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Seeds Food Design について

食歴紹介

20年近く食品業界で働かせてもらってきた。それはもう、食産業の川上から川下まで、そういうめぐり合わせだったのか、実に恵まれた環境で働かせてもらった。今年で50歳を迎えるにあたり、和暦の新年である今日、そのスタートラインをしっかり示しておこうと、この記事を書いています。

僕自身は東京の八王子生まれ八王子育ちで、実家の時は某アウトドアブランドで働き、その時のお客さんからインスパイアされて飛騨に来たのが25歳。
(考えてみたら今年50歳だから飛騨での暮らしが人生の半分を超えてきた)
今思えば25歳のエネルギーとバイタリティーは途方もなくて、アウトドアショップで接客した山梨の森林組合のお客さんとのコミュニケーションの中で「自分も山仕事をしたい!」と年明けと同時に飛騨の森林組合の面接を受け3月末には木こりの仲間入りをしていたんだ…

食歴は体の細胞に刻まれるアカシックレコード

そんなキャリアでも人間子供の頃から「食」に触れずにはいられないわけです。物心ついていない頃は本能のままに好き嫌いを全身で表現していただろうし、幼稚園になって好き嫌いを頭でわかるようになってくると母親がつくってくれる弁当の中身に一喜一憂する。そしてワガママを言えば叱られる。
小学生になってお小遣いをもらえるようになると、好きなお菓子を自分で買ったり、駄菓子屋でもんじゃ焼きを食べたり…少しずつだけど、3回の食事で与えられる食に加えて自分の好みで間食を始める。僕の場合はココで一気に太りました…
中学・高校生・大学生になると食の選択肢は一気に増える。僕の場合は私立の学校に行かせてもらっていたので電車通学。駅の立ち食いそばから途中の街、学校近くのパン屋や中華料理屋。彼女ができたりすると味を決める要素に甘酸っぱい感情も加わってきて、美味しさを構成する変数が増えていったり…。
「あれ?前食べた時はそんなに美味しくなかったのに彼女と食べるとなんでこんなに美味しいんだろう…」逆もまた然り…
こんなふうにしていろんな食に触れていくのです。

こういう食の遍歴を食のキャリアとして職歴ならぬ「食歴」と呼んでいるのだけれど、実は職歴よりも人の一生を左右しかねないことであるというのを強く感じている。
「職歴ならぬ食歴なんて上手いこと言うねぇ」なんて行っている場合じゃないくらいに…
ある意味食歴は体の細胞に刻まれるアカシックレコードのようなものかもしれないな…※

※ちょっと話が飛んで後半の話にリンクしてくるけど、例を挙げると、農薬や添加物の多い食事をしていた結果ガンが増えたというのはエビデンスがあり過ぎるくらいだし「未病」という考え方はまさに現状の食環境を前提とした西洋医学へのアンチテーゼのようなものでもある。それにそういった食事を接種している自分の健康が害されるだけならば良いけれど、次世代、更に次の世代の子孫の健康にも影響がある可能性だって否定できない。今の小さなお子さんのアレルギー症状はまさに代をまたいだ負の遺産のリレーでもある。

飛騨でスタートした食のセカンドステージ

飛騨に移住すると僕の食歴は新しいステージを迎えることになる。
一人で飛騨に来たから、生まれて初めての一人暮らしの25歳…
朝昼晩に母親が食事や弁当を作ってくれるという愛に満ちた25年間のありがたみをやっとわかった…というのがこのステージの洗礼だった。
森林組合の仕事は朝早いし昼食はほぼ山の中で食べるからこれはもう弁当を作るしかないわけで…毎朝5時半に起きて自分で弁当を詰めて出勤する。
中身を知っている弁当を開けるときの味気なさよ…
でも体を動かして働いたあとの山で食べる弁当という新たな変数が加わり、前の日に農協に滑り込んで買った惣菜や冷凍食品の唐揚げが最高の弁当に変わる…
こういう生活が半年くらい続いて僕はめでたく結婚するわけだけれど、こういう食歴が間違いなく今の僕の食に対するスタンスを作っていることを最近とても強く感じる。

飛騨の生活も温かい周囲の方々のおかげで1年もすると定着し、僕はそこから本格的に飛騨の食文化に触れることになる。
それまで東京で当たり前のように食事をしてきて、それこそ歴史なんて掘り下げることもなく、食欲のままに…ある意味「千と千尋の神隠し」のご両親の様に、暮らしてきた僕にとってはちょっとした異文化に触れたような感覚。そんな異文化を心地好く体感しながら暮らしの中で少しずつインストールして4年が立った頃にまた新たなステージを迎えたのが僕の食産業への本格的な関わりのスタート。
ここまででだいぶ長文だけど、だいぶ端折ってます…

