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素朴なことばに勝るものはない気がする

次女(6歳)が口のまわりをバターでべとべとにしながら興奮している。大好きなマドレーヌとフィナンシェをじいじが持ってきてくれたのだ。

昨日、長女が発熱したとのことで、迎えを要請する幼稚園からの電話が入った。あわてて迎えに行き、元気でぴんぴんしている次女もついでにピックアップ。

小児科で長女を診てもらったところ、インフルエンザもコロナも陰性との検査結果が出た。帰宅してほっとしていると、私の父がお菓子を届けてくれた。

うちの双子の娘たちはアンリ・シャルパンティエが大好きだ。以前、お客さまが手土産に持ってきてくださったのを食べてから、そのおいしさの虜になってしまった。そんなお高いものに慣れてもらっちゃ困る、と焦っても、もう遅かった。

さて、父が持ってきてくれたアンリ・シャルパンティエのフィナンシェ・マドレーヌ詰め合わせ。長女は熱でぐったりしているので、いくら好物とはいえ食べない。

「喜ぶと思ったんやけどなあー」としょげる父。そりゃそうかもねえ、と困ってしまう私。そんな私たちを後目しりめに、次女がフィナンシェに手を伸ばす。熱もなにもない彼女は、バターの効いた上品な味を口じゅうで楽しんでいた。マイペースなたちなのだ。

私 「おいしい?」
次女「おいしい、じゃなくて『おいしおいしおいしーーーー!』だよ! 大好きー!」

おいしおいしおいしーーーー、かあ。これほど素朴で力強い食レポもないだろう。こんなにおいしいものを食べられて幸せという気持ちが痛いくらいに伝わってくる。そりゃおいしかろうよ、アンリだもん。

「人に伝わる書き方」「効果的な表現」。仕事柄、私はそういう言葉を目にすることも、そうした手法を実践してみようとすることも多い。けれど、実は素朴な言葉には勝てないんだろうなあ、という気がしている。

おいしいと感じた本人の心の温度が伝わる言葉。きっとそれがいちばん強い。そこにどれだけ近づけるかが、私にとっての勝負なのかもしれない。

長女の熱はすぐに下がり、今日は幼稚園をお休みしているものの、すっかり元気だ。念のため「マドレーヌとフィナンシェは明日になったら食べようね」と声をかけた。長女はきれいな箱を開けたり閉めたりしては「おいしいが待っててくれるよー!」とはしゃいでいる。

明日また「おいしいことば」が聞けるのを私も楽しみにしている。

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