『かわいいの本音と本質』【基礎化粧品】vol.美容液
どうすれば、わたしは私を好きになるのか?
突然ですが、あなたは自分のことを好きだと大声で言えますか?
誰かに「自分のこと好きですか?」だなんて尋ねられて、大声で自信満々に「もちろん!」と言える人って、あんまりいないと思うんですよね。(内心どうあれ)
もちろん、そこには幾許かの謙遜や、言うなれば「他人の目」を気にしなければならないというプレッシャーのようなものがあることも自然に思い浮かべることができるけれど。
だけれど、そうした外的な要因をを全て覆したとしても「自分のことが大好きだ!」と自信を持って言える人は、きっと少ないんじゃないかなと思っているのです。(これは私の経験則からくる想像なのですが)
歳が若ければ若いほど「何者でもない自分」を他人と比較し、鬱屈して自己肯定感を育てることができなかったり、
逆に歳を取ったからこそ「何者にもなれなかった自分」に虚無を感じ人生への自信を無くしてしまった、という人もいるんじゃ無いかな。
と、思ったりしています。
なんなら「好き」どころか「自分なんて」という悪魔の呪文とともに、自分のことが「好きじゃない」という人の方が、もしかすると多いのかもしれない。
今ってそんな世の中なのかもしれません。
好きなことに時間を費やす
私の場合、「本」だったり「コスメ」だったりなのですが、
例えば自分に対して思い描いた理想を持って「こうなりたい」「美しくなりたい」とアレコレ考えて行動するのは、案外楽しい時間になったりするものです。
私は、冒頭に引用したココ・シャネルの言葉がとても好きです。
楽しくなかったから、創った、という自立精神がとても好き。
「私はそれを元々は持っていなかった。だけど、それが欲しかったから努力して手に入れた」
そんな風に堂々と言えたら本気で素敵だと思いませんか?
LE LIFT PRO(CHANEL)
以下、LE LIFT PROの紹介を含みます
朝晩のスキンケアの時間は何よりも、私の好きな大切な時間。
本を読むのとはまた別の喜びを、スキンケアの時間は与えてくれる。
肌の手入れをする時間は、そのまま心の手入れをする時間。
と、信じているわけだけど。
鏡に映るその肌は、決して完璧などではないし、カメラ加工でもしない限りは、シミもシワもそばかすも毛穴だって目立ち放題。
それでも、毎朝、毎晩丁寧に鏡に向かって肌を撫でる。
「おはよう」とか「お疲れ様」とか、そんな感じ。
そんな風に鏡の中の自分をそっと労って、
昨日より今日。今日より明日はもっと「自分のことを好きになれるように」と、日々のお手入れに精を出すのは、ある意味メディテーションにもなっている気がする。そして時には、ちょっと贅沢なアイテムを投入してみたり遊び心をプラスしてみることもある。
パーフェクトな美容液
以下、公式ホームページより製品情報を抜粋しています。
ぜひご一読ください。
さてさて、今回の問題はというと「眉間の皺」なわけですが。
日々のストレスなのか、性格的な問題なのか…
筆者は眉間の皺が、群を抜いて「深い」んですよね、とほほ。。。
これをどうにか解決したい!と日頃から考えている、そんな私に新たな救世主が登場です。百貨店へ赴きカウンターで試させて頂いたところ、(高いものだからこそ、買うのを決めるには実際に手に取って体験して見なくては!)
くらくらするほどの感動体験を致しました。
余談その1
皺について思うこと
LL PRO について
正直に言うと、クリームに関してはPROよりも従来品の方が香り・テクスチャーと共に好みでしたが、この美容液はもう本当に凄いの一言!
とろりとコクのある液体は、その中にどれほどのエナジーがあるのだろうかと思うほどに、手に乗せた瞬間から「何かが違う」と感じさせるすごいパワーを秘めています。(良い意味で)
で、結果はどうだったって?
言わずもがな。
パーフェクト。
昨日の夜はあったはずの眉間の縦皺が、翌朝本当に消えていました。
(誇張でも何でもなく、本当に)
それ以上でもそれ以下でもない。
今回はこの端的な事実だけを記すのみにして、
筆を置きたいと思います。
なぜって?
だって、実際に使ってみてほしいから。
百聞は一見にしかずってよく言うでしょう?
余談その2
どうでもいい話。。
ココ・シャネルの、ココ(COCO)という言葉にはフランス語で「ちょっと変わったあの子」みたいなニュアンスの意味があります。
彼女がキャバレーの歌い手として働いていた時に歌っていた「Qui qu'a vu Coco dans le Trocadero」という歌に因んで名づけられたという逸話があるのですが、(諸説あるので確証はありませんが)幼い頃に親に捨てられほとんど孤児の様にして育った彼女にとっては、もしかすると「嫌な記憶」を呼び起こすあだ名であったかもしれません。(これは私の想像だけどね)
だけれど、そんなネガティブポイントでさえ、自分の求める自分になるために利用した、その逞しい精神は紛れもない「美しさの証」のように思えたりしませんか?
美しさは、生まれ持つものではなくて
後天的に獲得するもの。
もしも…
「こうありたい」と自分の望む姿が、社会的に「かわいい」と言われているものと全く同じだったとしても、それを気にする必要は無いと思います。それはそれで、あなたの本来の価値観と偶然周囲が一致しているだけの話。他人の定義に迎合しているわけではないのだと、堂々と言えばいい。
また、自分の持つ「美しさ」の定義が社会的な基準となりやすいものとかけ離れていたとしても、悩む必要もそれを隠す必要も全く無いと思います。
自分が決めた「美しさ」を大切にすることは、
自分の心を大切にしていることと同じです。
それは何よりも誇るべき姿勢なのですから。
どんなところへ向かっているかは、人それぞれ違うけれど、
「こうありたい」と願う自分の姿に向かって、一生懸命走る姿は
きっと何より素敵なものなんじゃないのかなと。
(そんなふうに、思うのです)