見出し画像

置いてきぼりの系譜

最近、双子の娘たちが遊んでいる様子を見て、首をかしげることがある。どういう遊びをしているのか、母親であるわたしが見てもよくわからないのだ。

このあいだの彼女たちは、ななめ座りで向かい合い、げらげら笑っていた。「ソミファレド! ドレミレド!」と大声を張り上げて。

「ちゃう、ミレドレミ! やん!」

げらげら。

わたしの頭の中で、いくつものクエスチョンマークが行ったり来たりする。「?? なんの遊び?」。

しばらく見守っていたけれど、よくわからなかった。どういうルールなのか、なにが面白いのかがつかめない。

娘たちは二卵性だからか、双子としてはかなり独立性を保った関係でいると思う。いつもそれぞれ違った遊びや勉強をしているし、食べ物の好みも、性格も似ていない。利き手も違う。洋服だけはおそろいを着せていないと喧嘩する時期があった。けれど、それも今はなくなってしまった。

それでもやっぱり姉妹として通じあうところがあるのか、ときどき異様に息の合った遊びに興じている。「高速おちゃらかほい」を延々と続けている様子を動画でお見せしたいくらい。

わたしにも妹がいて、年子だからいつも「双子みたい」と言われていた。そのうちに妹のほうが背が高くなって性格もしっかりしていった。わたしたちは成長するうちにいつのまにか、母を交えずに進路を相談しあい、恋愛話を打ち明けあうようになった。

大学2年の頃、わたしは哲学を専攻すると決めた。母は反対した。「そんなわけのわからんこと勉強するために大学に入ったんと違うでしょ」。いやいや、それを勉強するためにわたしは大学に来たのだと話したけれど、母の言い分とはずっと平行線だった。結局、「結婚相手が見つからなくてもしらんからね」と言われながら、哲学科へと進んだ。

母自身も、進学のときに祖母に言われたそうだ。「東京なんてわけのわからんとこ行ったら、おかしいなってしまうで。やめときなさい」と。50年以上前、ふるさとの町に一つしかない普通科高校で、母は進学者向けではないクラスにいた。猛勉強をして慶應義塾大学に受かったのに、祖母は喜んでくれなかったとこぼしていた。

「そんな、わけのわからん……」と言ったとき、母も祖母も置いていかれる気がしたんじゃないかとわたしには思えてきた。もちろん心配もあっただろうけれど、娘の考えていることが理解できなくなったさみしさもまた強かったはずだ。

今のわたしも娘たちの様子になんとなく疎外感を覚えて、ちょっぴりさみしいからそう思う。

そして、引き留める言葉はたくさんの愛とさみしさを含んでいたかもしれないことを知って、せつない気持ちになっている。

わたしは娘たちを無条件で応援していたいけれど、できるかどうか不安だ。いつかわたしも「そんな、わけのわからん……」と言ってしまうだろうか。うーん、言わないでおこうと思うものの、自信がない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?