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とけていく時間

今日は比較的ゆっくり仕事ができた。朝、コーヒーを飲みに行く時間もあったし、スーパーで落ち着いて買い物もできた。

いつもは幼稚園に娘たちを迎えに行くまで、みっちり仕事をしている。なんだかんだで、忙しい。

特にこのところは心に余裕がなかった。「『貧乏暇なし』やもんね!」という母の言葉にカチンときたほど。いや、お金ないけどさ、親に貧乏って言われるほど困ってはいないよ、なんて、心のなかでムッとしてしまった。

忙しいときに限って、インスタグラムやツイッターを開きたくなるのはどうしてだろう。仕事に集中したいときは自室にこもり、スマートフォンは別の部屋に置いておく。それでも、ちょっとしたタイミングでこれらのアプリを開いてしまう。

そこは楽しい空気や面白い情報にみちていて、ついつい時間を忘れる。ちょっとのつもりがあっという間に30分以上経っていた、なんていうこともある。時間が「溶ける」という表現がぴったり。

そういえば、受験生の頃に読んだ梅原猛の『隠された十字架』は面白かったなぁ、と思い出す。

受験勉強とまったく関係のない内容だからこそ、のめり込んだ。そのままずるずると梅原猛ワールドにひき込まれ、確かセンター試験の前日も、二次試験の前日も、ほかの著作を読みふけっていた。

なぜ覚えているかというと、母が「そんなことじゃ落ちるよ! 落ちても知らないからね!」と激怒していたからだ。小学校受験以来、久しぶりの受験とあって、母も緊張していたのだと思う。

同じ頃、池波正太郎にも夢中になっていた。もともと大好きだった『鬼平犯科帳』をいちから読みはじめたのは、受験シーズンだった。

どうも、私には現実逃避ぐせがあるらしい。やらなければならないことがあるときに限って「魅惑的なほかのなにか」に手を出すのだ。そして、笑えるほどに時間が「溶けて」いく。

でも、大学生になり、一般教養が終わる頃、哲学科に進もうと思えた理由のひとつは梅原猛を知ったことだと言えるだろう。できの悪い学生だったけれど、哲学を学んだことは私の財産だと思っている。

それに、社会人になってから、年配の方々と『鬼平犯科帳』の話で盛り上がれたのも、受験生の頃に読んだ池波正太郎のおかげだ。

なにが無駄で、なにが無駄じゃないかなんて、そのときにはわからないのかもしれない。20年経ってそう思う。目に見える効果はすぐに現れなくても、すべて心の栄養になる気がする。

もしかしたら、私がインスタグラムやツイッターで溶かしてしまった時間も、無駄にはならないかもしれない。

……なんて、ごちゃごちゃと言いわけを考えている今日この頃です。

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