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親の愛情は、いろいろ。



以前にTwitterで、

「発達障害を抱える若者たちに質問です」

というツイートが回ってきた。

そして
「親から告知され支援に繋がった方が良かったか」
「定型児たちと同じように育てられ、障害があることを黙っていて欲しかったか」

という質問が投げかけられていた。


当時娘に発達障害があるのでは、と感じていた私は、その質問に凍りついてしまった。そして、凍りついた自分にびっくりしてしまった。

そうか、娘が生きやすいように親がどうやって導くかということばかり考えていたけど、この先発達障害の診断がおり、分別がつく歳になった時、自分と定型との違いをどう受け止めるのかまでをきちんと考えていなかったのだ。

そして、リプ欄を見に行くまで、
「教えて欲しくなかった」
「知らないままでいたかった」
等の意見が多いのではと思った。

なんとなくだけど、日本って身体障害者や妊婦、ベビーカーの人への心のバリアフリー進んできてるイメージだけど、精神障害者、発達障害者への心のバリアフリーなかなか進まないよね。

理由の一端として、犯罪発生率を挙げる人もいるけど、(一般の人の犯罪発生率の方が多いって何かの記事で読んだけど)

なんかこう、やっぱりコミュニケーションが通じにくい違和感や恐怖感であったりとかを拭えない人が多いからなのかな。

世間からの偏見が根強いから、障害があることを受容できないで苦しんでる人、死ぬまで折り合いがつかなくて他者の助けが必要な人もごまんといると思うから、知らないままでいたいというリプ、多いんじゃないかなって思ったんだよね。

あと、精神障害者と発達障害者ごっちゃになってる人が多い世の中でさ、一括りな偏見受けてる人もいるだろうし、わざわざカミングアウトしない人もいるだろうし。


ほんでリプ欄読みにいったらさ、

思ってたのと真逆の意見がほとんどだったの。


「ちゃんと調べて早期に適切な対処して欲しかった」
「自分が知った上で、足りない部分を補う努力をできて良かった」

みたいな意見が多かったんよ。

そして、大人の発達障害に苦しんでいる人の多いこと。
親に適切に対処してもらって生きづらさと折り合いをつけられている子も多いこと。

このツイート有意義すぎだなって、なんかめちゃくちゃリプ読んだ記憶がある。



過去から自分の骨を拾う

娘の発達特性を観察して3年、色々な情報をかき集めている過程で、私と夫についても当てはまることが多すぎたことに笑ってしまったことがある。(夫は発達障害への受容が希薄なため夫婦で話し合ったことはなく、私が勝手にコッソリ思っている。)


夫はADHD感強め。

片付けしようと思えば出来るが、ちゃんとするのは半年に一回程度。散らかり様が自分にとって重大なバグだと感じるまでは絶対しない。自分のスペース以外はゴミを片付けない。
食器の片付けも、いつも1枚か2枚テーブルに残す。皿を片付けるが、ドレッシングや醤油を台所まで絶対持っていかない。というか、気付いていない。

トイレの電気はいつもつけっぱなし。
歯ブラシも棚にしまえない。
服も脱いだら脱ぎっぱなし。
洗濯の一連の動作が煩わしすぎて出来ない。

興味のないものの管理がめっぽう苦手。
税金系、財産系、保険書類系、自分の服の枚数管理ホント無理。
今は懐かしいチュートリアルの徳井の申告漏れのニュースでは、徳井に深く共感し擁護していた。

興味あるものの管理は完璧に近く、仕事速い。

テレビ、スマホ見てる時は声掛けても9割無視される。無視してない、聞こえないんだ。

作業中に呼びかけ等のノイズへのストレス耐性弱弱。


私はASD≧ADHD感とHSP感あり。

人とのコミュニケーション大の苦手でストレス耐性弱いけど、それなりに取り作れる。でも結局ストレス大きいのでほとんど維持できない。私の特性を分かって、私を気に入ってくれた人とは逆に長く続く。

