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私たちはひとりひとり灯を持っている〜2021年デンマーク渡航記 vol.2〜

「あなた」そのものを大事にしていい。生きててくれてありがとう。今までの道筋も山も谷も葛藤も全て含めてあなたの"資源"です。あなたの生きてきた物語がきっと誰かの心に種を蒔く。

デンマークの大人の"人生の学校"フォルケホイスコーレに、4年前に初めて訪れたときも、今回のデンマーク視察でも、受け取った力強いメッセージは変わらなかった。

魔法がかけられた学び舎

「ありのままの自分でいられるって、入学して僅かな時間で感じられる空間は初めてだ。魔法のようだった。」

デンマークのフォルケホイスコーレ協会の職員が、フォルケホイスコーレに始めて訪れた時の衝撃を語ってくれた。日本人と比較すると、ありのままに生きているように見えるデンマーク人でさえも「魔法のような空間」とフォルケホイスコーレを表現する。

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フォルケホイスコーレには魔法が折り重なってかけられている。

フォルケホイスコーレは「評価/ジャッジをされること」から距離を置く。入学試験もテストもない。17.5歳以上であれば誰でも通える。高校卒業したての若者や、バリバリ働いてきた30代、シニア世代まで。年齢も国籍も違う空間ではいつもの自己紹介が通用しない(〇〇大学、〇〇会社の△△です)かわりに、思い込みでラベルが貼られることもない。”人”として出会い、関わりあうことから、居てもいいんだという感情が生まれる。

フォルケホイスコーレの学びの目的は「自分にとっての幸せや豊かさ」について考えること。アート・文化・サステナビリティ・語学と、デンマークに70校ある各校での学びは多様だ。ただしフォルケホイスコーレの学びの目的は知識技術の習得ではない。授業を触媒に、自分の感性と人生の道筋についいて考えること。授業が知識習得重視になりすぎてないか、法律と教員間で注視している。

フォルケホイスコーレの寮生活を通じて「共に生きること」を学ぶ。フォルケホイスコーレでは「Personal developmentとCommon developmentに橋をかけること」を大事にしている。社会は一人では生きていけない。欲しい社会は一人では作れない。多様な人たちと共に生き、コミュニティという小さな社会ををつくる力を、寮生活のなかで体に染みた学びとして得て、旅立ってゆく。

185年もの間デンマークで必要とされてきた歴史と、フォルケホイスコーレを大事に作ってきた教員たちの矜持と、システムで伝統を継ぎ守ってゆくための法律と協会と。魔法のようで魔法ではない、でも魔法のようにも思える。そんなものでフォルケホイスコーレはできている。

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(しまいにはフォルケホイスコーレ協会でダンブルドアみたいなおじいさんが出てきて、魔法省かと思った)

私が授業に編み込まれる

フォルケホイスコーレの至る所で「あなたそのままで"資源"であると信じられる機会」に出会った。

そういえば、デンマーク着いて早々1日目からそれを代表するような体験だった。

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最初の1週間はノーフュンスホイスコーレで授業を受けながらゆっくり過ごそうと考えていた私は、端っこで大人しく見学しとこうかな〜と、受け身精神全開で授業に参加しようとしたところ、Nordfyns Højskoleの先生Momoyoさんはにんまりと笑みを浮かべて、

「せっかくさきちゃんいるんだし、今日の授業はcompathと日本社会の話にしよう!」

そこから先は、なかなかライブ感がある時間だった。

はじめまして〜とcompathの活動をシェアするところから始まり、「学び舎を始めてみて感じていること」「日本にホイスコーレをつくる意味」、生徒からは「フォルケホイスコーレに数ヶ月滞在してみて感じること」「日本社会の生きづらさ」、しまいには全員で「フォルケホイスコーレとは一体何なのか」。

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目まぐるしく対話をし続け、濃いはじまりの一日が一瞬で終わった。

