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人の「幸せ」とは選択肢の多さなのか? 考えてみたら、完全に逆だった件

人の幸せとは何か、と問われれば、その答えは決まっています。

人それぞれ、です。


しかし、社会課題を解決することをミッションとしたNPOに勤めている身としては、最大公約数的な人の幸せとは何か、考えずにはいられません。

そんな中、最近ネットで「幸せ」について、下記のような意見をよく目にするようになりました。


人の幸せとは、人生の選択肢が多いことだ。


ふ〜む…

ここでいう選択肢とはおそらく、キャリアや生き方、そして購買、などなど、様々あるのでしょう。

多様性が重要な社会のテーマになっている令和の日本にとって、なんとなく、正しい!って感じの答えな気はします。


でもなんだか、腑に落ちなかったんですよね。


人は、選択肢が多いと幸せになれるのか…?


一般的に、人にとって最も選択肢が多いのは若い時期でしょうが、個人的には、学生時代はそんな幸せじゃなかったし、その時より人生の選択肢をかな〜〜〜り狭めている現在の方がむしろ遥かに幸せだと感じます。


だいたい、日本は発展途上国の人々と比べればひとりひとりの人生の選択肢は沢山、というか、膨大なハズなのに、国連の「世界幸福度ランキング」(※)によれば、日本は先進国では最下位クラスの58位。

※「自分にとって最良の人生から最悪の人生の間を10段階に分けたとき、いま自分はどこに立っていると感じるか」という質問への回答によって、幸福度をランキングしたもの。


ひとりあたりのGDPが日本の約1/4しかないモーリシャス共和国(57位)より低く

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あの、「世界一治安が悪い」とまで言われるホンデュラス共和国(59位)とほぼ同じレベルなわけです。

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自分のN1の経験や、こういう調査結果をふまえると、「人生の選択肢の多さ」は人の幸せの必要条件なのか…?と疑問に思うのです。

※健康で文化的な最低限度の生活が営めていない場合は別。経済的な選択肢の豊かさはそのまま幸せに直結する。


そこで改めて、人の幸せとは何かを様々な研究や人類の歴史を振り返りつつ、考えてみました。



人の幸せの半分は、遺伝的に決まっている…?自己実現や社会的地位が幸せに占める要素はたったの1割

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そもそも、幸せとはなんでしょうか。

一般的に認められている定義によれば、幸せとは「主観的厚生」とされています。つまり、客観的には測ることはできなくて、あくまでその人自身がどう感じるか、です。

科学的にいえば、幸せとは、神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのような様々な生化学物質から成る複雑なシステムによって決定されています。


この幸せについて、人類は有史以前から考え続けてきましたが、それは哲学的なアプローチでした。

本格的に幸せの科学的な研究がされ始めたのは1970年代からだと言われています。

この幸せに対する最新の研究成果、そして、それに基づいてまさに世界中の人々の幸せを調査した結果をドキュメンタリーとしてまとめた「Happy」という映画があるのですが、これがすっごく面白い。


この映画の最初のほうで、人の幸せの構成要素は3つに大別できることを紹介してくれるのですが、これがショッキング。


なんと、一番大きな要素は「遺伝」なんですね。50%もの割合を占めていました…


平常時のテンションでなんとなくポジティブな気分になる人と、理由もなくネガティブな気分になる人。これは、遺伝で決まっているそうです。

これは遺伝の規定ポイントと呼ばれています。

すっごい嬉しいことがあっても、逆に死ぬほど落ち込むようなことがあっても、結局このポイントに戻ってくるわけです。

なんか、身もふたもない…

でも、わかる気もする…


でも、幸せとは自分たち自身で努力して掴み取るものです!

自分がなりたい職業について、昇進し、社会の尊敬を集めれば幸せになれるハズ!!


ところが…


こういった生活環境は、人の幸せにせいぜい10%程度しか貢献してくれないそうです。


ひでえ…

自分もかつてそうだったし、今でも多くの日本のサラリーマンは、家族のことも顧みず朝から晩まで働いているというのに… じゅ、じゅっぱーせんと…!!


じゃあ、残りの40%はいったいなんなのか?

それは「意図した日々の行動 (Intentional Activities)」だとされています。



対外的なゴールの達成、ではなく、日々の行動そのものが幸せの源

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この「意図した日々の行動 (Intentional Activities)」とは何か?

例えば、運動です。

運動はそれを行うだけで脳内からドーパミンが放出されるので、日常的な運動は人を幸せにする、といえます。

最近、世間で筋トレが流行していますが、実に的を得た活動なんですね。


それから、自分が好きなことに熱中している時間です。

読書してるとき、料理をしているとき、山を登っているとき… 等々、人は自分が好きなことに没頭しているとき、幸せを感じます。愛する人とのセックスもそう。

こういう状態を「フロー」というそうです。


自分の外に設定された何かを達成することではなく、そこに至るプロセス、行動そのものに人は幸せを感じるということですね。


でも、ここで強烈な疑問がわいてきます。


じゃあ、人はずっとこういうフロー状態にいたら幸せなのでしょうか?


