「本物」の正体を追って
「本物とニセモノ、って何?」と疑問を抱き、あれやこれや考えたり、母の人生に思いをめぐらせたりした話。
先日、月に一度の美容院で、1年ぶりに縮毛矯正をしてもらった。髪が扱いやすく落ち着いたことに感激している。ドライヤーの風がよく通るようになり、髪を乾かす時間も短くなった。あー、ラクだ。
…という話をしたら、知人が言った。
「えー、そのストレートヘアはニセモノなの?」
私は、う、と言葉に詰まった。発言に傷ついたとか、失礼だと感じたとか、そういうことではない。そもそも私はくせ毛をあまりネガティブにはとらえていない。
「ニセモノ? じゃあ、本物ってなんだろう?」と、ふと考えてしまったのだ。本物って、なんだかいい響き。では、その正体はなんだろう?
縮毛矯正の話で言えば、生まれたときからまっすぐな髪が「本物」で、縮毛矯正やストレートパーマで伸ばした髪は「ニセモノ」? うん、なんだかそれはちょっと感覚としてわかる。人工的ではない、天然のままの髪が「本物」の正体だ。
しかし、その論理でいくなら、いろいろと疑問が湧いてくる。
後天的に得たものや人工的なものは「ニセモノ」なのだろうか。そうでもない気がする。
「あの人は自分の経験にもとづいた、本物のテクニックを持っている」なんて、よく聞く話だ。この場合の「本物のテクニック」とは、後天的な産物だと思う。
となると、そこに他者の手が入っているかどうか? いや、違うな、なんだろう…、とモヤモヤした。
そんなとき、母がこんなことを言い出した。
「あの人、これ見よがしにブランド品をたくさん持っちゃって、下品ね。あんなの『本物のお金持ち』じゃないよ」
本物のお金持ち? お金持ちの定義は、お金を潤沢に保有している人、だと思う。そうすると「本物」も「ニセモノ」もない気がする。それに、お金の使い方は人それぞれでしょ、と思うので、私は黙っていた。もちろん、代々の資産家といわゆる成金とを区別したいのかな、とも思うのだけれど。
たぶん、母にとっては、気に入らないお金持ちを「ニセモノ」と言い捨てることに意味があり、彼女はそれで溜飲を下げているのだろう。
ちなみに母は以前、こうも言っていた。ある人が自分には理解できない用語を使ったことに腹を立てたときのこと。
「本当に頭のいい人は難しい言葉なんて使わない。噛みくだいて説明できる人が本物だ。あんなの、ニセモノのインテリだ」と。
ここでも「本物」と「ニセモノ」の対立が現れた。頭の良い人にもいろいろなタイプがあって、難しい言葉を使う人もいれば、使わない人もいるだろう。社会的に重宝されるのは後者だろうけれど、人それぞれだよ。自分が理解できないからといって、その帰結のしかたは良くない。
…と思ったので、私はまた黙ってしまった。
それでも、母が抱く反感のようなものは痛いほど理解できた。母には母の「本物観」があるのだ。そして、負け惜しみのように聞こえる言葉には、堅実に生活を守ってきた自分への矜持が潜んでいる。そう思うと、娘2人の教育費を捻出するために働き、質素な生活を心がけてきた母への感謝が改めて湧いてくる。少しひねくれたところも愛おしく思えるくらいだ。
「本物かニセモノか」問題は、人の関心を惹くものなのだろうと思う。私だって「本物」と聞くと、なんだかいいものなんだろうと期待する。
けれど、「本物」の身近な定義は人によって違い、各人がいろいろな意味をこめてこの言葉を使っているのかもしれない。本物かどうかはそれほど重要ではないこともあるのだろう。母の場合のように。
「本物」の姿は人それぞれで、本物談義にはその人の価値観があらわれる。だから会話は面白い。人を知るのも面白い、
「本物」は、きっととてもあやふやなものだ。私はつい「本物の○○になりたい」「本物しかいらない」なんて考えてしまうけれど、まずは自分の考える「本物」の正体をつかみにいくことから始めてみようと思う。
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