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心の弱さについて

僕は心が弱い。

このことをきちんと理解し始めたのはつい最近のことだ。やるべきこと、自分で決めた目標に対して、きちんと向き合えない。やめたときの言い訳ばかりを心に思い浮かべる。なにかを始めたり、環境が変わる直前になると、とてつもない不安に襲われて身動きが取れなくなる。誰かの些細なひと言に、その日の気分を左右される。嫌なことを言われると、それがずっと頭から消えずに残ってしまう。などなど…。これらすべて、心が強い人には理解できないのかもしれないが、少なくとも僕には、日常的に生じる心情である。

今思えば、受験に失敗したのも心の弱さのせいだったし、他にも、そのせいで諦めてきたことはたくさんある。ストレスにも弱く、受験期には便に血が混じったりもしていた。自分で志望校を高めのところに設定したのに、そのせいで逆に押しつぶされるなんて、今となっては笑い話だが、当時はすごくダサいと思っていたから、誰にも言えなかった。

この心の弱さはどこに起因するのかと考えた。遺伝だろうか?それもあるかもしれない。でも、1番は、昔から、人に頼ることが苦手だったことにあるのだろう。家族や親友と呼べる人にも、自分の弱いところを見せるのが本当に怖かったし、弱いところを見せたら、身近な人が離れていってしまうのではないかと恐れていた。だから、ひとりで抱え込むことばかりが増え、人にうまく頼ることができなくなった。今は弱さを見せることにも慣れてはきたものの、その後遺症(?)のようなものはあって、やはり人に頼るのは怖いが、少しずつ治している段階である。

なぜそんなふうになってしまったのかというと、長男だったというのもあったし、両親が僕に対し「しっかりした強い男」になることを期待していたということもあっただろう。残念ながら、僕はその教育方針に反発し、結果として強い男からはかけ離れたような男になり、そのことを思うと我ながら親不孝だと思うのだが、今となっては仕方がない。両親も、今の僕のことは認めてくれているので、とくに不本意なことはないのだが、それでも、もしあの教育方針に則って生きていたらどうなっていたのだろうと考える日もある。

さて、大学に入り、信頼できる友人にこのことを話しても、少しも理解されなかった。「よくわからないことで悩んでるな」と言われた。おっしゃるとおりである。しかし、僕にとっては死活問題だったし、逆に、なんでそれで悩まないのかが理解できなかった。そのときは、彼はきっと、全然自分とは違う人生を送ってきたのだろう、うまくやってこられたのだろうと、とりあえず自分を慰めたことを覚えている。

その当時は、自分が単に根暗で社会に適合できていない人間なだけだと思っていた。しかし、自分で言うのもおかしいが、人とふつうに会話もできるし、明るく振る舞うことだって、できることにはできる。自分がいわゆる社会不適合者ではない(そういう面もたしかにあることにはあるにせよ)とすると、なにがその理由なのか。なにが僕を、一日中ベッドに縛り付けるほどに苦しめるのか。そこで思い当たったのが、心の弱さである。

Google検索で「心の弱さ」と調べると、だいたい1ページ目に出てくるのは、「弱い心を強くしたい」という悩みだ。この悩み、悩んでいる人の気持ちは痛いほどわかる。というのは、僕自身、この心の弱さに気づき始めてから、幾度となく心を強くしようとトライしてきたからである。

その試みは、おおかた失敗した。というか、何度もトライしては諦めることを繰り返すうちに、挫折してしまった。結局、僕の心の弱さは根本的には変わらないのだ。心を強くしようと試みた結果として付いてきたものもあったが(性格的には少し明るくなったし、自信もついた、などなど)、やはり小さなことでうだうだと悩んでしまうことには変わりないし、しんどいことにはしんどい。それに、ストレス耐性も大して変わらなかった。

そして、僕が最終的に行き着いた結論は、身体に人それぞれの強さがあるように、心にも人それぞれの強さがある、ということである。残念ながら、僕は心が強くはないし、どんなに鍛えたところで、本田圭佑ばりのメンタルを発揮することはできないのだ。悲しいことだが、それが現実である。

しかし、心が弱い人にも、よい部分はある。例えば、僕は友人に、やたらと「優しい」という評価を受ける。仲良くしている人で、言われたことのない人はいないくらいである。この優しさがどこから来ているのかと考えたとき、それはやはり、僕の弱さからだと思っている。僕は心が弱く、ガラスのハートとかいうレベルをすっとばすくらいに繊細なのだが、この繊細さのおかげで、人の痛みに敏感になれたし、場の空気を察知するのにも、それなりに長けていると考えている。人の表情や仕草から、どんな気分かをだいたい分析することもできる。だから、スターにはなれないが、自分から進んで潤滑油になることもできるし、なんなら、空気清浄機になることもできる。(と、自分では勝手にそう思っている。)

結局、なにが言いたいのかというと、この世界は心が弱い人にはやはり厳しい世界だし、それはこれからもずっと変わらないだろうということである。しかし、心が弱いからといって、そのことで悩み続けるには、人生は短すぎる。心が弱い人にも、絶対いい部分はあるはずなのだ。こんなことを偉そうに言って、果たしてどのくらいの人が賛同してくれるかはわからないが、メンタルが弱いことや心が繊細な人も、きちんとそれが個性として認められるような社会になったらいいと思っている。

追記
最近、HSPに関する本を読みました。少しずつ、繊細な人にも優しい社会になっているのかと思いました。僕も頑張ります。

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