いよいよ食産業突入

食産業に携わってからの時間の話は、ある意味ネタの宝庫ではあるけれど、一言にまとめてしまえば「様々な風土と人と食に触れることのできた貴重な時間」ということになる。

  • 「人が風土(自然)を知って食材を育て食事を作る」

  • 「その食事が体をつくる」

  • 「その食事の味には先味・中味・後味があって、そこに沢山の要素が変数となって人の味覚に作用する」

多くの人と風土に触れながらこれらのことを改めて学ぶことができたけれど、同時にこんなとてもシンプルで重要なことが今の食産業からはごっそりと端折られてしまっているという事実を知ることになる。
これは結構ショッキングな話です。

それまでを振り返ってみると
「良かれと思ってやったことが実は人間の体にとってはあまり良くないんじゃないだろうか?」
「そもそも誰のために、誰を良くするためにやったことなんだろうか?」

ということが多くて「良きにしろ悪きにしろ影響を受けるのは僕ら人間の体である」ということに改めて気づくと、
僕の場合は「ちょっと見過ごすことができないなぁ」と思うようになってしまった。
こういうことに気づけたのは僕の職場や近隣の方々、友人、家族などご縁のある方々のお陰で、そんな僕を応援してくれていた父が急逝したこともあり、色々考えた末踏ん切りがついたのが今から2年前。
飛騨の総合食品商社の役員でありながら、コロナ禍の大変の時期に退職することができたのは社長を含め役員や社員の方々のご理解のお陰でもあります。
そしてここから先が、飛騨に来てから何度目かの新しいステージ突入。感覚的に言うと新章突入というところか…

新章突入 Seeds Food Designの話

ここからがやっとSeeds Food Designのお話。
ココまで長かったですね〜スミマセン…

沢山端折りましたが、2022年の10月に個人事業主として登録しSeeds Food Designとして新章突入であります。

なぜにSeeds Food Designなのか?
Seed(種)がいかに重要か?ということが大前提としてあります。
種と聞くと最近では種子法廃止やら種苗法改正などネガティブな話ばかり。これだけにとどまらず、遺伝子組み換え作物、ゲノム編集作物も含めて様々な種が農薬だけでなくある一部の権力者の思いに汚染されています。
ゲノム編集トマトの苗は無償で小学校に配られたりして…これはどうかと思いますよ。
種、まさに生物のスタートライン、これが汚染されていたらその種から生まれたものは安全ですか?
種は人の心の中にもあります。動機(思い)です。この動機が邪なものだったら…その結果生まれた事象は健全でしょうか?
もちろん、途中から軌道修正して変えていくことはできます。
そういう努力をされた先人たちがいるお陰で、まだまともな部分が残っている。だからこそ、これから新しくアクションすることに関してはできる限り健全な、オーガニックな種や動機(思い)からスタートしたい。
そんな意味がこもったSeeds Food Designです。

随分前から食料危機

「種から食をデザインする」
健全な種、動機(思い)からデザインした食は、健全な食環境を取り戻せる…そう信じています。

今の食環境が健全であるかないか?については人それぞれに見解があるでしょう。
「国の機関が安全と認めている」
「農薬は使っているけれど残留農薬は体に害がない程度に収まっているから大丈夫」
「安全なエビデンスがある」などなど…

これだけ情報が溢れている時代ですから、精査するのも大変。自分にとって「こうあって欲しい」エビデンスに目が行ったりするものです。

でもですよ。前述の文を言い換えたら
「毒薬は使っているけれど、体に影響がない程度にとっても薄めているから大丈夫だよ」ってことですよ。
これは農薬に限ったことではなくて、畜産の遺伝子組換えの配合飼料や合成添加物や保存料、遺伝子組み換え原料も同じ。

こんな細かいことを言い合ったらキリがないし、何の解決にもなりません…
まあ明日から何も食べるものがなくなりますよね…
食料危機が来るなんて叫ばれている昨今ですが、安全な食料と考えたらもう随分前から食料危機です。

Seeds Food Designのビジョン

そこでSeeds Food Designでは1つのビジョンを描きました。
「心が喜ぶ食と体が喜ぶ食が一致する環境づくり」

本来は一緒だったはずの食環境。「心も体も喜ぶ」のが食なんです。
「人」を「良く」すると書いて「食」。
けれどどうでしょうか?
普段の食生活、僕らの体は喜んでいるんでしょうか?
仲間と皆で美味しいものを食べて盛り上がって、超タノシイ〜状態。学校や会社であった嫌なことも、友達や奥さんとの喧嘩も、普段ためているストレスも解消されます…が…体に溜まったストレスは解消されるんでしょうか?増えるんでしょうか?

