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飲めない職場で学んだ「仕事の骨格」

仕事がどんな骨格をしているかについて考える機会を、私はあの職場でもらった。

大学卒業後、私が社会人生活のスタートを切った場所は、ある百貨店の経理担当部署だった。就職活動がうまくいかず、有期雇用のパートタイム社員として入社した。

売り場や外商から回ってくる伝票を端末に入力し、処理するのが私に与えられた仕事。単調な作業が続く日々にうんざりしていた。「腐る」って、こういう心境を言うのだろうと。

おまけに、席についているあいだは水分補給ができない。飲食禁止、デスク上に飲み物を置いておくのも禁止という決まりがあった。ペットボトルや水筒は引き出しに入れておかなくてはならない。今では考えられないルールだし、当時の私も意味がわからなかった。

売り場スタッフだけでなく、事務系職種に対しても教育をおこなう部署の長・Aさんは厳しい女性。うっかりペットボトルをデスク上に置いていた私は、社内巡回中のAさんにぴしゃりと注意された。

「ペットボトルをしまいなさい。そんなにしょっちゅう飲み物を飲む必要、ある?」

この言葉ははっきりと憶えている。なんて言い方だろうと、正直悲しくなったからだ。

就職活動が失敗に終わった落胆もあいまって、悲しさは私のなかに沈殿した。就職活動がうまくいっていればこんな思いをしなくて済んだのにと、見当違いな怒りさえ湧いた。

あるとき、接遇についての研修を受ける機会があった。入社後すぐの研修よりもこまかな内容のもの。私はいいかげんに聞いていた。

飲み物の話になったとき、Aさんは言った。

「水分補給が大事なのはわかります。でも、売り場の販売員はなかなか飲み物を飲めません。その販売員たちがつくる売り上げで百貨店が成り立っていることを忘れないでください」

目が覚める思いだった。そういう理由から水分補給が自由にできないのだとは、思ってもみなかった。百貨店はモノを販売するのがおもな事業。主戦場とも呼ぶべきフィールドに立つのは販売員たち。私にはそれが見えていなかった。

そして、初めて気づいた。Aさんの背筋がいつもぴんと伸びていることに。私たちに手本として示すお辞儀のとても美しいことに。長年売り場で働いてきたというAさんのプライドと、販売員たちへの敬意を見た気がした。

もちろん、これは昔の話。今も従業員に水分補給をさせないでいることはないだろう。そもそも売り場のスタッフだって飲み物を飲んでもいいんじゃないかと思う。

ただ、私はAさんの言葉で、仕事の骨格を捉える大切さを知った。

組織の目的がなにかを把握し、自分の仕事がどんな立ち位置にあるのかを知ること。同僚に敬意を払うこと。これらが骨格だ。仕事の意味とかやりがいはたぶん、その骨格を知り、姿を見すえることから生まれる。

「水も飲めないって、なにそれ」。そう思って意味も見いださず、単純作業だとバカにしてかかっていた私にとって、仕事が苦行だったのは当たり前だ。

以来、私は内心ふてくされて伝票に向き合うのをやめた。この伝票を処理し、売り上げや経費を正しく管理する一端を担うのが私のやるべきことだと思った。

用事があって売り場に入るときは一礼する。退出するときも一礼。バカバカしいと感じていたルールも、きっとその時代なりの敬意の表し方だったのだろう。

半年後、正社員として別の企業から内定をもらった。百貨店を去るときは寂しかった。先輩や同期パートタイマー、上司にたくさん助けてもらったのだ。送別会での「晴れて正社員だもん、がんばってね!」の声がせつない、最初の転職。

失意のなかで入った職場は、私に大切なことを教えてくれた場所に変わっていた。

あれから20年近く経つ。私は今も百貨店が大好きだ。買い物するときは、販売してくれる方とバックオフィスで働く方、どちらの存在も感じている。「飲み物、飲んでくださいね」と心のなかで呟きながら。

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