奇跡という言葉は嫌い

先に観劇していた友人は「あたたかい雰囲気」のコメントを、
SNSに載せているし。
タイトルだけでは絶対に観にいかなかった。

どんな文脈で使われる『奇跡』が嫌いなのかというと・・・

2004年10月23日、午後5時56分。
新潟県中越地方を震源として、マグニチュード6.8の地震が起こりました。"新潟県中越地震"と名づけられたその地震により、闘牛や錦鯉の産地として名高い山古志村(現・長岡市)も非常に大きな被害を受けました。その山古志村で、失意の底にいた人々を勇気づけた奇跡のエピソードがあったのです。
健気に生きる犬と人間の魂の交流が生んだ、真実の家族と奇跡の物語が観る者の胸を震わせる。

この文脈で使われている
奇跡という言葉が、ほんとうに、嫌い。
この感覚を誰かにわかってもらうとしたら・・・
東日本大震災以後の、「絆」という言葉に対するアレに
近いものだと思ってもらっていい。
(震災以前からなので、ただの僕の性格なのだけれども・・・)

本来、奇跡とは・・・
1.常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。
2.キリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる
 不思議な現象
(引用元:デジタル大辞泉)
・・・ぐらいの意味で。

想像を「ちょっとだけ」こえた動物の行動をさして奇跡とはいわない。
(生物の本能からくる行動はもちろん奇跡ではない。もし、天気なんかが味方をしたら、それは偶然という。偶然が重なった結果「奇跡のような」出来事が起こることもあるだろう。母犬が子犬を守り育てるのも、人を待つのも、何も奇跡じゃない。
 極端を言うなら、もしも、犬が猫を産んだら・・・そりゃ奇跡だけどさ)

見た人の心が温かくなる、みたいなオマケのニュアンスはない。本来は

でも、そんなニュアンスの作品を目にすることも多いから
ハードルをめちゃめちゃ下げて観に行った(ごめんなさい)

舞台上になにか“奇跡”のようなものが生まれそうです。

作・演出の川名さんのコメントを観劇前に読んだ時も
(奇跡ねぇ・・・)
と、ため息が出たし

でも観劇後に読み直したら・・・見え方が変わった。
奇跡のあとに「のようなもの」がついていたのは、
たぶん ちゃんと意味があった。

「奇跡を待つ人々」の奇跡は
そんなことは起きない・・・と思われてしまう、
そういう奇跡で。
起きないかもしれない何か を、想像したり期待(?)したり・・・
もう起きないことが分かっていて
でも、もしかしたら 起きなくないかもしれなくて・・・
それを待つ(祈る)人々の話だった。

祈りが、舞台の上や 僕の内面に現れる時
諦めのような空気があったし 絶望みたいな匂いもしていた
舞台が終わったところで それが払拭されることはない

先に話すと・・・観劇していた僕の中にも
途中 物語の展開に ハッピーエンドも、バッドエンドも
なにも確信がもてないのに
何かを ≪祈るような気持ち≫ が生まれてしまった・・・
奇跡を待つ人々の、傍らに立った。

友人が「あたたかい雰囲気」のコメントを残したのも
合点がいった。何かを祈ったのかもしれないし
誰かの祈りを理解したのかもしれない。

人間と、そうでないものの違いは何か?
人間とは何か? という問いに対する答えは、
いつも見つけられないのだけれども

丸山港都さんが演じる役(役名は忘れた。以下、丸山さん)に何をしたら怒るのか。何をしたら喜ぶのか思いつかない。
人命軽視してみたり、人命を何よりも尊んでみたり、快楽主義に走ったり、救いのない俗世への帰還を望んでみたり、終始行き当たりばったりなリアクションを取る。

これには僕も、大いに同意。
イチの行動(性格)は、ほんとうに理解しがたい。

だから
「ああ・・・これを、いちばん人間らしい ということにしたのかな」
と解釈した。

人体実験に使われるような労働者
今まであまり つきつめて何かを考えることはしてこなかった
自分の矛盾に気がつかない
そういう、人間

(僕は身近に、己の矛盾をわからない人がいたから・・・
 そういう人が ある意味、一番人間らしい と思えたのかな)

AIは・・・作り物だから、キャラクターが一貫している。
一貫しているからこそ イレギュラーが発生した時に
きちんと混乱していた。人間<らしかった>
人間のような、ふるまいをしてた

いろんなコトを考え尽くした・・・と思って、考えるのをやめ
あきらめている人も たぶん、そう。
つきつめた結果 もはや一貫しているかのように見えるが、
イレギュラーに対しては過剰に反応する。
自分が人間であることを思い出したくない 人間

エグジさんは、もしかすると <人間らしさ>を失った後
また 取り戻そうとしはじめた人間なのかもしれないな・・・
間に合うのかどうかは、わからないけれども。
合理的に考えれば、やらなくてもいいことをやる 人間

計算できない
読めない
利益のない行動をとる
結果の分かっていることを、わざわざする

不安って、そういうことか。

それを【人間】と定義したのかな・・・とか。
イレギュラーは、イレギュラーだから
そりゃあ意図的にプログラムできないよな。

※あくまでも個人的な解釈と感想

観劇後に合流した連れにも、散々っぱら感想を述べたので
妄想はこのぐらいにとどめる。

舞台が霊安室に見えたという、ザンさんの感想も
すごく面白かったし・・・
自分は こういうSFが好きなのだけれども
SFとして足りていないという解釈も見かけたし・・・
途中で引用させてもらった、うらさんのような
あまり好きではないという意見もあった。

ただね、意見が出てくるのが いいと思う。
可愛さ余って憎さ百倍 じゃないけれども・・・

あんまりにも面白くなさすぎると
それにかけるエネルギーがもったいなくて、
なんの言葉も出てこない。
(この感覚は、笹本さんが演じていた人間と似ているね)

味が無ければ・・・
「うまい」も「まずい」もない。

感想や意見が出る、ということは
なにかしらの味がして みんな刺激されたのだなぁ。と。

僕には東京夜光の「奇跡を待つ人々」、おいしかった。

おいしいものを食べたいと思います。あとは、本を買います。