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名づけてから7年。

noteを開くと、通知が届く。「○○さんが△△(記事)にスキしました!」

スキ通知を見るたびにいろんなお名前の方がおられるものだと思う。もちろんほとんどの方がニックネーム的な呼称を採用されているとはわかっている。それでも、アカウント名の由来や、そこにこめられた思いなんかを想像してみる。

「この方のアカウント名、おもしろいなあ」
「このアカウント名はお人柄が表れている感じがする」
「もうお名前からしてしゃれてる! 記事も読みごたえがあるに違いない」

いろいろなことを考える。

昔から、人の名前に興味があるほうだ。ぶしつけなのであまりご本人にお聞きすることはないけれど、特徴的なお名前はよく覚えている。

子どもの頃、母の旧姓がとても変わっていると気づいた。親戚以外で同じ苗字の人に会ったことがない。小学校時代にそのルーツをたどってみたら、ある小さな城跡に行きついた。母方の祖父の家系は、もとはそこの城主だったとわかったのだ。

名前は物語を背負っていると知ってから、氏も名も含めて、わたしはずっと人の名前に関心を持ち続けている。

苗字に興味を抱いたことで、家紋も好きになった。家紋図鑑も買い、今もときどき眺める。日本の家紋は個性的で完成度が高く、なによりきれいだ。

SNSの世界では、本名による発信の場合を除いて、多くの人が名前を自身の意思で好きなようにつけている。アカウント名には、その人の思いが乗っているのだ。

ぶーんとiPhoneが震え、noteがスキやフォローを教えてくれるとき、わたしはその方のお名前を見る。

文字列にこめられた意味や思いを想像すると、むくむくと興味が湧いてくる。

名前って、単なる記号でありながら、誰かと誰かを結びつける橋にもなりうるんじゃないだろうか。

7年前に産んだ双子の娘たちに、わたしは脳みそが沸騰しそうなほどに考えた末、名をつけた。心がきれいで賢い、そして優しい子になってくれますように。そんな思いから、はじめての名づけに向き合った。

彼女たちが成長し、わたしのつけた名が気に入らないとなったら、好きなニックネームを考えてもいいと思う。

でも、たまにちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、禿げそうになりながら名づけたわたしの存在に思いをめぐらせてくれると嬉しいとも思う。

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