”未完了のコミュニケーション”を増やさないために

先日、僕がコミュニティマネージャーをしているオンラインサロン「Wasei Salon」主催の読書会が開催された。

推薦図書は「こころの対話 25のルール」だ。

僕は恥ずかしながらこの本を読んだことがなく、この読書会を機に初めて触れてみた。

読んでみると、聴くことの重要性やコミュニケーションについて深く洞察されており、現代を生きる僕らにとって多くの気付きを与えてくれる一冊だった。久しぶりに「多くの人の手に届いてほしい…!」と思える本で、興奮しながら読み終えたのを覚えている。

本の中で「未完了のコミュニケーション」について書かれている一節がある。

「未完了のコミュニケーション」とは、投げたボールが返ってこない、または違うボールが投げられるといったコミュニケーションのことを指す。

本来コミュニケーションとは、キャッチボールのように投げる側と受け取る側が存在するが、未完了の場合は受け取り手が受け取ることができていないのである。

この未完了のコミュニケーションが積み重なることで、人は恨みを抱き、他者に対してのコミュニケーションが変化していくという。

これを読んで僕はゾッとした。

これまでは、「自分はどこか聞き上手な一面があるのではないか?」と思っていた節があったが、この本を読み終えて、「本当に自分が聴くことができていたのか…?」「ちゃんと完了できていたのだろうか?もしかしたら恨みを生んではいないか?」という言葉が頭をよぎった。


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今の社会、「ちゃんと受け取ってもらえた」と思える瞬間はとても少ないように思う。

これも本に書いてあったことだが、人は聞く素振りをしながら次に何を話すか考えているという。それはちゃんと聴くことができていない人の特徴であると。

それは、僕を含めて自然とやってしまう人は多いのではないだろうか。

スマホを触りながら、作業しながら人の話を聴いたつもりになっている瞬間もきっとあるかもしれない。

何かと効率化とかスピード感が求められるから、コミュニケーションも同じように捉えてしまう社会になっている気がする。

でも、本当にそれでいいんだろうか?

目の前にいる人に対して、未完了のコミュニケーションを生み、結果として恨みを生んではいないだろうか?


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とはいえ、聴くという行為をちゃんとやることは、かなりの集中力とエネルギーを要する。年々集中力の持続時間が短くなっていると言われている今、簡単なことではないと僕は思う。

接する人すべてにできればいいんだろうが、実践に移せることが当たり前だとは到底思えない。

だからこそ思うのは、僕らは「今誰を大事にしたいのか?」を考えないといけないのではないだろうか?ということだ。

つまり、限られたエネルギーを注ぐべき相手に注いでいくことが大切になると。

自分が大切にしたい関係性とはなにか?
今向き合っていたいコミュニティはどれか?

それらを自分自身のなかで言語化できていることで、ひとつひとつのコミュニケーションに向き合えると思う。

すべてを守ろうとすると、逆に何も守れない。
だからこそ、「大事にしたことを大事にする」という意思が必要になるんだろうなと。


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何度も言ってしまうが、この一冊は今を生きるすべての人におすすめしたい。

日々の人間関係や些細なコミュニケーションを考えられる機会になると思う。

機会がぜひあれば読んでみてほしい。

それでは!



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