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「もがく女の出版ヒストリー」平積みの夢を叶えるために~第11話

第11話:物を書くということ~エピローグ

読者さんからの感想が出版社に届いたり、
アマズンのレビューにもあがるようになった。

「この作品を読んで元気がでました」
「これみたら忘れていたものを思い出しました。ひたむきさ……です」
 
ほんとにすごいことだ。
まったく縁もゆかりもない、
会ったこともない知らない人からこんなメッセージや感謝の言葉をもらえるなんて。

その感想や手紙を読みながら、
あの大失恋からこれまでの一連の自分の行動をふりかえり

自分のしてきたことが間違ってなかったと確信する。

わたしが自分から逃げてたら、
あのとき腐ってたら
この感動はうまれなかった。

あのとき自分に芽生えた負の感情を、
別のエネルギーに転換したからだ。

物を書く、というエネルギーに……。

あのとき作品を書かなかったら、
あのとき出版社に乗り込まなければ、
このカンゲキは味わえなかった。

行動してなかったら
なにもしでかさなかったら、こんな思いはできなかった。

これはやった人間にしかわからない。

簡単に手にいれることができないものだからこそ
苦しみ悩み、試行錯誤する。
もがき続ける。
その過程があるからドデカイ感動が味わえる。

それは
不安や迷いに真剣に向き合い
試練や苦難にたちむかったからこその”神様からのプレゼント”なのだ。

だから人間は挑戦するべきだ、
とにかくやるべきなのだ。

男は裏切るかもしれないけど(笑)
自分のした努力は裏切らない!
自分のしでかす行動こそ血となり肉となる。

やった分だけ”何か”は得られる。
そもそもいまのこの喜びは恋愛の失敗からつながっているのだから……。

ーーその頃、ちまたでは”アメボロ”というブログサイトがはやっていた。

”アメボロ”は芸能人やアイドルもこぞってやっているブログで
利用者も多く人気のあるプラットフォームだ。

わたしは「逃げられる女」の読者さんの手紙やアマズンレビューをみていて気づいた。

もっともっと書きたい!!


……でも、物を書く仕事はしたいけど、自分にはコネもツテもない。

どこの馬の骨ともわからない人間が書いた
「逃げられる女」の平積みの夢は叶ったけど
それは必死に働いて店長に気に入ってもらって叶っただけ。

業界の人に気に入られたわけじゃない……。

しかし
読者さんからのメッセージをみて決心できた。

誰かが喜んでくれるなら
どの場所で書いたっていいじゃないか!


わたしの文章で誰かが喜んでくれるなら
わたしの書いたもので誰かが面白がってくれるなら
書く場所にこだわることはない。

とにかく、「書こう」

読者さんをたのしませるものを、読者さんに元気や勇気を与えるものを……
人を笑わすのは、怒らせたり、泣かせたりするより難しいこと。

だからこそ、やるのよ。

楽しいは正義!

楽しいは読者さんのため。

媒体はどこでもいい
書けるならどこでもいい
そう、アメボロで書いたっていいじゃない!

紙じゃなくたって
本じゃなくったっていいじゃない
書いたことを披露する場はどこでもいいじゃないか。

書くことに必要なのは見栄やプライドじゃなく
情熱だ!


見てくれるひとが喜んでくれるならわたしは幸せ。

だいたい
書き続けることなくして
無名の人間が何かを見出すことはできない。
いや、ネームバリューがないからこそ
書き続けなきゃいけないんだ。

何かを発信しなくてはなにも生まれない。

ええ、と……

そう、

「蒔かぬ種は生えぬ」だ!
(※なにかを決意するとき”ことわざ”を掲げるのは美佐子のクセである)

「蒔かぬ種は生えぬ」


何もしなかったら芽もでない
花はさかない。

誰にも負けない努力をすることで何かが生まれるはずだ。

そうだ!

「虎穴に入らんずば虎子を得ず」だ。


※豆知識……虎穴に入らんずば虎子を得ず、(こけつにいらずんばこじをえず)これは虎の穴(トラのケツ)の話ではない。
虎穴(こけつ)つまり虎が住む”ほら穴”に入らなければ、その中にいる虎の子を捕獲することはできない。 あえて、リスクを冒さなくては成果を挙げることはできないというたとえ。

……とはいえ、わたしは
虎の子は欲しくないけども。
しかしあえて冒険しなければ、なにか得ることはできない。

とにかく挑戦するのよ!

