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データの世紀

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2019年度の新聞協会賞を受賞した日本経済新聞社の「連載企画『データの世紀』とネット社会に関する一連の調査報道」の次期連載に向けて、このマガジンでは「データの世紀」をテーマに書か…
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#データ至上主義

【「データの世紀」取材班から意見募集】データが導く「正解」を信じますか?

日経の連載「データの世紀」のデスクをしている植松正史です。みなさんからのご意見募集の第3弾です。今回のテーマは「データが導く『正解』を信じますか」というものです。 実は私、先週から取材の一環として職場でも家でも常に、自分の「ストレス値」を測る装置を身につけています。銀繊維が縫い込まれた専用のシャツで、心拍などの生体データから算出される仕組みですが、これがなんとも妙な気持ちにさせるのです。 例えば職場で、自分ではリラックスして仕事をしていると感じている時に意外に高いストレス

データが導く正解とは

COMEMOの方で意見を募集しているということだったので、「データが導く『正解』を信じますか」という質問について考えてみたら、信じるとか信じないの前に、「データが導く正解って何だ?」というところで思考が深みにはまってしまいました。。。 運転を例に考えてみましょう。自動運転ではなく普通の運転です。これは、周りの車や歩行者、道の状態、天候や車のスピード、目的地までの距離、約束の時間や自分の疲れ具合などなど、ものすごい量のデータを脳が絶えず処理しながら、今すべき動き(ハンドルを切

データを経営に活かすなら、まずは経営学を学ぼう【前篇】

新聞協会賞を受賞した日経企画「データの世紀」とCOMEMOの連携企画がスタートしている。すでに連携企画第3弾まで進んでいるが、今更ながら、本企画に参加してみたい。 主題となるメッセージは、「基礎理論を勉強せずに、データを盲信するのは止めよう」だ。 直近10年ほど、データ分析は東西問わず、世界的なビジネス上の関心事となっている。ビッグデータのアナリストやAIのエンジニアは、最も採用競争が激しい人材の筆頭と言える。業種や企業規模を問わず、データを活用した事業展開や経営への注目

データを経営に活かすなら、まずは経営学を学ぼう【後篇】

前篇では、経験と勘による意思決定から卒業するために、定型化された事実法則に基づいた意思決定をするためにデータを活用しようと、エビデンス・ベースド・マネジメントの考え方について述べた。後篇では、HRアナリシスと呼ばれる、組織内のデータや従業員データの活用について考えてみたい。 組織内のデータや従業員データの活用について、世の中の流れを見ていると、従業員の行動データを収集して効率と生産性を向上させようという試みを数多く目にする。例えば、東急不動産の記事にあるように、従業員に脳波

データが導く「正解」を信じますか?

 データを使うということは、とり組んでいる課題に、科学的な態度で向き合うというである。  このデータをどのように科学的に捉えるかについては、長い歴史がある。だから、自己流や個人の主観的な方法をとらないことが重要である。  ここで思い出すのが、科学哲学者カール・ポパーの立場である。将来のデータによって反証可能な命題こそが科学的な仮説であるという見方である。データができるのは反証だけだというのである。しかも、反証不可能な仮説は、科学ではない(宗教や信念などになる)。  大事なのは

データとの付き合い方 ~データの世紀~

データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝ると思いますか。 逆に「この場面・分野は、データ分析ではなく人間の判断が優先されるべきだ」というケースは、どういう場合でしょうか。 これを考えることは非常に重要だと思った。なので、自分の思うところを少し書いてみたいと思う。 「正解」とは何か?本題に入る前に、言葉の定義を確認しておきたい。「正解」とは何か? デジタル大辞泉によると、【正解】とは「正しく解答すること。正しく解釈すること。」らしい。 では

データが導く『正解』を信じますか

・データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝ると思いますか。逆に「この場面・分野は、データ分析ではなく人間の判断が優先されるべきだ」というケースは、どういう場合でしょうか。ご意見をお聞かせください。 (意見)データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断より勝ると思わない。例えば自動運転車が今後社会に浸透することが想定されているが、まっすぐ進むと人が5人亡くなってしまう、またハンドルを切ると自分が死んでしまうというケースを想定して

データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝るか

データの分析が導く「正解」が人間の判断よりも勝るのは、自然科学に関連する分野でしょう。 といいますのも、自然科学の分野は、人間がどのような理論や法則を考えようが、自然現象はその影響を受けずに自然の摂理の元に動きますから。 このため、データ分析の判断が人間の判断よりも勝るのではないでしょうか。 データ分析により、天気予報の精度が向上していることが良い例だと思います。 逆に、データ分析が必ずしも優先されるとは限らないのは、社会科学に関する分野でしょう。 特に経済の分野等

日経のデータの世紀さんはみんなのフォトギャラリーにヘッダー画像追加してもいいんじゃないのかな?ってか欲しい(笑)

日経COMEMOで意見を募集しているから、投稿してみまあああああっす ざっくばらんに、ざっくばらんって変な日本語だな 行きたいと思いまああす 今回のご意見内容引用: ・データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝ると思いますか。逆に「この場面・分野は、データ分析ではなく人間の判断が優先されるべきだ」というケースは、どういう場合でしょうか。ご意見をお聞かせください。 もちろん、「あらゆる場面で、データ分析による正解を求めるべきだ」とか逆に「データ

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データが導けるのって「正解」というよりもむしろ「ありえそうな解」というのが私の感覚

データの世紀のご意見募集第3弾。 仕事でデータを使っていますし、私のこれまでのキャリアを省みるとデータとは切っても切れない関係があるので、自分の考えを書くことにしました。 さて、企画の内容の確認から。 ・データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝ると思いますか。逆に「この場面・分野は、データ分析ではなく人間の判断が優先されるべきだ」というケースは、どういう場合でしょうか。 ご意見をお聞かせください。 まず、話を進める前に「データ」と「正解」を

AIは資産運用を「正解」に導けるか

中央銀行総裁の表情のデータをもとに、将来の金融政策を予測するという画期的なAIが、市場で一時話題を呼びました。そうやって導かれた投資判断は、果たして「正解」なのでしょうか。 投資家にとっては、データが自らの資産形成に貢献すれば「正解」です。しかし、データが市場の公正な価格形成を歪めたり、不健全な取引を助長したりするのであれば、多くの投資家にとって「正解」ではなくなります。 一方、大多数の投資家が「正解」であると信じて疑わなかった投資判断が、実は資産バブルを助長したに過ぎな

「データ」の話にほしかった、「人」の話(11/01 COMEMOイベントレポート)

前説:尖った質問集昨日、またまた日経COMEMO主催のこちらのイベントに参加してきた。 来て早々、早速尖った質問が複数用意されており、暫し考えていた。 各問いに対して簡潔に答えを明記するならば、下記のようになる。 Q. 会社が、従業員の内面のデータを集めてそれぞれの集中力やストレス値などを算出する技術を導入することに、賛成ですか。反対ですか。もし実体験があれば、そのエピソードも含めてご意見をお聞かせ下さい。 A. そもそも、その「集中力」、「ストレス値」を算出し、どの