こういうフロー状態によって得られる幸せな時間が、不幸だと感じる時間を総量で上回れば、自分の人生は幸せだと胸を張っていえるのでしょうか…?



「すばらしい新世界」で描かれた完全な幸福

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この疑問が思い浮かんだときに、真っ先に思い出したのが昔読んだオルダス・ハクスリーのSF小説「すばらしい新世界」です。

近未来、人は母親からではなく工場から生まれるようになります。

そこでは、それぞれの子どもに、生まれてから担う予定の役割に応じて遺伝子操作が施されます。

すると、その子たちは予定通りの仕事につき、何の不満もなく日々その仕事をこなします。その仕事にやりがいも感じており、幸福です。

他の仕事をしたいという欲求そのものが存在しないし、また、その能力もありません。

ただ、生きているとやはり辛いことや悲しいこともあります。

そういう時には「ソーマ」という合成薬を服用します。

この薬は、生産性と効率性を損なわずに人々に幸福感を与えます。

この世界に生きている人には辛いことを我慢する必要もないのです。

よって、この世界を統治している世界国家は、ついに戦争や革命、ストライキやデモに脅かされることはなくなりました。世界は平和そのもの。

なぜなら、この世界の誰ものが、「幸せ」だから…



この世界の住民は、間違いなく自分の状況を「幸せ」だと回答しますし、実際にそうなんです。

でも、現代に生きる私たちの感覚からしたらどうでしょう…

少なくとも私個人は、幸福どころか、とても恐ろしいと感じました。


それは、誰の為に、何の為に、生きてるのかわからないと思ったからです。

いわば、「人生の意義」が欲しいと感じます。


でもこういう気持ちは幸せと関係するのだろうか…?


この疑問に、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンのある有名な研究がヒントを出してくれています。

ユヴァル・ノア・ハラリの名著「サピエンス全史」でわかりやすくまとめられているので、ちょっと長いですが引用します。

(カーネマンの)有名な研究で、人々に典型的な平日について、具体的な出来事を順番に挙げて説明し、それぞれの瞬間がどれだけ楽しかったか、あるいは嫌だったかを評価するように求めた。(中略)子どもの養育にまつわる労働を例に取ろう。カーネマンの研究から、喜びを感じる時と単調な苦役だと感じるときを数え上げてみると、子育ては相当に不快な仕事であることが判明した。(中略)だが大多数の親は、子どもこそ自分の幸福の一番の源泉であると断言する。


この研究はつまり、幸福とは不快な時間を快い時間が上回ることではないのを立証していると考えられるのです。

幸せかどうかはむしろ、ある人の人生全体が有意義で価値あるものとその人自身が見なせるかどうかにかかっている、ということでした。


では、いったいどうすれば自分の人生をそんなに価値あるものと見なすことができるようになるのでしょう…?



家族、親しい友人、地域など、互いに信頼できるコミュニティに所属し、そこで役割を担うこと

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ここで先に紹介した映画「happy」で出てきた、人が意図的に作り出せる最大の幸せの要素「意図した日々の行動 (Intentional Activities)」に戻ります。

様々な事例を紹介しましたが、その中でたったひとつだけ、高い幸福度を得ている人全てに、例外なく、共通していた事がありました。

それは、家族や友人、地域など互いに信頼できるコミュニティに所属し、そこで役割を担っていることです。

人は、自分以外の人のために行動するとき、自分の人生は価値があったと認識できるようです。


私たち人間(ホモ・サピエンス)は、社会的な生き物です。

何十万年の進化の過程で、人間同士で協力しあうことに対して、インセンティブが与えられるように脳が設計されてきました。それができないと、過酷な環境で生き残れなかったからです。

それはたかが数千年では変わりません。

ベイラー医科大学脳医学教授のP. Read Montagueによれば、人間は互いに協力することによって脳でドーパミン反応が起こります。

曰く、 人と協力して生活することは麻薬と同じくらい気持ちいいこと、だそうです。



さて、ここで大まかに私の調べた限りの人の幸せの構成要素は紹介し終わってしまいました。

となると、こう感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。


え、これだけ?、と。


そう、人の幸せに必要なのは、基本的にこれだけなんです。

遊ぶこと
好きなことをすること
友達や家族を大切にすること

もう実践されている人も多くいらっしゃるかも。

※繰り返しになりますが、健康で文化的な最低限度の生活が営めていることが前提。これが保障されていない場合、お金と幸せは密接な相関関係があります。


本来なら、別に大学に行かないと手に入らないものでもないし、いい会社に入らないといけないわけでもない。終電ギリギリまで残業する必要だってありません。

その割には、私たち日本人ってちょっと日々何かに追われすぎじゃないですか?

