Yusuke Nakagawa(Seeds Food Design)

東京都八王子市出身、飛騨古川在住。移住して24年、長く食産業に携さらせてもらったおかげ…

Yusuke Nakagawa(Seeds Food Design)

東京都八王子市出身、飛騨古川在住。移住して24年、長く食産業に携さらせてもらったおかげで「これからあるべき本当の食の大切さ」を知り、2022年に独立して「種から食を考える」Seeds Food Designを立ち上げました。「食」を通して色々学んでいます。

マガジン

最近の記事

食にまつわる考察を深める映画3選

4月の初め、京王八王子駅で新宿行きの特急を待っていたら電話がかかってきた。飛騨高山のフリーペーパー[BLESS]の編集長からだった。 「食関連で中川さんの推す映画3本を教えて欲しい」とのこと。 飛騨には映画館がなくて(2014年に閉館)スクリーンで見たい映画があれば富山まで行くことが多かった。コロナ以降はAmzon primeやNETFLIXで見ているのだけれど、こういった配信のお陰で気軽に色々な映画に触れられるようになったのはとてもありがたい。お陰で沢山のドキュメンタリー

    • 2本の愛用スパチュラの話

      やわい屋で買ったスパチュラ2016年に飛騨宇津江にある民藝店「やわい屋」さんで一目惚れした購入した桜材のスパチュラをずっと愛用している。 店舗で初めて握った時のグリップが手に吸い付くような感覚は衝撃的で、これを使って料理するとスパチュラが体の一部になったような気にさえなる。 そんな調理道具に出会ったのははじめてのこと。 松本の大工さんだったかが作ったもの…そんな話を店主から聞いたような気がする(違ったらスミマセン) 購入して最初に作ったのはオムレツだった。 試しに自分の分を

      • URISのSOUND BOX

        URIS Outdoor gears飛騨にURIS Outdoor gears というブランドがある。 僕も所属している「飛騨ガレージブランド連合」のメンバーで、パッケージデザインやイメージ構成などのシゴトを受けたりしているから、普通の人よりちょっとだけ詳しい。 ココは高い木工技術を生かした木工品や知育玩具などを手がけている白百合工房のアウトドア向けのブランドで、あぐら専用のURISチェアを筆頭にキャンパー魂をくすぐるプロダクトを作っているのだけれど、何がくすぐるかって、す

        • 漫画「クニミツの政」から学ぶ他責思考と思考停止の末路

          漫画から学べること23年前の状況から変わっていないどころか後退している状況って… 「クニミツの政(まつり)」って漫画を知っていますか? 少年マガジンへの連載期間は2001年〜2005年。今から23年も前の漫画。 その頃僕は27歳くらいだったので少年誌の購読はしていなかったのだけれど、食堂とか喫茶店とかにおいてあるのをパラパラとめくったりしていた。 購読をやめてしまうとそれぞれ話しの流れが見えないので、読みたい漫画も2つくらいしかなくて、それですら読まない週もでてくるから自然

        食にまつわる考察を深める映画3選

        マガジン

        • SFDブログ
          6本
        • 散文的な…
          49本
        • SFDニュース
          0本
        • Portfolio (過去の作品・実績案内)
          0本

        記事

          Seeds Food Design について

          食歴紹介20年近く食品業界で働かせてもらってきた。それはもう、食産業の川上から川下まで、そういうめぐり合わせだったのか、実に恵まれた環境で働かせてもらった。今年で50歳を迎えるにあたり、和暦の新年である今日、そのスタートラインをしっかり示しておこうと、この記事を書いています。 僕自身は東京の八王子生まれ八王子育ちで、実家の時は某アウトドアブランドで働き、その時のお客さんからインスパイアされて飛騨に来たのが25歳。 (考えてみたら今年50歳だから飛騨での暮らしが人生の半分を超

          Seeds Food Design について

          本当のこと(終戦記念日に)

          英霊の写真が訴えかけること僕の住む集落にある神社には、第二次世界大戦においてこの地域から出兵した英霊の写真が飾られている。 飛騨に移り住んだ時から神社の片隅でひときわ存在感を示すその写真であったがあまり関心を示すこともなかった。 確か「黄泉がえり」という映画のロケでこれらの写真が使われた…ということがあり、どちらかというと「映画に使われた」ということが僕の印象についてしまったこともあるかもしれない。 歳をとる毎に集落での役も就いて、元旦祭や例大祭、春・秋祭りへの参列する機会

          本当のこと(終戦記念日に)

          中川商店に夏が戻ってきた話

          4年ぶりの暑い夏が始まる令和5年8月4日〜6日、実に4年ぶりの八王子まつりが開催された。 3日間の動員数は2017年に並ぶ85万人。気持ち的には超えていたんじゃないかなと思っています。 昨年は祭の10日前に中止となり、各町内の小さな祭がそれぞれ執り行われる形だったけれど、今年は待ちに待ったフル開催。 実家にとっては諸々初めての環境下でのフル開催とあって、今年の春の時点で飛騨からもガッチリと実家の祭用品店「中川商店」のヘルプに行くスケジュールに。 祭りのヘルプで長い期間実家

          中川商店に夏が戻ってきた話

          南極観測隊から帰還した父親の南極オンザロックの話。

          昨年の6/20、緊急事態宣言が解除されたあたりで、飛騨古川に新しく出来た宿の試泊にお呼ばれした時に、ロビーでご一緒した僕の車の件で色々お世話になっている自動車屋のおっちゃんと飲んだ時にこう言われた。 「中川ちゃんの過去についてはあまり知らないんだけれども、前に一緒に飲んだ時に、中川ちゃんの親父さんが南極観測隊で、南極の氷でオンザロックを飲んだ…ってことは知っているんだよ」 う〜む。当たっている部分も一部あるんだけれど、外れている部分はあまりにも遠い。 吠える40度、狂う50

