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その場にふさわしいことをしてしまう環境依存症候群

診察する患者

私がまだ研修医だった頃の話です。ある朝回診しようと病室に行ったところ、パジャマ姿の患者さんが私の担当する寝たきりの患者さんの胸に聴診器を当てていました😳少し前かがみの姿勢で、真剣な表情で聴診しているようでした。

実はこの患者さんは医師で、パーキンソン病かそれに似た疾患で入院中でした。認知機能も落ちているようでしたが、患者が目の前に横たわっているので、医師としては当然そこですべき診察をしようとしたのでしょう。

とはいえ、今は患者として入院しているわけだから、普通は他の患者さんの診察はしませんよね。聴診器を当てる行為が日常的で無意識にしてしまうほどだとしても、普通はそのルーチン動作を抑制しているわけです。

レールミットの環境依存症候群

このような、その場面にふさわしくはあるけれど今はすべきでない行動をとってしまうことを、医学では環境依存症候群といいます。目的のある行動ではなく、目に入る刺激につられてしてしまう現象だからです。前頭葉損傷のある人や認知症の方にしばしば見られます。

フランソワ・レールミットの論文(1986)には、この環境依存症候群の患者さんのことが、写真入りで詳しく書かれています。左前頭葉にできた脳腫瘍手術後の方で、他人の家なのにベッドがあると服を脱いで寝てしまったりします(ご丁寧にかつらも外してる、と写真に注意書きがあります!)。

環境依存症候群の仲間に、模倣行動・使用行動というものもあります。模倣行動は真似しなくていいのに目の前にいる人のすることを何でも真似してしまう症状、使用行動は目の前にある道具を必要ないのに使ってしまう症状です。診察室にあるはさみや鉛筆などを勝手に使ってしまうので、診察中の医師はけっこう困ります。いずれも前頭葉損傷のある人に見られ、レールミットは環境依存症候群と同じような現象だとしています。前頭葉の働きが落ちるために、日常繰り返していた動作が制御されずに出てきてしまうのだと解釈されています。

映画『カメレオンマン』

この環境依存症候群を地で行くような架空の人物をドキュメンタリータッチで描いた映画があります。ウディ・アレン監督・脚本・主演の『カメレオンマン(原題Zelig)』です。

ゼーリグというユダヤ人の男がいて、東洋人の中にいると東洋的な顔つきに変化し、太った人の中にいると太ってきて、フランス人に混じると流暢なフランス語を話すようになります。医者と話していると医者のようになるのです。なので、人々にカメレオンマンと呼ばれ一世を風靡した、という話です。

変身してしまう原因を探るため、精神科医が催眠により深層心理を聞き出します。するとゼーリグは、いじめられたくないからだというのです。周囲に溶け込むことによって、異質な存在だと思われないようにするためだと言います。これは虫の擬態と同じで、自然界を生き抜くための一種の戦略ですね。私も以前擬態をテーマに曲を作りました。

レールミットの解釈とは別ですが、案外そんなこともあるかもと思ってしまいます。1983年の映画で、レールミット論文の前というのが驚きです。ウディ・アレンは環境依存症候群のような状態をどこかで聞いて知っていたのか、全く偶然なのか、気になるところです。

興味のある方のために、レールミットの論文を紹介しておきます。

Lhermitte F. Human autonomy and the frontal lobes. Part II:Patient behavior in complex and social situations: The "environmental dependency syndrome". Ann Neurol, 19:335-343, 1986.


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