あれは、去年のカレンダー。
「去年の暦と同じで何の役にも立ちゃしない」
そんなふうに話す気っ風のいい女性に出会った。名を瑶子さんという。
本のなかの話だ。
このあいだまで、有吉佐和子『悪女について』を読んでいた。有吉作品の持ち味である、世情を映した世界観とエンタメ性を兼ね備えた小説で、ドラマを観ているようにおもしろく読めた。
そのなかに登場する烏丸瑶子さんはこう言う。
烏丸瑶子さんは元華族という設定だ。世が世なら庶民は近寄れなかった存在として描かれている。
上流階級の生まれでありながらちょっとがらっぱちで気さくな彼女に言わせるあたりが、有吉佐和子さんらしい巧みさだと思う。なんとも説得力があるうえ、聞いているほうはスカッとする(スタンフォード大学を出た人が「学歴なんて何の意味もないよ」と語るのと似たようなものだろうか)。
一年が過ぎてしまえば、だいたいにおいて去年のカレンダーなんて無用になってしまう。
去年のカレンダーを壁に飾り続ける酔狂な人もいるかもしれない。わたしだって、念のために手帳は過去のものをとってある。けれど、壁のカレンダーはガサッと捨てる。
昔、家柄や学歴、勤務先などを「スペック」と呼ぶ人がいるとはじめて知ったとき、なんとなく嫌な気分になったのを覚えている。「いや、たしかにそれも要素としては大事かもしれへんけどさ……」ともやもやした。
そして、実際のところはわたしもそういうものの見方をしていると自覚する機会もあって、さらにもやもやとした自己嫌悪にさいなまれた。
ただ、だんだんと、自分が誰かと直接お会いして話した感覚を頼りにするようになった。そのほうが心安らかでいられると気づいたからだ。
若い頃にもやもやしたあれこれはきっと、去年のカレンダーみたいなものだ。会って、話す。その人の優しさや心づかいに触れる。血のかよった交流に勝るものはないんだろうなあ、と思っている。
烏丸瑶子さんではないけれど、いつかわたしも「去年のカレンダーと同じで何の役にも立たへんからさ」と言いきってみたい。
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