自分が投稿したもの、発信した言葉により
誰かが元気になってくれたら、誰かが笑ってくれたら……。

わたしは毎晩遅くまでアメボロの更新のため頭をひねり
これまでの自分の恋愛遍歴や自虐ネタをそのブログに綴った。
 
少しして読者さんからコメントがくるようになった。
社交辞令や挨拶代わりの「スキ」「いいね」ではなく
読み手やフォロワーさんの気持ちが書かれたコメントだ。

あぁ……わたしのメッセージが読者さんの心に届いてる。
訴求できてる♡

文章の力は偉大だ!

わたしのことを知らない読者さんが書いたものに共感してくれている。

たとえ物理的に離れていても
地球のこっち側と反対側に住んでいても
文章で距離が縮まる。

リアルで合わなくとも文章を通じて心の交流できるのだ。

またあのシーンが甦る……。
そう、小学生のとき国語の授業で
わたしの「チョビへ」の作文を先生が朗読してくれて
クラスメイトが拍手をしてしてくれたときと同じだ。

小学生の美佐子は犬のチョビが
この世から姿を消してしまった悲しみを文章に綴った。
「チョビへ」という題名のチョビとの思い出がつまった文章。
出来上がったその作文を担任の先生がみんなの前で読み上げた。

クラスのみんなは、先生の朗読を黙って聞きながら熱心に頷き、
最後は大きな拍手に変わった。

当時、引っ込み思案でネガティブ小僧のわたしは
自分の身に起きた事件や出来事も、自分の考えも言語化できずにいた。

チョビが死んだことも、たくさん泣いたことも誰にも言えなかった。でもなかなか口に出せないことを文にしたことで、自分の思いを形にしたことで、クラスメイトとの距離が縮まったのだ。

自分が書いた作文に友達が共感してくれる。

その時まで話したこともないクラスメイトが口々に
「ねぇ、一緒にあそばない?」と言ってきた。

そう、文章は“人との距離を縮める魔法のツール”


天国にいるチョビが”文章を通じて”わたしにお友達を与えてくれたんだ。
友達のいない美佐子を心配して……。
 
ーーアメボロのわたしのフォロワーさんが少しづつ増えてきた。
始めた時は0人、それが500人をこえたころ
ある大手ポータルサイトの会社から連載コラムの話がきた。

「神田さんの視点は面白い。うちでぜひ書いてみませんか?」


周りにはもっと多くのフォロワーさんをかかえてるひとはゴロゴロいたし
投稿したとたん「スキ」や「いいね」が何百もつく人もたくさんいた。
 
ただそんな凄いひとたちと違っていたのは
わたしはフォロワーの人数が少なくともその数に比べて
コメント欄が賑わっていたということだ。

「おもしろすぎます」とか
「続きが気になる~」とか
「今回もわらえました」とか
「この状況が目に浮かぶ」とか
「自分も同じようなことがあって禿同」とか
「読みながらコーヒー吹き出しました」とか
「電車の中でニヤニヤしてたら白い目でみられました」
など、そんなリアルなコメントの数々。

サクラじゃない、ステマじゃない。

真の読者さんが喜んでる姿。

 
著名人でもインフルエンサーでもない無名のわたしは
ただただ文章を通じて
フォロワーさんと交流できていた。

そこには「書き手と読み手の心のつながり」があったのだ。
 
少ないフォロワーさんでも
大手の会社から連載コラムの話がきたのは
ブログの内容だけでなくコメント欄もみててくれたから……。

実際の読んだ人の”生の声”がそこにあったからだ。

わたしはその会社と契約書を交わす。

「逃げられる女」を出版するときとはまた違う気持ち。

たしかにあのときも契約書を交わす際は胸が高まりドキドキした。

でもあれはわたしから、自ら持ち込んだ作品。

今回は違う。選びにきてくれた。
先方がわたしの文章を気に入ってくれて
向こうから「書いてくれ」ときてくれたのだ。

こんなに、こんなに、うれしいことってある???

「蒔かぬ種は生えぬ」


こうしてわたしは神田の書店員ではなく
物書きの仕事のスタートを切ることになる。

コラムニスト・神田美佐子の誕生である!

「今度はコラムニストとしてもがき続けていくのよ」


この先、わたしにはどんな試練が待ち受けているのだろうか?

でも、いいの。
諦めずにもがくことこそ、わたしの生きている証なのだから……。

<完>

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