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指輪のきつさは若さのなごり

きつい指輪と格闘して、若かったあの頃のなごりを感じた話。

先日、ぽっかり空いた時間にジュエリーの整理をしていた。

若い頃に買ったジュエリーのなかには、華奢なつくりでも18金だったり小さなダイヤモンドがついていたりと、処分するにはしのびないものがちらほら。「ああ、こんなネックレス買ったよね」「このピアス好きだったなぁ」なんて思い返す時間は楽しいものだ。

出産して料理をするようになって以来、つけていなかった結婚指輪も手入れしておいた。

「これ、今でもつけられるかな」結婚指輪に、そっと指を通してみた。予想していたことだけれど、指通りはかたい。関節をなんとか通り越しても「きつきつ」の状態だ。細いプラチナが指の肉に食い込んでいる。はたして抜けるのだろうか、これは。

ロードクロサイトという、柔らかなピンク色の石がついた指輪もはめてみた。これもきつい。好きな天然石だったので「長く愛用しよう」と思っていたのに、その当時の指にぴったりのサイズを購入したものらしい。

こんな事態を防ぐには、購入時のサイズ選びが肝心だ。抜けない程度に「遊び」のあるサイズ感の品を買ってもよかった。

結婚するときも、美しいロードクロサイトに出会ったときも「この指輪は長くつけることになるだろう」と想定していたはずなのに、ジャストサイズを選んだ自分に驚いてしまう。

年を取るとともに指も太くなり、指輪が入らなくなる──そんな話はたくさん耳にしていたのに。

私はそんな「ベタな」年の取り方はしないと決めてかかっていたのだろうか。うーん、先人たちによって踏みしだかれた轍を、なぜ自分は踏まないと信じていたのか。我ながらびっくりだ。

もしかしたら、若さとは「自分だけは違う」と信じる力なのかもしれないと、ふと思った。特に若い頃、20代から30代前半の私には、そういうところがあった。その謎の信念にもとづき、まわりの忠告も聞かず、自分の意に沿うものを選び取っていた。

もちろん、年を重ねるとそれを後悔することもある。実際、指輪はきつい。サイズ直しに出さない限り、これらをはめて外出することはもうないかもしれない。

けれど、「自分だけはベタなパターンにはまらない」と決めてかかる無敵さは、なんとなくまぶしい。やっと指から抜けた小さな円を見て、若かったんだなぁとしみじみ。同時に、指も考え方も丸くなった自分を愛おしくも思えたひとときだった。

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