、クラゲが戻ってきて、その次にはハゼなどの大型の魚類、最終的には水が綺麗でなければ生息が確認できない、ナマコやアワビが戻ってきたみたいなんです。そうして5年後に、「東日本大震災の海がようやく元に戻りつつあること」を発見したのです。

益田先生の研究アプローチは「ただ、潜ってとことん魚など海の生き物を数える」というとてもシンプルな方法だけど、その数と回数、時間が尋常でなかったことがこの発見につながった、と塩瀬さんは付け加えます。必ずしもすごい道具を使ってすごいことを思いつくことが「探求」ではなく、とにかく集め、とにかく続けることが価値を生んで、それが「探求」につながっていく。それが分かる最適な事例といえるかもしれません。

最後に塩瀬さんは、「探求」によって得られる力として「やってみようとする力」、「わからないことに耐える力」を挙げており、「分からないことに対する敬意」を持つことが重要であると言います。分からないことは最初は怖いかもしれないけれど、探し続けていくと、わからないことは面白い、ということに気づくことができる。わからないこと、知らないことを楽しめるようになるためにも、何か興味のあることから「探求」していってほしい、というメッセージで締めくくられていました。

インターネットの検索性が高まって、調べればすぐに分かることが当たり前に感じられる現代。その反動から、調べても分からない問いに対する耐性をどんどん失っているように思える私たちにとって、「探求」してみることの価値は非常に大きそうだな、自分も日々の中で「探求」をしていきたいな、と考えさせられる記事でした。

出典:Forbes JAPAN「「ありのままの君を待ってくれる」不登校特例中で京大准教授が生徒たちに話したこと」


このニュースを読んで考えてみたい「問い」

いかがでしたでしょうか。
個人的には、「探求」と「勉強」という言葉の違いが腑に落ちて理解できる内容だったし、「探求」という言葉に対して、何やら崇高なイメージを持ちすぎてしまっていたのだなと思う内容でした。

是非このニュースを読んで、皆さんがどう感じたのか、少し時間を取って掘り下げてください。
以下に、その考えのサポートになればと思い、私が思う掘り下げたい”問い”の候補を挙げてみたいと思います。

Q1. この定義に基づいたときに、「探求」ということを過去やったことはあっただろうか?
Q2. 過去自分が探求できたことと探求できなかったことって、どんな違いがあるんだろうか? 自分はどんなことを「探求」しがちなのだろうか?
Q3. 「とことんやる」ことが「探求」ということだけど、どこまでやれば「とことんやった」ことになるんだろうか?
Q4. 今後、「探求」したいと思えるようなことってなんだろうか?

続いて、私自身がこのニュースを読んで考えた事をシェアしたいと思います。

このニュースを読んで最初に思ったことは、
「探求=ハテナを増やすこと、ってなんだか素敵だな」ということでした。
考える、となると疑問や悩みがまずあって、それを解消していくことだと常々思ってしまっていたのですが、ハテナを増やすことってあまりしたことがないな、って思ったのです。

なんかハテナがどんどん増えていくって、直感的にちょっと気持ち悪く思いませんか?
スッキリするために考えたり調べたりするのに、それがどんどん増えていくってどういうことや!って、ついつい思っちゃいます。

でも、今回の「探求」の定義に基づいたときに、自分がやってて長く続いたこと、探求できたことについて考えると、「そういえばどんどんハテナが増えていって、気づいたらめっちゃハマっていたな」ということに気づきました。

例えば、僕は海外サッカー観戦が趣味で、中学2年生くらいからかれこれ15年くらい応援を続けているのですが、最初は「どんな選手がいるんだろう?」「どんなチームがあるんだろう?」から始まり、
 →「なんでこの選手はこんなに上手いんだ?」
 →「チーム戦術ってなに?どんな戦術が強いの?」
 →「チームの経営が良くないと補強できないじゃん?なんでお金持ちのクラブはそんなにお金持ちなの?」
みたいな感じで、どんどんハテナが増えていって、たくさん試合を見ながら、雑誌やネット記事をとにかく読み漁っていったことを覚えています。
あの時は一つのハテナがなくなったら、また新しいハテナが2,3個出てきて、どんどんどんどん掘り下げていったなと思っています。

記事では、「探求=ハテナを増やすこと」のコツとして、とことん続けることと書かれていましたが、個人的には、「とことん続けること」のコツこそが、「ハテナを増やすこと」なんじゃないか?とも思いました。

そう考えると、今まで「これをやりこむぞ!!」と決めて3日坊主で終わってしまったいくつもの夢(英語学習とか楽器、資格勉強など・・・)においては、自分は「ハテナを増やす」量が足りなかったし、それを楽しめていなかったなと思います。。。
もっと早く知っていれば、いろんなことができる人間になれていたのでは!?と思ったり・・・。

ま!おわったことをとやかく考えていても仕方ありません。
今後僕も、「これはとことん続けたいな!」と思ったことでは、ハテナを増やすことを意識していきたいなと思いますし、自分の中から自然に生まれるハテナについても、もっと大切に向き合っていきたいなと、そう考えさせられるニュースでした。

おわりに

いかがだったでしょうか?
是非ニュースを読んで、考えてみて、それぞれの考えや感想がありましたら、シェアしてくれると嬉しいです。
一つのニュースでも捉え方はきっと様々。「こんな角度から考える人もいるんだ!」「自分と全然違う考えだけど、面白いな!」そう思うことが増えれば増えるほど、有意義な時間になっていくんじゃないかと思っています。


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それでは、また。

サムネイルの写真提供:畠田大詩さん


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