冗談を間に受けること多く、不用意な発言をしがちで後で気付いてお風呂で反省会して繰り返し。
反省したことを考えすぎて感受性も高めだから一生後悔するほど記憶に残る人生。でも忘れるから同じことたまーに繰り返すのが辛い。

コミュニケーションの途中で話の中心を絞れなくなっていき、自分の話をしてしまって失礼なことをしてしまうことがある。
話の文脈を読むのが苦手であり、わかるまで黙ってしまう。聞き役の方が楽。言葉のキャッチボールが苦手なのさ。相槌めっちゃするけど。

説明が下手。伝わりやすい説明をめちゃくちゃ考えた結果、客観的にみてめちゃくちゃ分かりにくい説明になってた。

急な予定変更、特に仕事で混乱することが多い。想定してても、あれもしなきゃこれもしなきゃがブワーっと重なった文字みたいになって頭を占拠する。またはとっ散らかる。

この人融通効かないな、って思われてるなって感じることがあってめちゃくちゃ落ち込む。
寧ろめちゃくちゃ融通効かせたい派で、不快な思いさせるぐらいだったら自分の意思でさえ殺したいのに、なぜか悪い場面で自我がひょっこり顔をだして結果自分の意思を言ってしまい地雷を踏む。

人と目を合わせるのが苦手だから、気を付けてるけど、気を抜いたら合わせられない。

ルーティーン崩れるとストレス感じる。

気を抜いたら書類ミスするから、何度でも何度でも大丈夫って確認できるまで確認するよ。その作業で疲れがちだよ。でも、嫌いじゃない。キチっとした完成された書類好きだし、達成感あるから。

人の顔と名前覚えるの苦手。超苦手。

結婚前、一人暮らし期〜実母と暮らしてる時はADHD感強めだったかな。母への甘えもあり、家事ほとんどしなかったからね。だから、仕事にも100%没頭できたし、そこまで仕事の場面でASD感あるの気付けなかった。



こんなもんだ。
よく結婚して家庭を営んでるな。
私偉いのかもしれない。

偉いのかも、なんて字には起こせるけど、私は自己肯定感が低く、コンプレックスも特盛だと常日頃思っている。

影響されやすく、Twitterでもコミュニケーションが上手くいかないこともあって、落ち込みがちでSNS不向きだなって思うこともしばしば。

でも、結局こうして一方的にアウトプットしないと生きていけないから、これはこれでいいのだ。と思いたいなと綴ることを細々と続けて、書き散らすことがストレス解消になってる。


さて、話が大きくズレたけど、私の骨拾いの話だ(やっとかい)

直視できない恥ずかしい過去を弔っていくわよ。拾って拾ってnoteを骨壷にするわよ。


小さい頃私はとても「変わった子」と思われていると感じていたし、大人は「個性的」とよく褒めてくれたので、それを肯定的に捉え、コミュニケーションや距離感のバグを見て見ぬフリをして生きていた。

人間性を否定される事は無くもなかったが、否定した友達も良く私を受け入れて接してくれていたので、大きなイジメに発展することは無かったし、今思えば精神的に大人で優しい子が多かったように思う。みんな友達想いだった。

遠方に進学すると決め、着々と準備をしている最中、もうめったに会えないじゃん、なんでそんな遠くへ行くの、寂し過ぎると友達によく泣かれた。恵まれた環境で育った私は本当に運がいい。

なんというか、言うべきことと言わなくてもいいことの区別がちゃんとできてる子が多かったし、今よりも発達特性を性格とする時代だったので、特性に対するバリアが無かった。

今は、医療が進んで特性に名前も付き、知識が広く浸透したことで、発達特性=発達障害という間違った認識も広がった印象がある。イコールじゃないんだと知ったのも、娘がきっかけだったけど。


その後、地元の友達や周りの大人からの受け入れる愛に慣れきった私は、専門学校へ通ってから人間関係に躓きまくったのだった。

高校までは、長い時間かけて、田舎という狭いコミュニティの中でゆっくり私を知ってもらった上で成り立っていたコミュニケーションが、当たり前だが全く通じないことに気付くのに時間がかかった。

