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【連載 Bake-up Britain:舌の上の階級社会 #8】フィッシュ&チップス(2/4)

フィッシュ&チップスと灰色の風景

今やすっかりイギリスの「国民食」の地位を確立したフィッシュ&チップス。アニメ『きかんしゃトーマス』では、ノースウェスタン鉄道重役のサー・トップハム・ハットが機関士たちと一緒にそれに舌鼓を打ち、ガイ・リッチー版『シャーロック・ホームズ』のホームズ(ロバート・ダウニー・ジュニア)は、サー・アーサー・コナン・ドイルの原作には一度も登場したことのないそれを「いつもの店」で買う。だが、この「国民食化」によって、フィッシュ&チップスの階級的意味が失われたのかと言えば、決してそんなことはない。またいつも食欲をそそるような描かれ方をされるわけでもない。

映画『シャーロック・ホームズ』(監督:ガイ・リッチー、2009年)

例えば、長くイギリスで執筆活動を行ったドイツ人作家 W.E.G.ゼーバルトの『土星の環』(1995年)に出てくるフィッシュ&チップスはこんな具合だ。

そのパン粉の衣たるや鎧そのもので、あちらこちらが焼け焦げ、フォークを刺すと先がひん曲がる始末だった。そしてさんざんに苦労を重ねて中身にたどり着いてみたところが、わかったのは結局、この代物がかちかちの殻だけであったこと。一戦交えたあとの私の皿は、見るも無惨な眺めとなった。タルタルソースはプラスチックの小袋から絞りださなければならず、灰色のパン屑とあわさってどす黒い色を呈し、魚、であるはずのものは、濃緑色のグリンピースと脂ぎったチップスの間で見るもぐしゃぐしゃになっていた。

(『土星の環―イギリス行脚(新装版)』鈴木仁子訳, 白水社, 2020年, p. 47)

鎧そのもの、かちかち、無残な眺め、どす黒い色、ぐしゃぐしゃ。このように語り部の「私」は、まるで解剖調査のレポートのように、イースト・アングリアの徒歩旅行の道中で立ち寄ったロウストフトの「ホテル・ヴィクトリア」の食堂で提供されたフィッシュ&チップスの出来の悪さを、およそ1ページかけて丹念に描写していく。だが面白いことに彼は、その「何年このかた冷凍庫の底に埋もれていた」ような魚の「味」については一言も言及しない。

それよりも彼の関心の先にあるのは、人気のない荒んだホテルの状況や、怯えた顔つきをした若い女性が受付から調理までそこの業務を1人で切り盛りしている様子に見て取れるロウストフトの凋落ぶりである。かつてイギリス最大級の漁港として栄え、また20世紀初頭にはロンドンの上流階級やヨーロッパ中の観光客が海水浴を楽しむ高級保養地として賑わった街には、1990代初頭、破産者と失業者が溢れ返り、急激な勢いで識字率が下がっている。テーブルの上のフィッシュ&チップスはそんなロウストフトの「今」を示す風景の一部なのだ。

フィッシュ&チップスが「イギリス」の灰色で陰鬱な風景に見事にマッチした料理であるということを示す事例をもう1つ紹介したい。巨匠ケン・ローチの傑作映画『ケス』である。南ヨークシャーの炭鉱街に住むビリー・カスパー少年と、労働者階級の閉塞した暮らしの中に埋もれている彼の家族、彼の孤独を癒やしてくれる唯一の友であるハヤブサの「ケス」の物語だ。悲劇的な結末に向けて物語が転がっていく重要なシーンで、フィッシュ&チップスが登場する。

映画『ケス』(監督:ケン・ローチ、1969年)

ある日ビリーは、競馬にしか興味を持てない父親違いの兄ジャドに金を握らされ、彼の代わりに賭け屋に行かされる羽目になる。しかし店の常連からその馬は勝てないと聞いたビリーは、馬券を買わずに、その金でフィッシュ&チップスを買う(ケスに与える肉も買うつもりだったが、肉屋は屑肉をタダでくれた)。賭けたつもりの馬がレースに勝ったのに配当金をもらえないことを知ったジャドは激昂し、腹いせにケスを殺してしまうのだ。

期せずして手元に残った金を何に使おうかと考えたとき、ビリーはフィッシュ&チップスを選んだ。いや、選ぶしかなかった。60年代初頭のヨークシャーで、手軽に腹を満たせる食べ物が買える店といえば、フィッシュ&チップスの店ぐらいしかなかったからだ。そのフィッシュ&チップスが美味しかったのか不味かったのか、 そこはどうでもいいことだ。

そもそも食べ物の味というものは、素材の状態、調理人の技量、食事環境、食べる人間の体調や心情、そもそもの「好み」などよって、いくらでも変わりうる。それだけ複雑な条件が重なって判断されるものであるはずなのに、やれ「イギリス」料理は不味い、やれ「日本」料理は美味いなどと、余計な形容詞に引きずられて十把一絡げに味を云々するのは、文字通り蒙味な態度といえよう。米だって保存の仕方や炊き方を間違えれば不味い。ついでに言えば、「味」は食べ物の良し悪しが判断される際の基準のひとつでしかない。価格や入手のしやすさ、調理や食事にかけられる時間、使用できる道具や設備、後片付けの簡単さなどを加味して、人は何を作り、何を食べるのかを選択する。味のみに集中できるのは、準備や後処理を他人にまかせ、上げ膳据え膳で食事を取ることができる(と考えている)者たちの特権なのだ。

(続く)

チップスのレシピ

2人分

材料

ジャガイモ*  3個(大きいもの)
塩       10g
揚げ油                  適量

※今回使ったじゃがいもは北海道産の「ホッカイコガネ」ですが、煮崩れしにくい「メークイン」や「トウヤ」などの品種をご用意ください。

作り方

チップスは下茹でしたうえで低温・高温の2度揚げをします。こうすることで、中はふっくらとして、外側はカリッとした食感になります。

① じゃがいもの皮をむき、1.5㎝角の棒状にカット、10分ほど流水にさらして表面のでんぷんを取り除く。

② 水1ℓ・塩10gのお湯を沸かし、①のじゃがいもを8分~10分ほど、竹串が通るぐらいまで茹でる。茹で上がったら、ラックにならべて表面を乾燥させる。

③ 揚げ油を120℃に熱して、②のじゃがいもを10分間揚げ、油を切ってラックに取り出し表面を乾燥させる。(ラックごと冷蔵庫に入れると早い、またこの状態で冷凍可。)

④ ふたたび揚げ油が180℃に熱してから、③のじゃがいもを入れカリッと揚げる。揚げあがったら、取りだして全体に塩をふる。塩は粗い自然塩がよい。


次回は2月17日に配信予定です。


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