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カリキュラムのビジュアルデザインを考える

理屈の話が続いたので、自分が大学の広報として関わってきた仕事に言及してみる。今回のテーマは「カリキュラムのビジュアルデザインを考える」だ。

「カリキュラム」とは?

まず「カリキュラム」という言葉の定義を押さえておきたい。日本では「教育課程」、あるいは教育のためのプログラムの束のようなイメージで使われる用語だが、もともとは学びの履歴を表す言葉だ。僕は大学生時代のカリキュラム論の授業で、いわゆる教育課程としての「教育カリキュラム」に対して、学習者が経験する「学習カリキュラム」という概念があり、しかもそれらは対称的な関係にあるわけではない、と学んで、まさに目から鱗だった。また、教育課程のように明文化されたカリキュラムだけでなく、子どもたちが学校空間にいるだけでいつの間にか内面化してしまう「隠れたカリキュラム(潜在的カリキュラム)」があるという指摘も新鮮だった。
僕がこのnoteで「カリキュラム」という言葉を使う際はそこまで厳密な定義づけはしないが、「教育課程」よりはもっと幅があり、学習者の経験的な側面も含んでいるものとして捉えておく。

大学のカリキュラム

とはいえ、日本の大学の制度的な用語としてのカリキュラムは極めて狭義で、シラバス集で表現される正課の教育課程を指すことが多い。そして今の大学では「3ポリシー」というものをちゃんと定めることになっている。3ポリシーとは、学生たちにこういう力をつけさせて社会に送り出しますという「ディプロマ・ポリシー」(学位授与要件)、そのために必要な教育課程の要件を定めた「カリキュラム・ポリシー」、さらにそれらの教育課程を十全に進めるために必要な入学者の特性などを定めた「アドミッション・ポリシー」だ。したがって、その大学が何を考えてどういう教育をしようとしているのかは、これらのポリシーを見るのが手っ取り早い、ということになっている。
この3ポリシーの中で最も重要なのが「ディプロマ・ポリシー(DP)」だ。なんせ学位授与要件なのだから、ここで定められたことを理解していなければ、日々何に向かって学習すればいいのか、自分が卒業に値するかもわからないはずだ。ところが日本の大学の学生たちのほとんどは、自分の大学のDPなど知らないに違いない。いや、学生たちはおろか、教職員だって怪しい。
つまりは、これらのポリシーは多くの大学で最初から形骸化しているのだ。これはポリシーそのものの作りにも問題があるかも知れない。いくつかの大学のDPを参照してみればわかることだが、なんとなく似通っていて、文科省のひな型をほぼコピペしたのではないかという疑いさえ浮かんでくるほどだ。

茨城大学のディプロマ・ポリシー

さて、僕の勤める茨城大学のDPはどうだろうか。基本的に5つの柱で成り立っている。「世界の俯瞰的理解」「専門分野の学力」「課題解決能力・コミュニケーション力」「社会人としての姿勢」「地域活性化志向」の5つだ。これも並べてみると総花的なのだが、実は多くの大学のDPが文章体で表現されている中、5つでスパッと言いきれるものになっている点は実は最初からコミュニカブルな要素をもっている。
したがって、茨城大学のカリキュラムは、すべての学部において、4年間を通してこの5つの力が身に付くように設計されている(ことになっている)。しかも茨城大学は教育の質保証、つまりDPを確実に身につけることを「保証」するための仕組み作りに向けた文科省からの補助金事業に採択されたので、学生への継続的な調査に留まらず、卒業生への調査、あるいは卒業生が就職した企業への調査、さらには学外者をアドバイザーに招いたレビューによる継続的な教育改善など、他の大学以上に熱心に取り組んでいる。
2016年当時、多くの大学が文理融合的な新しい学部をつくり、それらを大学のブランドとしていたが、そういう選択をとらなかった茨城大学としては、すべての学部の学生に通底したこの質保証の取り組みを教育のブランドとするしかなかった。

