なぜ努力は続かないのか
目標に向かって走り出したけど、現実の厳しさや理想とのギャップが壁となり、諦めて引き返す。
また別の目標を掲げては壁にぶち当たり、引き返す。
そんな自分が嫌になるけど、理由を付けて正当化して、いつしか努力することを諦めてしまう。
これは僕がたくさん経験してきたことだ。
もし、この記事を見ている方も、同じような経験があるのなら、ぜひ一緒に考えてほしい。
「なぜ、努力は続かないんだろう?」
理由は1つだけ。
【目標にたどり着くまでが辛いから】である。
果たしてこれは当たり前だろうか?
僕は、この理由を”山登り”に例えたい。
★ ★ ★
想像してほしい。
ある山には、東側と西側の2つの登山道がある。
あなたは山頂=”自分が掲げた目標”を目指して、長く険しい道を進んでいくのだ。
まずは東側の道を見てみよう。
砂利で舗装された道がうねりながら延々と続いている。
少し勾配がきついが、登れなくはない。
周りにあるのは雑草と木だけ。山頂まで景色は一切変わらない。
次は西側の道を見てみよう。
こちらは道なき道だ。
岩をよじ登り、川を渡り、ぬかるむ急斜面をなんとか進む。
ただし、ほんの1時間も進めば、自動販売機がある。
さらに1時間ほど進めば、他の登山客と談笑できる休憩所がある。
さらに行けば、景色のいい温泉がある。おいしいレストランがある。
やがて山頂にたどり着く。
さあ、どちらの道を選ぶだろうか?
僕なら迷わず、西側の道を進んでいくだろう。
もしも、東側の道を選んだとしたら、自分はどうなるだろうか?
初めのうちはいいかもしれない。なんなら余裕だとさえ思うかもしれない。
ただ、そのうち疲労がたまっていく。足が重たく、なかなか前に進めなくなる。
景色も一切変わらない。
進む方向が合っているのか不安になる。
次第に、進んでいるのかさえも分からなくなる。
そして、「山頂に着いても、曇っていて景色が見えないかもしれない」とか、「人が多くてすぐに戻らないといけないかもしれない」とか、足を止める理由を探し始める。
やがて「山頂にたどり着いたって意味ないよな」と思い、諦めて引き返してしまう。
対して、西側を登ったら。
道のりは険しいかもしれないが、精神的には西側の方が楽だと思う。
「あと少し進めば」と、なんとか踏ん張れそうな気がする。
途中にはご褒美があり、いい思いができる。
たとえ山頂で景色が見れなくとも、その過程での仲間との出会いや、温泉から見た景色、レストランで食べた料理は、いい経験であり、思い出であり、財産となる。
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どうだろうか?
少々わかりにくい部分もあったと思うが、「努力」を「山登り」に例えてみた。
努力が続かず、すぐに諦めてしまう理由は、ゴールまでの道のりに”何もない”からだ。
未来のことは誰にもわからないから、「山頂にたどり着いても景色が見れないかもしれない」のと同じで、目標にたどり着いたとしても、そこで自分がどう変わるのかわからない。
たどり着いたって、理想の自分にはなれないかもしれない。
そう、目標とは”不確かなもの”なのだ。
そんな不確かなもののために、進んでいるのかさえもわからない道をひたすらに歩くのは、とても辛い。
それだと辛すぎるのだ。
諦めるのも当然ではないか。
それならば、自分にとってのご褒美を途中に用意しておけばいい。
ゴールへたどり着くまでに、小さな喜びや感動を積み重ねていけばいいのだ。
ご褒美はなんでもいいと思う。
ダイエットを頑張りたいなら、その過程をSNSにアップして、同じくダイエットを頑張る仲間を作るのでもいい。
仲間からの励ましや「痩せたね!」などの誉め言葉なんて最高じゃないか。
資格を取りたいなら、勉強の傍ら、その資格に関係するアルバイトをして給料をもらうのもいい。
勉強したことをnoteで発信して、フォロワーを増やすことに喜びを感じたっていい。
コメントやサポートをもらえたら、さらに勉強がはかどりそうではないか。
なんだっていい。
目標までの道のりに、自分が喜びや感動を感じられる何かをたくさん散りばめておこう。
それらを拾い集めながら進もう。
それさえあれば、もう怖くない。
僕らはいつでも走り出せる。
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