大事なことなので繰り返しますが、これは科学的・統計的に導き出された一般論です。全ての人に当てはまるわけではありません。




無限の選択肢を人に迫り続ける資本主義

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私たちは子どもの時からこう言われ続けてきました。

「もっといい学校にいけるはずだ!」

「もっと充実した仕事があるはずだ!」

「もっと稼げるはずだ!」

「あなたにはもっと相応しいパートナーがいるはずだ!」

「こんなにカッコイイ車が発売されるよ!」


資本主義の必然として、我々は常に、無限の選択肢を社会から突きつけられています。

人が1日にみる広告の数は、7,000を上回るという統計もあります。


でも本質的な人間の幸せを考えた時「これらの選択肢は不要」というのがこれまでの人の幸せに関する諸研究の結論です。

むしろ、本当に大切なことから目をそらさせようとする分、害悪にすらなりえます。


その選択肢の先にあるモノが欲しいと思ったのに得られなかったら、自分は不幸だと感じてしまうし、さらに言えば、仮にそれを無理して得たところでそんなに人の幸せには寄与しないのです(せいぜい10%)。

でも、こういった選択肢に踊らされて、家族や自分の大切な人を蔑ろにしてしまうことは誰にだって起こりうることです…

見方を変えれば、幸せとはつまるところ主観的な期待と客観的な現実の差が小さいこと、といえるかもしれません。

亡くなった私の祖父は常々こう言ってました。「足るを知れ」と。

今なら、すごくよくわかります(当時は全然腹落ちしてなかったけど…)


一方で、絶対に忘れてはならないのは我々人類は資本主義よりマシな経済の仕組みを歴史上、社会に実装できた実績がないことです(それ以外のものを試して悲惨なことになった歴史を忘れるわけにはいきません)。

資本主義を安易に否定することはできないし、今の我々の生き方を根本的に変えることもまた現実的ではないでしょう。

では、私たち自身の幸せのために今からできる具体的なことはいったい何でしょうか。



自分の心と向き合おう

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私たちが、私たち自身の幸せのために今すぐにでもやれることはひとつあると思います。

それは、私たち自身の幸せを、他人や社会に決めさせないことです。


内在的な、私たちの心が求めていることに素直に耳を傾けることではないでしょうか。

とはいっても、私なんかはいきなり慣れない瞑想とかはじめても寝てしまうのがオチです。

なので、心に耳を傾けるポイントを3つ押さえておくとよいかもしれません。


①家族、親しい友人、地域の人々を大切にできているか

生物学的に、人間は社会の中で生きるように設計されています。私たちにとって最も身近な社会とは、家族であり、親しい友人であり、地域の人々です。そういう人たちの為に、私たちは具体的に何ができているでしょうか。

例えば、同じ男性のみんなに言いたいのは、自分の子どもが生まれた時に育休を取得するのは家族の為だけでなく、自分の幸せの為にも必須なのではないかと思います(今はまだ5%ちょいしか取得できてない)。


②好きなことを日々やれているか

幸せは、自分の外に置かれたゴールや自己実現ではなく、日々の行動そのものが源泉です。演奏すること、料理をすること、絵を描くこと… 等々。日々の仕事の忙しさにかまけてこういう自分の好きなことをおろそかにしていませんか?


③本当に必要なことだけ求める

私たちが今欲しいと思っている商品、サービス、は身の丈にあったものでしょうか。そういうモノを手に入れる為に無理をしていないでしょうか。仮に、そういう欲しいモノを手に入れても私たちが幸せになることはありません。立ち止まって考えてみましょう。



私は妻と結婚したことで、他の女性と結婚する選択肢を失いました。

NPOで働く選択をしたことで、株式会社で働いていた時ほどの収入はなくなり、かつてのような贅沢をする選択肢を失いました。

子どもを授かったことで、夫婦二人だけの時にはあった自由を失うのでしょう。

でも、私は今かつてなく幸せです。

もう人生の選択肢は多く残されていないし、楽しいことばかりでもないし、日々苦悩しながら過ごしてますけど、でも、この生活に心から満足しています。


人の幸せというのは、人生の中で無数に突きつけられる選択肢を自ら削ぎ落とし続けて、最後に残った等身大の自分自身を知り、それを受け入れる、ということなのかもしれません。


本記事では書ききれなかった「現代を生きる家族の幸せ」を、本でもっと掘り下げてみました!全体のテーマは、「パパの家庭進出」です。現代の家族のあり方について、実体験を軸にしつつ、政治、経済、歴史など、様々な視点から考えてみました。ぜひご一読ください。


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マーケター / 認定NPO法人フローレンス 代表室。著書『パパの家庭進出が ニッポンを変えるのだ!』 ▶︎ http://amzn.to/2QTNtCn 。前職はリクルートHDの新規事業開発室でプロダクトマネージャー。慶応義塾大学総合政策学部中退。妻と娘と三人暮らし