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「ただ会話すること」に飢えている
この週末、20年来の友人Kくんとオンラインで会話できた。東京に住んでいる彼と直接顔を合わせたのは、3年以上前になる。やっかいな感染症が広がって以来、画面上でしか会っていない。
今回は、互いの配偶者も同席し、4人での楽しいオンライン飲み会(私は飲めないけれど)になった。
そのなかで「田舎」に対する感覚の違いが話題に上った。
私が「うち、田舎だからさぁ…」とぼやいたところ、夫が
「ここは田舎とは言わないでしょうよ。駅まで10分かからないし、大阪中心部までそう遠くない」
と言うのだ。京都、それもど真ん中出身の夫は、整った市街地のほかは「田舎」と言うのかと思っていたから、少し意外だった。「えー、でもやっぱり郊外だし不便だから『田舎』だよ」と言う私に対して、友人Kくんは言った。
「きみんとこは『田舎』じゃないだろ! 田舎の子どもってのはな、セルリー畑を抜けて学校へ行くんだよ! 『村』出身の俺が言うんだから間違いない」
そうだ、忘れていた。彼はセロリの産地として知られる村の出身だった。知り合ったばかりの頃に教えてもらった。生で食べても美味しいくらい、新鮮でみずみずしいトウモロコシをいただいたこともあったっけ。
対して私は、子どもの頃から都会の学校へ電車通学していたから、自分の住む地域を「田舎」だと感じながら育った。
「田舎」に対する感覚だけでも、育った環境によって異なることを再確認した瞬間だった。きっと、彼と私では、根底でのものの感じ方も違うのだろう。人それぞれ違った原体験をベースに生きているのだから、当たり前なのかもしれない。
性格もバックボーンもまったく異なる相手と、友情と呼べるものでつながっているなんて、とても面白いことだと思う。仕事上の利害関係があるわけでもなく、つきあうことでお互いに経済的な利益が生まれるわけでもない。でも、20年以上つきあっている。
なんだか、友人という存在がつくづく不思議に思えてきた。縁の不思議と言うべきか。そして、ああ、直接会いたい。そう思った。
最近になって、新しい友人をつくることの難しさを痛感しているし、仕事のやりとりもオンラインが基本になって、そもそも人と知り合う機会が減っている。
純粋に人と知り合い、関係を築いて、たわいもない会話をすることに飢えている。純粋にってなんだよ、となるけれど、ここでは利害がからまない関係性の人と知り合うこととしておく。
利害関係のない人と直接会って話すと、話題があっちこっちに飛んだり、ときには化学反応のように面白みのあるやり取りが生まれたりする。何より気負いがいらないので楽しい。そんなシチュエーションが、このところ減っているなぁ、と残念に思う。
今、オンラインでつながっていてくれる友人たちに感謝しつつ、事態が落ち着いたら、思う存分いろんな人に会ってやる。そう心に決めている。
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