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春と僕とビートルズ

二月は所用で北海道へ行っていて、月のほとんどを北国で過ごしていた。本当は、1~2週間程度の滞在で済むはずだったのだが、大雪で帰宅困難になり、代えの航空券もとれず、5日ほど滞在を延長するハメになった。予期せぬ長期滞在となってしまったが、まあなんとか、月が替わる前には南下できた。極寒の地から春らしい陽気のもとへ移動したせいか、寒暖差で風邪っぽい症状が出て、よもや流行中の感染症ではないかと恐ろしくなった。が、ふたを開けてみれば、花粉の飛散が原因だった。花粉症の人は、体調の悪化で春の到来を感知できるという便利な機能を持っていると言えよう。

春になるとビートルズを聴きたくなる。僕にとって、ビートルズとの出会いが春だったからかもしれない。3年前ほどだっただろうか、僕はまだ大学2年生で、留学を半年後に控え、学業も問題なし、人間関係も上々、なんなら恋人さえいたのだから、全く楽しく愉快な生活を送っていたに違いない…しかし、心のどこかにさみしさを感じていたのだろうか、それとも将来への不安か、妙に薄暗い、センチメンタルな感情に襲われることが多かった。ビートルズは当時、僕のそんな心を慰めたのだが、今となっては、当時の思い出と暗い気持ちを思い出させてくる厄介なバンドでもある。まあ、好きだから聴くのだけども。

お気に入りはRobber Soul収録のIn my lifeだ。少々メランコリックにも思える曲調の中に、「君の人生は君のものだ」というメッセージが込められていると思う。そのギャップが好きなのだ。何度もこの曲には救われてきたし、今も救われている。あと、「ホワイト・アルバム」のblackbirdも好きで、よく聴く。楽しそうでない曲調ばかりを選んでいる気がするが、きっと僕にとってのビートルズ像はそういうものなのだ。才能が集まりあって、見事に時代を築き上げたビートルズ。しかし、才能だけでグループがやっていけるわけではないということも、ビートルズは見事に証明した。明るさも暗さもあるからビートルズは面白いのだ。少なくとも僕はそう思っている。

ビートルズつながりで、ポール・マッカートニーのバンドであるウイングスも聴くようになった。Band on the Run や Silly Love Songs が好きなのだが、それはたぶん、頻繁な曲調の変化など、聴く側を飽きさせない何かがあるからなのだろう。なぜウイングスが好きなのか、理由はわからない。まあ、音楽の好みに理由などいらないのだろうが、あえて探すとすれば、ウイングスの持つ異端さというか、聴く側を驚かせるトラップが、巧妙に、しかしわかりやすく仕掛けられているように思うからだ。僕たちはその罠を知っていながら、その罠にわざわざかかりに行く。かかりに行く方が楽しいのだから当然だ。でも、これはビートルズにも言えることかもしれない。今の音楽理論の大半はビートルズがやり始めたことだと知ったのは、ビートルズと出会ってから随分後になってからだった。音楽界のシェイクスピア的存在、とでも言えばよいのだろうか。

ともあれ、コロナ禍、行き詰まる就活、進まない研究など、ストレスの元はいろいろある。そんなときだから、余計に音楽が身に染みるというのもあるのだろう。ふいにビートルズを聴きたくなった。そして、久しぶりに文章を書きたくなった。ただそれだけのことだ。


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