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小3男子の苦悩

最近、読んでるよ!のお声をちらほら頂き、
息子にあったことない人にも、かんくんおもしろいね!また読みたい!と言って頂き、簡単に調子に乗っております。
不機嫌ママを卒業したい!ゴードンメソッドを修業しつつ伝えるコミュトレ!モモのすーこです。

日々「能動的な聞き方」のチャンスがごろごろ。
最近の、末っ子長男かんくんの苦悩をお伝えします。

港めぐり、別に行きたないねん

毎日、「今日は○○だー!」とその日1日を期待と楽しみMAXで目覚めていた末っ子長男かんくんも、小3にもなると朝の憂鬱を吐露するもので。
その日は、港町神戸の神戸を知る学びの一環で港めぐりへ行く日。船にのったり🚢港周辺で遊んだり。
お出かけ大好きの彼にはスペシャルデーのはず。
それが、朝の準備を、いかにも気が重そーにやりながら
「おれ、港めぐり、別に行きたないねんな…」

ここで、「そんなん言わんと!行ったら絶対楽しいで!」とか「楽しみにしてたやん!ママも頑張ってお弁当つくったよ!サンドウィッチ好きやろ♫」とか、言うことも出来る。
でも、これは何かあるんやなぁと思うので、聞いてみました。

す「港めぐり、気進まへんねや。」
か「うん。港めぐりはいいねんけどさ、K先生が一緒やから嫌やねん」
す「なるほど。K先生も一緒に行くから気が重いねんな。」
か「そやで。K(いきなり呼び捨て)いっつも怒ってるし何言うてるか訳わからんねん」
す「よく怒られるけど、理由が納得できないんやね」
か「ほんまに、分からんで。何言うても、『黙れ』とか言うからな」
す「伝えたいことも、聞いてもらえないんやね」
か「俺のことなんか、バカやと思ってるからな」
す「K先生はかんくんをバカにしてると感じるんやね。」
か「先生やからって上からやねん。こどもは下やって思ってんねん。」
す「あぁ。先生ってのは理由にならへんって事ね。先生やから上から、子どもやから言うこと聞けってのは納得できへんねや」
か「あの人と話すと、俺なんかゴミみたいに思う。」
す「そうか。そのくらい、K先生に大事にされてないと思うんやね。それで港めぐりが気が重いねんな」
か「そうやで。」

自分の部屋にふらふらっといって、カツンコツンと最近突然の再ブームなけん玉の音がしてきた。
しかも鼻歌混じり。
もう機嫌治ってるやん。笑

その後は普通に準備して、港めぐりにいきました。
帰ってきたら「お弁当ありがとう!サンドウィッチおいしかった〜すずめが食べにきたからめっちゃかわいくてさ、ちょびっと千切ってやったら、担任に見つかって、エサやらない!て怒られたでー」ヘラヘラ。
K先生にも「船の上で飛んだあかん言われてたのに、やってみたいから友達とちょっと飛んでみたらやっぱり怒られたわ!」
こちらは自分でダメな理由を納得しているので、そりゃ怒られるよなって不満は残らなかった様子。

で、なんか解決した?

で、なんか解決したか。
朝の気が重かったのは、少し軽くなってその後自分で気持ち切り替えて行けた様でした。
K先生の問題は何も変わってないのかもしれません。

親として出来ること

親として出来ることってなんでしょう。
子どもが学校の先生や習い事のコーチに不満を持っている時。
親として、「先生には敬意を払いなさい。言う事を聞きなさい。」と指導してみる?
「君にも悪いところがあったんじゃないかな。振り返ってみてごらん」と反省を促してみる?
「その先生、どうして君の話を聞かないのか⁈ちょっとママが連絡して聞いてみる」などとしゃしゃり出る?
まぁ、やり方はいろいろあるかもしれません。
親の援助が必要な時もあるかもしれませんね。

今回私は、息子がもやもやしてて聞いて欲しいことがあるんだなぁというのが分かったので、お話に出てきたK先生に注目して話をそっちに持って行ったり、基本つっこみどころ満載の息子につっこみ倒したりするのは、横っちょに置いといて、彼の気持ちにフォーカスすることにしました。
それは、「息子が困ってる!親として何とかしてあげなきゃ!」って気持ちが親業やりだしてから余り起きなくなってきたからかも。
それは、「わたしの事じゃないし。」とか「わたしは関係ない」という冷たさとは違っていて。息子には息子が通るべき道がある、というか。彼は彼で必要な事を経験してる最中なんだな。そしてそれが全部、彼の生きる力になるだろうな。という思いがベースにあるから。

だから、あれこれ聞き出して、解決方法をあーだこーだ提案してやるでもなく、ただ彼の気持ちにフォーカスして聞くことに徹する。

K先生とは相性よくなさそうだし、不器用なかんくんは絶妙に気に障ること言ったりやったりするんだろうなとは思います。
「いらんことしい」なもんで。
でも、そういう相手とどう接していくかというのも、彼本人にしかできない経験で、何を学ぶのかも私の狭い見識と少ない経験と限られた手札の中でジャッジして「これがベストよ!」と示す事なんて私はしたくないのです。

というか、5年前の私ならやってた。長女にはたくさんやってきちゃったと自覚があります。
でも親業(ゴードンメソッド)と出会って、ほんと、そういう部分の考え方がどんどん変わってきています。

子どもを信じるって。

「子どもを信じよう」ってよく聞きますが、結局のところどう言う事なんでしょう。
私はイマイチ分かってなかった。
放任との違いとか、紙一重だよなって思ってました。

でも、今はすごく腑に落ちた感があります。
私の経験を通して、やっと、信じるってこう言う事なんだなと言うのが今は掴めています。

ゴードンメソッドってそういうところが、深いと思う。理論や考え方は、説明されたら理解できると思うんですが、やればやるだけ、「はっ!実はそういうことなのか!」とピンとくるというか。そのアハ体験的なことがツボで辞められない。笑
楽しいなって思うのです。

先生と対等だと思ってる

ところで、今回のやり取りで、息子は「先生が上から目線なのはおかしい」と思っている事が分かりました。
「先生だから」は彼にとっては理由にならない。
相手が大人だろうと、話が分かれば納得するけど、話も聞かずに否定するなんざ、バカにしとんか、と。
大人でも誰でも、息子にとって人は対等なもの。

くぷぷ。
苦労するだろうね、息子よ。
世の中そんな大人の方が多いよ。小さいうち、私が環境を選んでやれたうちは、意図的にそういう考え方とは違う場所を選んできたからねぇ。頭ごなしに怒る先生とか、周りにいなかったもんねぇ。

でも、親とて、人生先にいろいろやってて、経験があるから知恵もあるけど、人として上下なんてない。親としてそういう姿勢でちゃんと接して来られたってことかな?
そう思うと、やるやん私。やれとるやん。って自分にもよしよし、と思える。笑

ね、だから、我が子も大丈夫。私も大丈夫。
自分で自分を認められる様になってきたのも、ゴードンメソッドの力が大きいかも。

まとまらなくなってきたので、今日はこの辺で。
最後まで読んでくださり、嬉しいです!ありがとうございます。

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