特に実習では、準社会人として見られて人間性を評価されるのが当たり前だった為に、礼節、人への対応、行動から見られる考え方を細かく直接的に指導された。
時間も限られているので、周りくどい言い方なぞ皆無で端的に強い口調で指摘され、自分の心の屍を歩く毎日が続いた。

社会ってこんなにストレスがかかる所なんだ、
社会ってこんなに自分を否定される所なんだ、
社会ってこんなに…こんなに…

と、子供の頃から人間関係をそこまで頑張ってこないで与えられたものを享受し続けた私は、自己肯定感が極端に低下してしまった。

でも、ここに至るまでお金を出してくれた親の期待を裏切る訳にもいかず、ここで踏みとどまり我慢して進まなければ社会の一員にもなれない。

解決策が見つからないまま我慢だけ続け、精神的に不安定な状態で、あれよあれよと国家試験。あれよあれよと就職活動。あれよあれよと車の免許を取り、あれよあれよと国家試験に落ち、あれよあれよと実習先の先生に拾って貰い、無資格で働きながら勉強し、一人暮らしし、就職先の先輩とお互いに独りよがりな恋をし、1年遅れて国家試験に受かった。

試験に受かり無事免許を取ってはいたが、まあ酷い生活を送っていた。
今思うと、元々あったADHD特性がストレス負荷が大きいことで大爆発してた時期で、日常生活の管理がほぼ上手く出来なかった為、部屋が汚すぎたし、よく風邪も引き、二次障害を引き起こしてたんだと思う。

免許を取っても、上手にやりがいを持って働けない日々。
どんどん勉強するたびに、自分の能力に見合ってない資格を取ったのではと考え込む日々。
はじめての恋愛に失敗して、異性から愛されることに自信を無くし自己肯定感がどん底まで低下する日々。

心が黒く、元気のない日々が続いていた。


そんな時、SNSでのブログに初めて手を付けた。

同時期、昔から私に精神依存が強かった母とも暮らすことになり日常生活が整い、アウトプットしながら他者の言葉をインプットする場を得た私は、みるみる精神衛生が整っていった。

だが、これも根本的な解決にはならなかったのだが、当時の私は社会人になって色々な人から色々な話を聞き、意識が高い風の事を言うとても痛い人間となっていた。

ネットリテラシーが高い人を選んで友達になり、オフ会も沢山した。

仕事以外の社会を知り、人を知り、人間関係や会話のバリエーションを常に勉強していた気がする。

本当に痛い人間だけど、仕事に活かそうと、人間性を高めようと、その時の私は必死にもがいていた。

ここでも良い関係を自分からは作れず、自分より大人の人たちに作って貰っていた。その人達は今でも友達で、未だに会って飲んでくれるので感謝しかないし、絶対に交友を維持したいと思える人達だ。

今の夫とは、そのSNSのオフ会で出会い、飲み友達の一員となり、10年後ぐらいに結婚に至る。

お互いに印象は最悪で、長いことソリが合わなかったのだが、10年掛けて2人とも精神的に落ち着いて許容範囲が広くなり、気が合い、付き合うことになった。

私は身体のコンプレックスだらけなのだが、その中でも下の毛に白髪が混じっていることが結構大きなコンプレックスで長年の悩みだったが、彼は引くどころか「お前下の毛メッシュキメてるやんか、やるな」と冗談めいてポジティブに言われた時は驚き、この人と結婚しようと思った(何の話や)

そして仕事を辞め転職し、彼の元に転がり込み、結婚し、新しい職場でも臨機応変に対処する難しさに苦しみ、また人間関係に躓いている。

生きにくい。とても生きにくい。
12年間働いた前の職場では、12年かけて自分が働きやすくなるよう、生きやすいように頑張っていたことが、新しい職場では通用しないことが多かった。