茨城大学コミットメント

5つのDPと、それに向けて組み立てられる全学共通のカリキュラム、そしてその成果の評価による継続的な改善。この概念は当初ものすごく複雑な図で説明されていて、その特徴については学内の教職員でさえ理解するのが困難だった。この複雑さは、たとえば滋賀大学の「データサイエンス学部」のように、新しい学部の名前だけを言えばその大学の教育改革がわかる(気がする)シンプルさに比べて致命的だった。したがって、茨城大学の全学共通の教育のシステムも、一言で表せるようなシンプルなコンセプトをつくる必要があった。
それで作ったコンセプトが、「茨城大学コミットメント」である。「結果にコミットする」というRIZAPのコピーがあるが、まさにDPにコミットするのが茨城大学の教育である、ということ。しかもコミットする主体は学生であり、教職員であり、地域である、とすることで、概念を整理した。
「茨城大学コミットメント」というコンセプトを決めた上で、デザイナーとともにロゴとコンセプトブックを作った。僕の頭の中では、大塚製薬のオロナインH軟膏の「知り100」というキャンペーンのイメージがあったので、それを参考にした黄色いロゴができあがった。コンセプトブックは、DPの5つの項目をそれぞれのアイコン付(別のキャンペーンサイト用に一度デザインしたもの)で明示し、それに向かって4年間の学生生活で待ち受けている出来事を整理して、最後に自分の能力をチェックするシートをつけた。名前を「コミットメントブック」と名付けた。

イベントによる可視化

この「コミットメントブック」は、シンプルな作りでありながら、大学のカリキュラムのコミュニケーション媒体として類例のないものになった。しかし、このブックを作るだけには留まらず、「コミットメント」のためのイベントも企画することになった。
厳密にいうと、教育改革を進めているにもかかわらず入学式のやり方が昔と変わらないのはどうか、という話が学内から出てきたことから始まる。それで担当課が新しい入学式のイベントを模索していたところだったが、それなら「コミットメント」というコンセプトのもと新イベントを考えよう、ということになったのだ。
骨子はすぐに決まった。サークルのパフォーマンスで盛り上げることでその前の入学式とメリハリをつけること、ディプロマ・ポリシーの5つの要素をインパクトをもって訴求すること、学生たちに登壇してもらうこと、そして「コミットメントブック」をパスポートとして教員から学生に手渡し、最後に会場全員で写真撮影をすること。みなさんは今日から茨城大学コミットメントのパートナーです、というわけだ。
そうして2017年4月に実現した最初の「コミットメント・セレモニー」の様子はこちらの動画を参照してほしい。ステージに並ぶDPの5本の柱は、アナログだがわかりやすい。

その後の展開と課題

その後、「茨城大学コミットメント」名義のホームページやTwitterも立ち上げ、そこで学生たちの活躍を取材した記事を掲載していくことで、学生たちの日々の生活と、すべてはDPへ向かう大学のカリキュラムとが、ビジュアル上で結びつくように工夫を図った。
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/
しかし、学生たちに「茨城大学コミットメント」というコンセプトが浸透し、充分に機能しているとは残念ながらいえなさそうだ。
それはコミュニケーション施策の面だけ捉えれば、アプローチが中途半端だったと指摘することはできる。たとえば、休講情報などを提供して日々の学生生活を実質的にサポートするような便利なアプリを開発し、それを「茨城大学コミットメント」という名称・ロゴで展開して使ってもらったら、日常とカリキュラムは意識せずとも結びついたかも知れない。あるいはそこに地域通貨の仕組みなども入れたら、まったく新しいカリキュラム・コミュニケーションが生まれただろう。
また、これはコミュニケーション施策の限界でもあるのだが、学内で営まれる教育の現場にまで、「茨城大学コミットメント」がコミュニケーションツールとして降りていなかったことも挙げられるだろう。僕自身が尻込みしたということもある。
一方で、ある程度効果があったかも知れないと思うのは、職員への波及だ。ある研修の場において、茨城大学の職員が自らの大学のDPをおしなべて理解していることについて、他の大学関係者から驚かれたというエピソードを耳にした。前述のとおり、多くの大学においてDPは形骸化しており、多くの大学職員は日常の仕事で意識することもないのである。それが、茨城大学の職員だけはDPを強く認識していたというのだから、「茨城大学コミットメント」の一連のアプローチが功を奏したのかもしれない。職員がDPを内面化し、教育の職務にあたるというのは、さきほど課題として挙げた、教育の現場へのコンセプトの浸透という点を改善する可能性がある。

以上、今回は「教育のためのコミュニケーション」の実践例として、大学のカリキュラムのビジュアルコミュニケーションとして取り組んだ「茨城大学コミットメント」を紹介した。
大事なのは、制度化されたカリキュラムを、教育者・学習者双方にとってコミュニケーション可能なものにすることで、形骸化を防ぎ、なおかつ無理なく実効化することだ。実は「茨城大学コミットメント」とは何か、という定義は誰もいえないのだが、その曖昧さが自発的なコミュニケーションを促す余地となると考えている。一方でその余地は、それなりにフォローを続けないと、単なる空きスペースになってしまい、コミュニケーションも機能しなくなる可能性がある。この点は緻密なプランニングと実現のための態勢づくりがもっと必要かも知れない。僕自身の反省点も含めて、実践の参考になれば幸いだ。

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