ふつうの家族
「私、声出さずに泣けるんだよね」
高校の入学式で仲良くなった友達が、秘密の話もできるようになった6月の雨の日に言った。ふたりで勉強という名のおしゃべり会をしていたときだった。私は冗談だと思った。
「え、なんで?」。笑いながら返す。
「お父さんに叩かれた時、声出して泣くなって怒られてたから」
彼女も笑いながら普段の会話のトーンで、普通に答えた。
生まれてから小学校低学年くらいまでお父さんは無職で、お母さんのパートの給料で暮らしていたという。
夜、お父さんがお酒を飲んで帰ってくる。姉弟を起こして布団の上から叩く。痛くて怖くて泣くともっと叩くから、静かに涙を流していた。
お母さんは何も言わない。両親に捨てられて親戚の家で暮らしたこともあるそうだ。
「あるよね、そういうこと」
淡々と話す彼女にかける言葉がわからなくて、私は変な共感をして会話を辞めようとした。
「でもお父さん働き出してお金稼ぐようになってからは叩かれないし、家族みんなで暮らせてる。お金は人の性格を変えるんだよ」
彼女は今の幸せを語った。
「そうだね」
やっとこの話を終わらせることができた。
3年後、彼女の家に招待された。お父さん、お母さんと一緒にお酒を飲んだ。
お父さんは普通のおじさんでよくしゃべる陽気な人だった。お母さんはよく働く普通のおばさんだったけれど、気の弱そうな人だった。
ああ、この人たちが泣くときに声さえ出させてくれない親なのだ、と不思議な気持ちになった。
過去に慢性的な暴力があったことなど想像がつかない、仲の良い家族だったからだ。
私はこの家族の秘密を知っている。知らない人には円満に見える家族だった。
お金がないと、性格が変わって、人を殴るようになるのだろうか。
お母さんは、なぜ子どもを守らなかったのか。弱いからなのか。
彼女は、確実に殴られているのに「叩く」という言葉しか使わなかった。暴力という認識がないのか。
「うちはうち、よそはよそ」という言葉があるように、家族ごとにその在り方は違う。他人である私はその家族に口出しはできない。
今、彼女は恋人もできてサークル活動もバイトも全力で楽しんでいる。
でも、声を出して泣けない。
彼女の家族の在り方が、彼女をそうさせた。
もし、私が6月のあの日、「それ、暴力だよ」と言っていたら、彼女の中で何かが変わっていたのかもしれない。
私の声が当時の彼女を少しでも救うことができたのなら、今も声を出して泣けない子どもたちがいるのなら、迷わずに言いたい。
text/乃彩
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