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あの夏の悲しみについて思うこと

7月が来るといつも、祖父をなくした夏を思い出してしまう。

父方の祖父母は、認知症の初期症状が認められた頃、わたしの実家に同居するようになった。わたしは小学校高学年だったと思う。

認知症はあっという間に進み、大好きな祖父が弱々しくなっていくさまをわたしも苦しみながら見るほかなかった。そして、祖父は最期を老人ホームで迎えた。

中学校の期末テストを受け終えたところで、担任の先生に呼ばれた。

「おじいさんが亡くなられたそうだから、早く帰りなさい」

そのあたりからははっきりとした記憶がない。電車通学だったのに、どうやって電車に乗ったのかもよく覚えていない。お通夜のことも、祖父の顔のことも覚えていない。

伯母が語ってくれた話によれば、わたしはあまりにも取り乱していたために、火葬場へ連れていってもらえないところだったらしい。しかし、泣きながら葬儀会社のマイクロバスを追いかけ、なかば無理やり火葬場についていったのだ。

こまかいことは全然覚えていないけれど、とにかく悲しかった。

そして、親戚たちが「苦しまなかったって。それだけはよかったね」と語り合っているのがなんだか悔しかった。何がよかったなのか、当時のわたしにはまったくわからなかった。

あの頃のわたしにとって、誰かが亡くなるとは、その人が自分の目の前から消えること。もう手を触れられなくなること。「亡くなる」は「無くなる」と同義だった。

どら焼きが大好物だった祖父と「このどら焼き、おいしいよ」と言い合い、分けっこすることが叶わなくなったのだ。それの何が「よかった」ことなんだろうと思うと、悲しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

あれから25年以上経った今も、夏にはかならず祖父のことを思い出す。実家のお仏壇の上に飾られた遺影を見上げて、ぼんやりする。孫のわたしが言うのもなんだけれど、黒い額縁のなかの祖父は、豊かな総白髪がかっこいい老紳士だ。

今なら、祖父が苦しまずにこの世を去ったことを「よかった」と思えるに違いない。でも、あのときのわたしには無理だった。それを思い返すたび、悲しみって、けっこうエゴイスティックな感情なのかもしれないと思う。

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