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楽器はたのし

娘たちがピアノレッスンに通いはじめて半年たった。

左手もだんだんスムーズに動くようになり、両手で弾くようになっているらしい。毎日「ピアノ、弾いていい?」と聞いては、自宅のピアノでポロンポロンと練習している。

そんな娘たちの練習を見てはいるものの、私はピアノが弾けない。楽譜は読めるので、彼女たちの横でちょっと指図するくらいのものだ。

かわりと言ってはなんだけれど、私の母が練習を見てくれることがある。かつて、英文科に進むか、音大に進学するか、本気で悩んだという母は、いまだにわりと弾ける。「孫にピアノを教える日が来るなんて!」と嬉しそうだ。

子どもの頃の私は、母と比べられるのが嫌で、ピアノはすぐにやめてしまった。

かわりに8歳から習い続けたのがフルートだった。自分では覚えていないけれど、神崎愛さんのコンサートを聴きに行ったのがきっかけだそうだ。

最初のフルートの先生は、とてもほめ上手で優しい方だった。

初めてフルートに触れたとき。「フォオォ〜〜」と、頼りなげながらも大きな音を鳴らせた私のことを「すごい! 初めてなのにちゃんと音が出せたね!」と褒めちぎってくれた。

それに気をよくした私はフルートに夢中になり、大学を卒業するまでレッスンに通い続けた。事情により、途中で先生はかわってしまったのだけれど。

エスカレーター式の学校に通っていたから、受験のためにお稽古事をやめる機会が少なかったこともある。「中学受験や高校受験のタイミングでやめちゃう子が多い」と先生が言っていた。

けれど、フルートを続けたいちばんの理由は、自分だけの世界を確保するためだった。

フルートを演奏していると、誰にもじゃまされない時間を満喫できた。自分の鳴らす音が空間を満たし、それに酔える時間。これは何にも代えがたかった。

高校生になり、大学受験でピリピリした時期を迎えても、私はレッスンに通った。勉強だけしていては自分を保てない気がしたからだ。そんなに勉強してなかったくせに、と今になって思うのだけれど、あの頃はけっこうプレッシャーを感じていた。

だから、ときどきフルートと向き合い、勉強で張りつめた気持ちを解放してあげたいと思っていた。

高2の秋、大嫌いだった化学で0点を取った日、自分でもこわいくらいに集中してフルートを吹いたのを覚えている。学校以外にも自分の世界はあると思うと、気楽さを取り戻せた。余談だけれど、化学とは相性が悪すぎて、センター試験では結局、生物を選ぶことになった。

そんなこんなで、私のそばにフルートがあってほんとうによかったと思う。

娘たちにも何か楽器を……と思っていたところ、彼女たちが興味を示したのはピアノだったから、レッスンに通わせるようになった。結果、娘たちも母も楽しそうにしている。うん、いい。

どんな楽器でも弾き手として身を立てるなんてたやすいことじゃないから、習うだけ無駄だと言う人がいる。私自身も「そんなに熱中してもフルーティストになれるわけじゃないのに」と言われたことがある。

でも、私は「それでいいじゃないか」と思っている。楽器は楽しい。楽器には奏でる音以上の価値がありそうだ。プロではない大半の人にとっては、その楽しさに酔いしれ、自分だけの世界にひたることに意味があるのかもしれない。

娘たちも、楽しくピアノに向き合い、ときにはピアノに助けてもらえるようになってくれたらいいなぁと思っている。

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