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わたしたちの親離れ、子離れ

わたしには一つ年下の妹がいる。幼い頃から妹のほうが背が高かったし、性格もしっかりしていた。

二人で電車通学をしていた小学校時代、近所のやんちゃな男の子に奪われたベレー帽を取り返してくれたのも妹だった。あのときの華麗な飛び蹴りを、わたしは今でも憶えている。

わたしたちはどちらが姉というのでも妹というのでもないような関係性をつくってきた。おかげで、顔はまったく似ていないにもかかわらず、「双子みたいね」とよく言われた。

今でもほぼ毎日連絡を取るし、暇ができたら電話やお茶をする。お互いの子ども同士が同い年だから、育児の相談もし合う。わたしは妹のことを最強のママ友だと思っている。

なぜそんなにもわたしたちの絆が強いかというと、たぶん母が個性的な人だったからだ。

母・よし子(仮名)には独善的なところがある。おそらく本人は気づいていないのだろうけれど、自分がよかれと思ったことを娘であるわたしたちに押しつけがちだった。

そういうとき、わたしたちは姉妹会議を開いた。

「ちょっと! よし子の言ってること意味不明なんやけど」
「いいんやないかな、わたしたちは自分の考えを貫こう」
「そやね! やるのはよし子じゃない、わたしたちやもんね!」

母の言動に対する戸惑いを共有することで、わたしたちは親密さを深めた。

そんなふうにして、生きてきた。よし子、よし子と陰で呼び捨てにしてとても申し訳ない。決してばかにしているわけではない。親の管理下から抜け出さないといけなかった時期、母を「お母さん」ではなく「よし子」と見てみると冷静な判断ができることが多かったのだ。

わたしたちの自立に、よし子批評は欠かせなかった。

子どもが成長するなかで、親を疑うことは大切なステップの一つなんじゃないだろうか。幼児期から当たり前だと思い込んでいたことを揺さぶってみる。それはきっと大人への第一歩だ。

だから、我が家の双子の娘たちがそのうちにわたしたち姉妹と同じような会話をするかもしれないと考えることがある。

たとえば、こんな。

「ちょっと、ちなみうざくない?」
「うざいよね。よく考えたら言ってることおかしいし」
「親だからって正しいわけじゃないよね」
「そうだよ、わたしたちはわたしたちの道を行こう!」

想像するだけで軽い苛立いらだちに見舞われるけれど、この手の会話は健全なものに違いない。わたしたちが親の教えを疑うことから自分の世界をつくってきたように。

娘たちがこそこそと話し込むようになったら、わたしは子離れの準備をしようと決めている。彼女たちは新しいステージへと進むのだろうし、二人だけの絆を強めてもいくのだ。

そのときになって「きいー! なんですってー!」と激怒しないで済むよう、心づもりをしておかないといけないなあ、と思っている。


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