人も環境も変わるので至極当たり前の話なのだが、自分が応用の効かない人間だと気付き、苦しい気持ちは今現在も続いている。

30代前半男子のキッツイ冗談や、冗談のウソを軽く流せない。デリカシー無いなって思う上司からデリカシー無いって言われることが辛い。

転職も考えてるけど、これって逃げになるのかな、っていう気持ちを抱えて気付けば5年だ。

育休は、自分を省みるいい機会だとも思い、自分の理解を深めては傷付いての繰り返し。

大人の発達障害を調べては休み、調べては休みを続けて、どうしたら生きやすくなるかを考えながら日々暮らしている。

こんなコミュ障をこじらせた大人だから、ママ友なんてもっての他である。いつになったら作れるんだろう。都市伝説じゃないの?ママ友って。


家庭の外の人間関係に悩みすぎて辛くなり、長年の友達に、私、大人の発達検査受けてみようかなと思ってるのと話したら、

「アホか、そのお金で美味いもん食いに行こう。大人だからって、完璧な人なんていないと思うよ。真面目に考え過ぎないで生きなよ。」

と言ってくれて、とりあえず検査は保留することにした。

娘が私めいた特性ある感じだから、勉強の為にとも思ったんだけど、思い詰めすぎないで、客観的に見た自分を認めるところからまず始めようかなって。

こうやって辛くて死んでいった私を拾える分だけいっこいっこ拾う作業の繰り返し。

生きやすいように生きれない自分がホントに情けなくて、いつになったら他人に迷惑かけることなく心地よく生きていけるのかな〜って。

あ、でも結婚して良かったのが、彼がADHD特性強めの人だから、勝手に家事スキル上がって、書類作成や管理、苦手だけどまあまあ出来るようになったから、私のADHD特性薄くなった気がするんだよね。気のせいかもしんないけど。




私の両親

父は超絶エゴイストな人だった。
自分が1番正しく、間違いを絶対に受け入れず、交友関係は広いが続かない。仕事も長く続かない。結局自営業と母の稼ぎで私は育てられた。

プライドに触ったり、気に入らないことがあると大声を出して怒り、感情のコントロールが上手くなかった記憶がある。「変わってるよね」という言葉で人から距離を取られていたと思う。(未だに大声で出す人無条件に苦手)

習い事も沢山させて貰ったけど、私の将来を思っての習い事、というよりは「自分の子は賢くなければいけない」「自分の子にはこんなに未来投資してるマウント」の為なのかなって感じたこともあった。

沢山経験させて貰ったことは感謝してるけど、洗脳みたいに通わされてた部分もあって、水泳以外は身に付かなかった。あれも親としての愛の形だったのかな。しんどかったけども。

そんな父から私は「父性愛」を感じたことがなく、大人になってから欠けた部分を補うべく、恋人に「父親」「異性からの無条件愛」を求めてしまい、無意識なファザコンとなり上手く恋愛関係を築けない子だった。しかもこれに気付くまで長いこと時間がかかった。

父は、何かしら精神障害あったんだと思うんだけど、私父が嫌いで、両親の離婚を機に縁切ったからさ、これ以上父に対する考察深めたくないんだよね。

離婚してからも会いたいって言われたから、当時住んでた京都で1回だけ会ったんだけど、いざ行ったら新しい恋人へのデートの花用意してて、恋人が来たら「さ、京都案内してくれ」とか言うの。
そして「明日も案内宜しく」とか言うのよ。私仕事あるのよ。親のすることじゃないわよ。

この件で、この人は私の「父親」ではなく、「生物学的上の親にあたるヒト科の生物」となって、結果私は父親を捨てた。サイコパスみを感じたし、もう二度と関わりたくない。

その後父は結婚して、親戚の葬式でその結婚相手とも会ったけど、終始恋人手繋ぎして気持ち悪いわ、私がいたことに気付かないわで、無いわ〜、ホント無いわ〜、だった。


母は、懐に入れた人には愛情深い人で、しっかりしてる様でぽやぽやしたとこがあったから父に捕まっちゃった様子。
父と結婚する前、母には婚約者がいて、結婚直前に婚約者の浮気発覚して、婚約解消したとこに父に口説かれて、判断力低下したまま結婚しちゃったんだよね。