でも現代社会で100%安全な食生活の実現は相当難しい…
まず売っているところも少ないし、売っていたとしても高価になってしまいます。オーガニックの野菜や調味料、無添加の食品の価格を見て「ぼったくり」という人もたまに見かけますが(幸い僕の周りにはそういう方は少ないです)、一旦我に返ってなぜ農薬を使って野菜を作ろうと思ったのか?を考えれば、そしてオーガニック農家の手間暇を考えたらそれでも安いくらいです…なんて、そんな人の心を乱すような思いに加えて、良くも悪くもSNSのチカラがそういった思いを拡散して本当の情報になかなかリーチできない…
まあ、色んな意味で難しいのです。

こんな事言うと「じゃあ、一体何食えばいいんだよ!」と言われます。
実際に2年前に「食の安全を守る人々」というドキュメンタリー映画の飛騨高山での上映をお手伝いさせていただいたときのアンケートにもそう書かれていたし、会場で直で言われました…

そうなりますよ。僕だって体に良いものばかり食べているわけじゃない。
でも昨日より今日、今日より明日、明日より明後日って、少しずつ体に悪いものを食生活から排除していくことはできます。少なくとも僕はそんな風に生きているし、この繰り返しでしか良くなっていきません。
明日から全部オーガニックライフ〜、無理です。
明日からプロ野球選手〜が無理なのと同じようにね。

Seeds Food Designのオシゴト

Seeds Food Designはそんな「今日より明日」に寄り添える仕事をしたい。
そう思っています。

オーガニック農家さんや無添加食品を生産されている方や、
少しずつでもオーガニックに近づけていきたい、添加物を抜いていきたい方そして最終的に「心が喜ぶ食と体が喜ぶ食が一致する環境づくり」をゴールとしている方々がどの様にそれぞれの食をデザインしていくか?のサポートなので、実際にやっている仕事は多岐にわたります。

  • ・商品のパッケージデザイン

  • ・商品やサービスの企画、プロモーション

  • ・レシピ動画撮影

  • ・フードコーディネート

  • ・レシピ開発

  • ・店舗開発

  • ・キッチン設計

  • ・アドバイザー

などなど…
まあコツコツと丁寧にやっています。

あの研究所も運営しています!


↑タップorクリックすると飛騨スパイスカレー研究所のページに移動できます

あと、Seeds Food Designの理念を体現している事業として「飛騨スパイスカレー研究所」の運営もしています。スパイスの多くは種ですから、まさに種から食をデザインしています。

ちなみにSeeds Food Designのロゴの種はクミンです。
どちらが先にあったかといえば「飛騨スパイスカレー研究所」のほうが先です。まあどっちでも良いのだけれど…

飛騨スパイスカレー研究所で行う食のケータリングやクッキングクラスではできる限りオーガニックな食材など安全性の高いものを使っています。
厳密に100%とは言えないけれど、そこで提供される食事の安全性は現状の日本ではトップクラス…と胸張って言える内容です。なので使用原材料は全て公開しています。

なんでそんなことをするのか?
ここのイベントで食事をしてハッピーになってくれた人の
「心と体が同時に喜ぶ瞬間を体験してもらえるし、その瞬間に立ち会えることがシビレルから」
これにつきます。

そんなふうにしてSeeds Food Designは進んでいきます。
今までの業務実績は公開を許されるものに限りポートフォリオとして少しずつ公開していきますので、
「ちょっとウチも話効いて欲しいかも…」
「美味いカレーが食いたい…」
とかありましたら、お気軽にお問い合わせくださいね。

長々とスミマセン。最後までお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。
「あ〜たしかにそうだよなぁ〜」
「どうすりゃいんだよ…」
「同じこと考えてた人いたんだ…」
とか少し心が動いたり、共感していただいたりされた方が一人でもみえればとても嬉しいです。
定期的にnoteをアップしていくのでこれに懲りずぜひ御覧くださいね。

筆者紹介

Seeds Food Design / 飛騨スパイスカレー研究所
中川雄介

1974年東京都八王子市生まれ。
アウトドアブランドL.L.Beanでの勤務を経て1999年に飛騨に移住。森林組合、道の駅支配人、総合食品商社の役員を経て2022年に独立。
種から食をデザインする「Seeds Food Design」「飛騨スパイスカレー研究所」を立ち上げる。

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