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#210 文庫化

おはようございます。介護と生活のもろもろを書いているフミオです。
地域のことで、「理不尽だな~」と私は、思ってしまうんですね。頭からそのことが離れず、寝不足で起きてnoteしています。
また、そんな個人的な地域の見え方、考え方がnote出来たら綴りますね。

さて、私のnoteもイトルの下書きは令和5年10月28日にしておいたものです。私のnoteも210日目と210以上のタイトルのnoteを綴ってきました。

そんなことを過去の私はnoteしたいと思ったようです。


■10月28日、元書店員だったから思ったこと


 プロフィールにもちょこっと載せています。私、医療や介護、福祉のことを長くやっていましたが、本屋さんにも勤めていたんですよ。雑誌・文芸・文庫などいろいろ担当した経験があります。

その時に、文庫本の役割を知りました。ちょっと、お話すると、文庫本のメリットは、過去の古典や文芸書が小型になり形態し易く、印刷・紙代のコストもかからず読んでもらいやすくなることがあるんです。

そして、その効果は、「ちょっと読んでみようかな?」という読者の気持ちになるので、著者さんにすると書いたものが読まれやすく、お金にもなるので「お得」なんですよね。

そこで、私も考えました。noteで「デジタル文庫化」にと私のnoteを・・。

■単なる自己満足が文庫化して、誰かのスキを創ってくれる


 本来の文庫化は、古典や文芸書などから実用的な内容、ビジネス書で「意味がある」ということで出版社の方と著者の方が協働して作品になります。

しかし、私のnoteは、作家さんでいう担当さんがいるわけでもなく、ただただ私の一方的な情報を発信しているだけなので「意味、あるのかな?」と考えてしまいます。

毎日にnoteしいると、今日のnoteに「スキ」をしてくださる方や以前書いたnoteに「スキ」をしてくださる方・・・ビューもして頂けています。ちょっとした私のnoteが、誰かの何かにつながるっていいですよね。

家族や職場での感謝もありますが、あったことのない誰かの「プラスα」になるなんてすごいことだと思っています。

■自己満足の文庫化が、自信になる(個人的な感想)


 文庫化できるnoteの発信数が、私の自信につながっていることに気づくこと。何となく始めたnoteは、私の意思の継続を自分で試すための方法と基準でした。

でも、今は、書き出した時は、1000文字以下・・・。それが、いつしか1000文字以上~書こう!になり、現在では、1000文字を意識しなくても、綴れるようになっています。

すごいですよね。続けてみると、辛さを超えて習慣になり、その習慣が自信になり、更に、日常の些細なことをnoteに綴ろうってなってきたことが驚きです。

日々を当たり前に過ごさなくなっていることに気づきます。

■自己満足の文庫化のこれから・・・。


 今考えていることは、以前にもnoteしました。リライト(書き直し)して加筆・修正をしてみようかな?と思っています。理由は、今のnoteは、過去の私がタイトルつけてものに、書くときその瞬間の私を書いています。

リライトする時は、過去の私が書いたnoteがどうのように変化したか?を自分でも再確認できること・・・。これが一番かな?欲を言えば、その変化のまた、noteを読んでくださる知らない誰かの「スキ」になればもっといいと思っています。

■今日のnote


 noteを綴ることは、今の私を読んで「スキ」を誰かにもらいながら、文庫化した過去の私が誰かの「スキ」にもなるということ。そして、当然私の現在と過去と未来が確認できる貴重な財産にもなっています。

物忘れの予防にも、愚痴にも、嬉しこと言えますからね。

もしかしたら、言語化したら実現することがあるかもしれないです。
介護の経験を活かして書くことや、50代の生き方とか・・・。noteからお金を稼ぐことにつながり、老後の資金ができたり・・皆さんお願いします。

誰かのロールモデルになっているかも(笑)

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