「正欲」から考える①


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『自分が死なないで生きていることがいいことなのかは、正直、わからない。』

なんとなくわかるようなわからないような。

少なくとも、確実に違うと言い切れるのは、
自分の場合は「死にたい」ではないということ。

当たり前だけど、
「生」があるから「死」がある。
だから、「死」という単語を使うことは、
自分がそれまで生きていたことの証になってしまう。

違う。生きてなんかいない。
なんて言えばいいのかわからないけど、
生きてはいない。
生きていることにしてほしくない。

だから、感じるのは、「消えたい」。

自分という存在なんて最初からなかったことにして、
この世の誰の記憶にも残らずに、
ひっそりとただ一人で消えてしまいたい。


どこにいても、仮面をつけている。

「生きている」ように見えるように。
不適合者として排除されないように。
消えたがりの自分を押し殺して、
社会から見た「普通」でいられるように。

「普通」から外れることを、恐れている。

「普通」ってなに?
誰が決めた、誰基準の話?

多数派であること?
じゃあ、多数派が「普通」って誰が決めたの?

適応障害な自分は「普通」じゃないのか?
抜毛症な自分は?
過食症(摂食障害)な自分は?

どれもこれも、同じ症状で悩む人たちからしたら「普通」なのに。

少数派であるだけで排除される。

「普通」に適応できない人はどうすればいいのか?
多数派の「普通」に合わせるしかないのか。

社会には多分、時代とともに築かれた、
目には見えない「普通」という枠がある。

そして、その枠から外れる人を徹底的に排除する傾向にある。
気持ち悪い、頭がおかしい、と言って。

馬鹿にするな。侮辱するな。軽蔑するな。

そんな時代、やめようよ。
そんな教育、やめようよ。

「普通」なんて言葉、なくなればいいのに。



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