見出し画像

【2022年中途入社】営業本部 開発チーム 林敏之

PROFILE

林 敏之 TOSHIYUKI HAYASHI

千葉県出身
千葉工業大学工学部 卒業
大学卒業後、設計事務所、投資用不動産開発会社を経て、2022年11月よりコロンビア・ワークス株式会社(以下CW)に参画。開発チームで幅広い開発案件に携わる。
学生時代のアルバイトは幸楽苑。

千葉のバスケットマンが部活の運営で得たほろ苦くも貴重な体験


千葉県白井市という梨が有名な街で生まれ育ちました。スポーツ一家だったこともあり、幼少期はとてもアクティブな少年でした。
運動全般が得意だったので体育の授業や運動会では結構活躍していたと思います!(笑)

習い事は小学4年生からミニバスチームに所属していました。
小学校の習い事が吹奏楽かミニバスしかなかったのですが、1つ上の姉が吹奏楽をやっていたので、何となく僕はバスケかなと…。(笑)
また両親がバスケ経験者だったので、身近なスポーツでもありましたね。
10名程度の小さいチームでしたが、6年生のときにはキャプテンを務めていました。

公立の中学に進学し、そこでもバスケ部に所属しました。
当時から背は高い方で、バスケ経験もあったので比較的早期から試合に出ていました。

一方で上下関係が厳しい部活だったので、先輩の様子を伺いながら雑務をこなすなど、後輩としてもしっかり仕事をしていました。
“世渡り”みたいな部分では、中学時代に学んだものが大きかった気がします。(笑)

また32歳になった今でも連絡を取り合えるクラスメイト達がいるなど、友人にも恵まれていたと思います。

あとは反抗期真っ只中の私を支えてくれた母には今でも感謝しています…。

高校はバスケ推薦のお話も頂いておりましたが、地元の白井高校に入学し、バスケを続ける選択をしました。高2秋から部長を務めていたのですが、ここでの経験が少し大変でしたね。

私が所属していた部活には技術的にチームを引っ張る“キャプテン”とメンバーをまとめる“部長”という役職があるのですが、少し方向性の違いが出てしまったなと。
結局、部内の関係を修復出来ないうちに部員も離れていき、とうとう試合ができる人数もいなくなってしまったため、私もバスケ部を去ることにしました。
やはり後悔もありますが、メンバーと本音で議論をしていく中で得たものや成長もあったと思います。

なので大変でしたけど本当に貴重な経験をさせてもらいましたね。

建築にどっぷりはまった大学生活


大学は千葉工業大学の工学部に進学し、建築の勉強をしていました。
建築を志望した理由ですが、きっかけをくれたのは私の祖父だったんですよね。

高校生の時に今の実家が祖父の設計で建てられた家だということを知る機会があって、当時は農業を営む祖父が設計したとは信じがたかったのですが、漠然と憧れを抱いたことを覚えています。

そこから建築系のオープンキャンパスに足を運ぶ中で、当時千葉工業大学の教授を務めていた古市徹雄教授との出会いがあり、建築の道に進む決定打になりました。

古市教授といえば日本の偉大な建築家の一人として知られており、これまで国内外で公共建築を中心に広く活動されてきた方ですが、実際に講義を見て自分が考えたものを具現化できる設計の仕事に魅力を感じました。

大学生活はとても忙しかったです。

1.2年生時は習志野キャンパスで建築の歴史や工法、一般教養などの授業を受けるのですが、3年生になって津田沼キャンパスに進級できるかというのが第一の鬼門でしたね。
課題が多く、単位の取得難易度も高いので毎年進級できない学生が一定数いた印象です。
4年生のゼミ選択では念願の古市教授のゼミに入ることができ、そこから意匠設計を本格的に学ぶことになりました。

ゼミでは古市教授の建築事務所で取り扱っている案件の模型を作ったり、CADで図面を書いたりするなど実践的な課題が多かったですね。
ご多忙な方だったので課題の提出期限もタイトなものが多く、寝ずに課題に打ち込んだ日もしばしばありました…。(笑)

卒業後は大学院進学を目指すも、希望が通らなかったため1年間は研究生として大学の研究室に在籍しており、色々な建築事務所でのアルバイトを通じて実践経験を積みながら、就職活動を行っていました。

現場で磨いた“雑草魂”


