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みんなでごはん、ママとごはん
夕食どき、6歳の双子の娘たちが黒目をういーんと回しながら言った。
長女 「みんなで食べるごはんはおいしいよねぇ。長女ちゃん、いつもみんなでごはん食べたいなぁ」
次女 「このあいだのお誕生日パーティーみたいにさ、みんなで食べたい!」
きっと彼女たちは思っている。ママと三人だけで食べるごはんはちょっと寂しい、と。
我が家では、平日の夕食は母娘だけでとる。夫が在宅勤務のときは四人で食べられるけれど、それは週に何度もあることじゃない。
娘たちが6歳になったお誕生日パーティーでは、私の両親と妹家族を招いて食卓を囲んだ。彼女たちはその賑やかさが忘れられないのだろう。
なんて答えようかなあと考えていると、次女が言った。
「でも、次女ちゃんはいいよ。いつもママがごはんいっしょに食べてくれるから。食べものが体に入るところ、見ててくれるから」
彼女は最近、絵本で体のしくみを覚えたばかり。食べたものが血となり肉となることを知り、食べものと自分の体の関係に感動していた。
思えば私も子どもの頃、自分の食べたものが体をつくると聞いてびっくりした記憶がある。食の細いほうだったから、「ちゃんと食べないと、大きくなれないよ。食べものが体をつくるのよ」とか、そういう文脈だったと思う。あまり食べなかった私は子どもの頃から小さく、今も小柄と言われる部類に入る。
食べることは、体をつくること。私の指先も、頬も骨格も、食べたものをもとにしてつくられている。
小さかった私は大人になるまでにたくさんの食べものを口にして、体をつくってきた。そして、その近くには母をはじめ、家族や友人がいてくれた。
私の人生では、食べものを体に取り込む営みのそばにだいたい誰かがいる。
友人と「おいしいねぇ、これ」と話しながら食べるごはんは、より血肉になりやすいように感じられる。あくまで感覚としてだけれど。心にも栄養が届くような気がする。
一人で食べるのももちろん好きだ。落ち着いてゆっくり楽しめるとき、それもまた体に栄養が行き渡っている感じがする。
一人でも、誰かとでも、「食べる」はとても尊くて、案外おごそかなもの。そのことに娘たちが気づくのはずっと先のことだろう。でも、今このとき、私と囲む食卓を「なんかいいもの」として記憶してくれたら嬉しい。
そんなふうにとりとめもなく考えながら、毎日キッチンに立っている。
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