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「今までの自分」と「優しさ」について思いつくままに考えてみた

優しさって何だろう?


子供頃から自分の事を「優しい」と思ったことはない。
人と関わることが得意だとも思ったことが無い。

今は結構明るくて陽気な人になっているけれど
変わろうとした明確なキッカケもなく何となく今に辿り着いた感じ…。

プライベートな人間関係は一対一だったり少数人数だったりするけれど
学校では大勢の中で生活するから
自分がどうしたいかの答えを出す前に周りは進んでいることが多かった。
焦りもあったかも知れないけれど、
そんなもんだと思って過ごしていた様に思う。

人として未熟だからからか?性格なのか?
自分に「これ」というモノがないからか?
優しさを受け取った感覚はあっても、自分が渡した手ごたえはなかった。
形がないから難しい。

働き始めて

仕事をする上での関りは
・自分からは見えないほど広くて
・絡まるかの様に複雑に
・様々な人や物が関わり合っている

それを一人で受け止めるのは到底無理なので
・チームで受け取り形にしていく。

人と接することが増え、接する人数も範囲も桁違いに広がっていく。
人や環境から受ける「ありがたさ」も感じる機会がふえた。
「やさしさ」とは少し違うけれど大事なこと。


今の私が仕事で大切にしていること


舞台の本番を迎える人に対して大切にしているのは
主催者や演出担当者の「こうして欲しい」という想いを
・しっかり聴いて受け取って
・実現可能な範囲を伝え
・提案する
・本番がつつがなく終わること

どれも相手の安心に繋がること

安心は私にとっても大きなテーマで
これが無いと全てが成り立たないと思うほどに真ん中にある。
不安定すぎるところに自分が立つのも辛いけれど
相手をそこに立たせるのも辛いことだ。
関わる皆に安心できる場を作りたい。
あれ?自分ちょっと優しいかも?

・楽しく取り組み
・良いものを作る
・満足していただくため
色んなことの土台として必要なことだと思っている。

「安心=優しさ」では無いけれど、遠くもないのではないか?


最近受け取った優しさは


自分で自分を優しいと思わないのは
自分から人に渡す「優しさ」のハードルを上げ過ぎているのかも?
特別なものでなければならない様な勘違い?

最近参加したweb上でのライブ配信で
最近もてはやされている「風の時代」
その言葉や雰囲気に焦りや疲れを感じる中でも優しさが大切
優しい風を吹かせようという呼びかけがあった
無理はしなくて良くて自分のできる範囲でやってみよう
時代の変わり目を一緒に考えてみようというお誘いだ。

SNSを見ても殺伐としてる場所もあるし、本当にそうだなと思う。

乾いた風じゃなく 潤いのある風
何か癒されるし優しいなぁ…。
無理しなくて良いならハードルも低い。

ライブ配信に参加して感じた事は、
優しさのセンサーをチューニングできていないと
受け取ることも渡すこともできないのだということ。

ストンと自分の中に落ちた気がする。
頭で分かっていることを本当に感じるのは難しいことも再確認。

私の出来る範囲は
「優しさのバトンを受け取ったら次に渡す」感じかな
「一つもらったら一つ返す」で良いんじゃないか?
気付いてなくてもできてる可能性もあるし
受け取っているのに分かっていないこともあると思うし

まだライブ配信は続くそうなので登録してみた。
色んな人の優しさに触れる機会だと思うだけでも
元気を貰えそうな気がする。

私がちょっと元気になったライブ配信のリンクも貼っとこう。

【その瞬間ライブ 第2回目】 
  https://youtu.be/M7lKnawRqzw
  
【その瞬間ライブ 第3回目】
  https://youtu.be/I_D6nL79-6g

ここまで読んでくれた方に
「絶対見て欲しい」とか「登録して欲しい」とか「一緒にやろう」とかではないから、登録が必要なエリアへのリンクはシェアしない。
けど気になる方は上記の動画の概要欄にリンクがありました。
この先に開催されるWEBトークライブは登録すると参加できる。

覗いてみたい方だけどうぞ…。


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