母もプライド高めな人で、周りから美人でいい人って言われること多かったから、浮気されて婚約破談になったことかなりショックだっただろうな。

父はまあまあの学歴で地頭良かったし、母はそんな人だから、私に発達特性があったとしても受容できなかったと思う。父もしかりだけど。

自分の子が発達障害持ってるわけない!!
みたいな。

ひとりっ子だったこともあり、父があんなんだったから母の家族愛を私1人が受け入れることになり、私も特性へのテコ入れ無くのほほんと生きていった。

だから社会に出てからホントに色々苦労した(上記骨拾いエピソード参照)

大人になってから思うと、今働いている資格も生きる上で大いに活躍してるけど、ホントにやりたい事は何なのか分からないまま専門学校に誘導された感もある。
1人の人間として尊重されていたと思える一方で、感じる無理矢理感も否めない。

でもそれは私の能力の問題もあって、見合わない資格だと思う時もあるけど、資格があるおかげで子供達を食わせていけてるのもあるから、後悔してないし、感謝してる。




親の愛情

話は冒頭に戻るのだが、うちの親だったり、夫の親、ネット上で見るパパさんママさん、保育園で会う保護者の方々、親を経験した友達、私達夫婦、当たり前だけど親の愛情はそれぞれ色々だ。

子に注ぐ愛の根底に、自分の親の愛情が土台となっている。

私の親は、発達特性に対して見る気も気付きもしない人達だったし、そういう時代でも無かったけど、私は親にどう育てて貰ったかを覚えており、いい部分は子供に活かそうと思っているし、されて嫌だった事は絶対にしないと決めているし、ここにはアプローチして欲しかったところは尊重しながら手助けしてあげたいのだ。

あんな父親だったけど、命を否定せずに生かしてくれたお陰で私は結婚し、娘と息子を授かれたので、そこは感謝している。孫にとっていい祖父ではないと思うので会わせることは今後もきっと無いだろうけど。

義父はそこを良く理解してくれていて、じゃあワシが2人分のおじいちゃんするからと言ってくれる人で、とってもありがたいし、娘と息子は義父が祖父でとてもラッキーだと思う。


冒頭のTwitterの質問は、発達障害、特性当事者である若者に投げかけられたものだから、
リプしている人の親側の意見は見えないままであるけれど、そこには見守る愛だってあったはず。

だが大多数の当事者である若者は、小さい時に対処して欲しかったと言う。
小さい頃の私も、もっと目を逸らさずに、可能だったらしかるべき場所に繋いで欲しかったと言う。

親というステージに立って、どんな愛情を注ぐのが子供にとっていいのか沢山迷うけど、大人になってから私みたいな辛い思いして欲しくないし、

特に娘は繊細なとこがあるから、二次障害で鬱になって自殺なんてケースも無くはない話だと思っているので、

娘の発達特性に向き合い、生きやすいように導くのが親としての役目だと思っている。

過保護に怪我しないように、歩く先の石を拾って綺麗な道を歩かせるのではなく、

あ、ここ石落ちてて歩きにくいね、この石どかす?避ける?どうしたい?1人でできない?よし、ママも手伝ってあげる、でも1人でできたら素敵だね〜をしてあげられる親になりたい。

正しく導く自信なんてこれっぽっちも無いけどね〜、いうて私、まだママ3年生だしな〜

導くだけ導いて、その過程で特性に気付いて自分で対処できるスキルが身に付けばよし、
頑張ったけど身に付かなかったら、丁度いい距離を模索しながら寄りそえればと思う。

告知するタイミングだって、発達過程での理解力の程度にもよるから、絶対に告知するかは断言できない。それは子に合わせて、というところ。

そんな親でいいかな。いいのかな。
って考えながら死ぬまで親してたい。


むすめ〜、むすこ〜、
愛してるよ〜!!!!!!

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