実は大学院に進学できなかったことが自分の人生で一番の挫折経験になっています。

あと就職を希望していたアトリエ系の設計事務所に最終面接で落ちてしまったことも…。

これまでの進路選択では推薦が多かったのですが、受験や就職での失敗を経て自分の現在地を改めて突きつけられた瞬間でした。

自分の実力不足を痛感したため、就職では大手の組織系事務所というより、小規模で色々なことに挑戦できる事務所を選ぼうと決めました。

雑草魂ではないですけど、まずは小さいところからコツコツできることを増やしてどんどんのし上がっていこうと思いました。

結果的には知人の紹介で受けた15名ほどの設計事務所に入社を決めました。

業務としては大手コンビニエンスストアの店舗設計業務がメインでしたが、設計に限らず、現地調査から実施設計、行政協議、工事監理など一貫して携わることが出来、貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

特にコンビニの場合は特殊什器への対応に苦戦することが多かったですが、その他にも変形店舗や、案件によって設計期間が短い場合など常に臨機応変な対応を求められましたね。

また専門性に富んだ職人気質な先輩が多い事務所で、淡々と業務を行っていたため、あまり何かを教えてもらった記憶はありません…。(笑)

少し昔っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、見て盗むこと、自分で考えて実践することの中で技術を習得していく必要がありました。

特に社会人1年目のときは一人で考え込むことが多く、苦労した記憶があります。

なので休みの日も現場に足を運んで、現場の職人さんにコーヒーを差し入れて、仕事のことを教えてもらって…。泥臭くがむしゃらに突っ走っていた時代でしたね。

社会人になって4年ほど経ち、さらに色々な建物の設計に携わりたいと思い転職をしました。2社目に入った会社は投資用不動産の開発を行う会社で、木造の共同住宅をメインに開発を行う会社でした。

在籍していた設計の部門も気づいたときには私1人になってしまったため、多いときには月間で100本以上のボリュームチェックをしていた時期がありました。

ただ前職よりも同年代のメンバーが多く、和気藹々としたアットホームな環境に居心地の良さも感じていました。また自分の業務工数を削減することと、後輩指導の一環として設計の研修を行う機会もあり、仕事を効率的に捌ける環境だったと思います。

キャリアアップを考える中で出会ったCWの印象


3社目となるCWに入社した経緯ですが、動機はやはりキャリアアップでした。

1社目、2社目と着実に出来ることを増やしてきたので、その経験を活かしてより多様なアセットに携わりたいと思ったことが転職理由として大きかったです。
また2社目同様、人やお金といったリソースを使う側として開発に携わりたい思いが強く、その設計業務を担うという意味でデベロッパーを志望していました。

転職エージェント経由で色々な求人を紹介してもらったんですけど、パッとみてCWがいいなって思ったんですよね。
自分が作りたいRC造のパリッとした住宅で、デザインも洗練されていましたし、何より同じものを作らないっていうのが一番魅力に感じたポイントでした。

まさにバシッとハマったっていう感じでしたね。

あとはどんな人が働いているのかという点でnoteもかなりチェックしていました。(笑)

ただ面接もフランクでしたし、何より現在の上司にあたる矢野さんとの面談が出来たことも志望度アップに大きく繋がったポイントでしたね。

どんな業務が多いのか、設計のソフトは何を使っているのか、など細かいお話までして頂き働くイメージが具体的になりました。
何より矢野さんの人柄の良さというか、この人と一緒に働いてみたいと思えました。

2022年の11月に入社してから早いもので4ヶ月が経とうとしています。

現在は営業本部の開発チームに所属しており、営業が仕入れてきた物件情報のボリュームチェックがメインの業務になっています。内容としてはとても責任の大きい仕事を任せていただいていると感じています。

なぜなら会社として投資のジャッジを行う上で、“その土地にどの程度の建物が建つのか”がわからなければ投資判断ができないからです。

もっと言うならば、私のボリュームチェック一つで投資出来ない物件が投資できるようになるし、逆も然りというケースが生じうる業務なんです。

なので作業的ではなく、敷地を目一杯有効に活用するためのプランを複数検討して、その中で最適なプランを提案できるよう日々試行錯誤を繰り返しています。

最近は新規案件のボリューム依頼も増えており、今後それらの物件が案件化した際には社外の折衝や開発にかかる細かい業務も担当していくことになりますね。

まだまだ知識不足だと感じる場面も多いですが、会社をもっと成長させて今より大きい規模感のアセットに設計として携われるよう、努力していきます。

未来のCW社員に一言


ものづくりを本気でやりたい方と一緒に働いて、建物に携われたら幸せだなと思います。

一方で思い通りにいかないことも多く、大変な業界だと思うのでやる気とガッツは必要です。ただ楽しいときは楽しく、頑張るときは頑張るという感じでメリハリを付けて働きたいですね。一緒に働けることを楽しみにしております!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?