          南極観測隊から帰還した父親の南極オンザロックの話。

          父のラストソングは”Good-bye”

          初めに今から20年程前、僕が森林組合で木こりをしていた時の話をする。 木こりなので基本現場は山奥で、移動用の車から近い場所の場合は車で、遠い場合は山の中にブルーシートを張って昼休憩をする。昼休憩は11時半から13時まで。この間に昼食を済ませ、昼寝をするルーティンなのだが、毎回必ずBGMで流れるのはNHKラジオ第一。11時35分あたりから15分間流れる「私の本棚」という朗読番組があって、昼食を急いで流し込んで、煙草を吸いながらその番組を聞くのが楽しみの一つになっていた。 その

          父のラストソングは”Good-bye”

          僕がきらいな歌

          若い頃からthe Boomが好きで、その中でも特に「僕がきらいな歌」が好きだった。僕が21歳の時に出会った歌だけれど、当時はカラオケにも入っていないくらいマニアックな所謂B面の曲で、この曲を歌うにはアコースティックギターを取り出して弾かなくちゃならなかった。 あれから24年が経って、24年前にこの「僕がきらいな歌」を一緒に聴いていた女性と結婚20周年を迎えることが出来た。 色んなことがあって、沢山の人に支えてもらって迎えた20回目の結婚記念日に、改めて「僕がきらいな歌」を

          BEN FOLDS FIVE とレモンキーマカレー

          出張先の鎌倉で注文したレモンキーマカレーを待っている間に店のBGMの懐かしいピアノイントロの鍵盤のタッチが、耳の奥にある記憶の扉を仕切りに叩いているようで、何とかその扉を開けてあげたいのだけれど、なかなか記憶とその曲名、バンド名が結びつかずに、コレはどうしたものか?と思っていた。このままでは、楽しみにしていた逗子カレーのレモンキーマカレーを集中して味わえない… 。 なんて心配は杞憂に終わり、ターメリックライスの堤防を境にしたスパイシーチキンカレーとレモンキーマカレーが運ばれ

          BEN FOLDS FIVE とレモンキーマカレー

          継承する祭から学ぶこと。

          飛騨に移住して2年目のまだ雪の残る春の夜に公民館に呼ばれ「君が今ココで”やる”と言ってくれたら、うちの金蔵獅子を復活させることができるんやが…」と、円座になった氏子総代や若社の皆様方から、ほぼ選択肢がひとつしかない返事を求められたのが今から19年前の話。 「ハイ」と答えてから5年間、獅子の後ろ役をやらせて頂き、その後仕事の関係で継続を断ったことにより、ウチの集落の金蔵獅子の歴史は再び途切れることになる。 それから随分と長い間、観光に関わる仕事に就いたこともあり、GWのど真

          継承する祭から学ぶこと。

          平成からBeautiful Harmony 令和へ

          14歳の時、時代は昭和から平成に、突然変わった。その時は大きな時代の変化なんて考えることはなかったけれど、この元号の変化に意味を持たせようとした人はたくさんいたんだろうなと、人生二度目の改元を迎えるにあたって思う。 特に今回は憲政史上初の現天皇の生前退位からの改元のため、事前に改元日時を知っていることもあるから、やり残した事など深く考えようと思えばどれだけでも深く掘れるし、意味づけなんかはいくらでもできる。でもあまり深く掘ると出てこれなくなっちゃうから、振り返りはほどほど

          平成からBeautiful Harmony 令和へ

          僕の幼少期を知る人は少しずつ少なくなっていく。

          歳をとってくると幼少期の自分を知っている人の存在が年々貴重になってくる。20年前に東京の八王子から飛騨古川に移住したから、そう言った僕の抜群にカワイくて100%無邪気な幼少期から思春期を知っている方々と、文字通り距離を置いた生活を続けてきたせいか、たまに実家に帰った時にそんな方々を通して幼少期の自分の知らない一面やエピソードを聞くと本当に嬉しく、年々その思いは強くなっていく。 というのも、歳を追うごとに僕の幼少期を知る方々がこの世を去っていってしまうからだ。 3年前に僕ら夫

          僕の幼少期を知る人は少しずつ少なくなっていく。

          ハナレイ・ベイ

          久しぶりに映画館で映画を見た。村上春樹原作の「ハナレイ・ベイ」。僕は原作が彼の短編の中でも結構好きで、吉田羊主演で映画化されると聞いた時はとても嬉しかった。頭の中のイメージ通りのキャスティングだった。サーファー役の一人には村上虹郎がキャスティング。僕は彼の芝居も結構好きで、吉田羊との共演は面白いな…と思っていた。 原作は40ページくらいで、淡々と村上春樹らしくクールに書き上げられていたから、たった40ページくらいの話をどのように映画化するのか?が楽しみだった。 映画館から出て

          傘がある

          ずいぶん前にグローバルなホテル予約サイトのノベルティで折りたたみ傘をもらった。 19年前に飛騨に移住してから、当時の仕事が森林組合の山仕事だったので雨に濡れるのが気にならなくなった事と普段はほぼ車移動の生活の為、傘がなくてもほとんど不自由しなかった。だから「雨が降ったら傘をさす」という普通なら当たり前の行為が「雨が降ったら小走りに…」程度におさまってしまった。 つまりは「雨イコール傘をさす」ではなくなっていた。 そんな生活を長く続けていたから、つい先日の出張でも、カバンに