生きるとは、自分が何者であるか探すこと
生きるとは、自分が何者であるのかを探す旅だ。
誰でも、最大の関心ごとは、自分。
「自分は将来、何がしたいんだろう」と悩むのも。
占いをするときは、他の人よりもまず自分を見るのも。
カクテルパーティーで、自分の名前だけ聞こえるのも。
「私って何?」「私はどこから来たの?」「何をするために?」
そんな、自分に対しての問いを解くために、脳が必死に情報を集めて、考えているからなのだろう。
「私って何」の問いは、そう簡単に解けない。
そういう風にできている。
今はただ、いくつかの角度から断片的な説明ができるだけにすぎない。
長い目で見ると、人生は自分が何者なのかを探す道行きなのだが、それにこだわりすぎると、逆に自分がわからなくなっていく。
「好きなことをしろ」と言われて、「好きなことがわからない」と悩む人は、この沼にはまっている。
自分に関心がありすぎると、「私って何」の問いは、逆に解けなくなってしまうのだ。
そこを脱出するためには、人のために動くこと。
もしくは何か強烈に心が動くものに没頭して、我を忘れること。
この2つしかない。
「悟る」とは、自分のことを完全に理解することである、と聞いた。
悟ったら、壮大な問いから解放されて、ものすごくスッキリするだろう。
悟るためには、「ジブン」から一度離れる時間が必要なのだと思う。
自分のことは気にかけて愛しつつ、自分のことばかり考えすぎて苦しくならないように、距離をとる必要がある。
自分と自分は一心同体だから、難しいけど。
「自分と自分」という文章も、ちょっと不思議な感じだけど。
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