「フォルケホイスコーレの授業って、生徒の体験や感情、その日学校で起こった小さな事件、世の中の出来事から天気まで、周辺にあるリソース(資源)を編み込みながら授業が作られてる感じなんです」

Compathでインターンしてくれていたフォルケホイスコーレ留学経験者のゆりちゃんの言葉が頭の中に浮かんできた。

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教室に誰がいるかで授業の内容が全く変わってくる。
一人の存在が大きく、私がいなくても同じなんてことはない。
あなたが、わたしこそが、学びの大事なリソース(資源)なのである。

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(フォルケホイスコーレの先生が教えてくれた「授業の方程式」)

日本社会の負

転じて、日本社会においては「あなたそのままで"資源"である」ことを自分自身で認めることが難しい。

資本主義の価値観が評価軸のメインに置かれる社会では、人は資本の成長のための資源として評価される。仕事上のスキルセット・成長速度・希少価値・汎用性。それらだけで評価されることに慣れすぎると、自分の一部しか資源として認められなくなってきて偏った一部ばかりを強化していくゲームがはじまる。

ドラクエのように戦えば戦うほど装備と剣も増える。でもみんなが必要としているのはきっと剣と鎧を持っている自分で。鎧をいつ脱がされるか分からなくて怯える。ありのままの自分が認められるなんてマユツバものだ。

でもそんなゲームばかり続けていたら、資本主義で認められないほうの自分の一部が萎んでいって、いつか心が折れてしまいそうだ。

フォルケホイスコーレとグローバルイシュー

今回のデンマーク視察の収穫のひとつは、アメリカでもポーランドでも韓国でも、同じ課題意識を持って行動している仲間がいることが分かったことだ。

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フォルケホイスコーレのような場所を社会に作りたい。作るべきだ。

キャリアの中で一度立ち止まること、学びの目的が「自分にとっての幸せや豊かさ」について考えること、小さな一人の学びの積み重ねが豊かな社会づくりへ波及していくこと。

日本だとまだニッチな価値観で、道のりは長いなあ・・・と感じることも多いけど、世界のどこかで同じイシューに取り組んでいる仲間がいると思うと勇気が湧いてくる。

「手持ちの豊かさ」のなかから

そういえば、ノーフュンスフォルケホイスコーレに1週間滞在しているうちにたくさんの「贈りもの」をもらった。

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ありがとうの紅茶、お出かけ楽しかったねのカフェラテ、おすそわけのココア、さよならのハグ、旅路気をつけてのビタミン剤、"compath"や"東川町"と描かれた別れを惜しむ石。(石をもらうなんて小学生以来!笑)

近くのスーパーも自転車で15分とそう近くはない立地で、寮生活をしているみんなは巣作りをするようにお気に入りのモノを部屋に貯めている。持っているものは多くないけど、あるものから分けてくれたギフトたちは優しさの魔法が詰まっていた。

自分の持っている豊かさで、誰かに貢献できること。
それってすごく幸せなことかもしれない。

oplysning-灯を灯し合う-

フォルケホイスコーレの学びの目的の一つに"life oplysning"という言葉がある。直訳すると「人生の啓発」、oplysningの語源がまた素敵で。紐解くとこんなニュアンス。

あなたの灯で私が照らされ、私の灯であなたを照らす

わたしにも、あなたにも、灯がある。
時には、灯が風や雨で揺らいでしまう時もある。そんな時は誰かから照らしてもらう。そうして、わたしも誰かを照らすことができる。

私たちは自分が持ってる灯に気づかない。
灯を受け取ってくれる人がいることにも気づかない。
それに気づくための余白があるだけでも、社会は少しずつ豊かに彩られてゆくのかもしれない。フォルケホイスコーレはそんな余白の場所でした。

私自身、今回の旅路でたくさんの人の灯で照らしてもらい、
私の中にあたたかな色の灯があることを感じています。

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(Compath共同創業者 / 安井早紀)

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