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『箱男と、ベルリンへ行く。』(二)

・『何をお召しになりますか?』

さっそく話はベルリンに飛びたいのですが、その前に、洋行には当然それなりの準備が必要です。それも賓客として映画祭に参加するとなれば、それ相当の。

こまごました私物の用意は、ある程度慣れたもので、滞在日数は都合三日半ほどですし、大騒ぎするほどのことではありません。むしろ屁の河童です。
ただし、今回はただの洋行ではなく、『権威ある』映画祭への参加でありますので、問題は、「何を着るか」でした。

難しいのは、私が、来賓には違いないが、主賓ではないという事、つまり、主賓ではないが、とはいえ来賓には代わりないという立場だということです。そうした人物が、ヨーロッパでの公式の場で何を着るか……、考え始めると、やけに難しい問題のような気がしてきました。タキシードはやり過ぎのような気もしますし、粗末な書斎の隅、ハンガーに引っかかっているAOKIのスーツでは心許ない気もします。
というか、こんなこと考えること自体、むしろ自意識まみれの恥ずかしい行いなのかもしれない。いっそ、普段着で行ってやるか、いや、それでは『作品』の品格を汚しかねないし、『自分、社交の場でも普段着とか着れちゃうタイプじゃないですか?』というイタいヤツだし。とにかく、最低限の品を維持しながら、目立たない衣服で過ごしたい……。
私の洋行準備ミッションは、この不毛な思考のループから抜け出す事から始まりました。

ところで、骨格診断というものをご存じでしょうか。自身の身体をしかるべき診断士に測ってもらい、その上で自分の体格に合った衣服を選んでもらうサービスのことだそうです。
そういうサービスがあるということを、私は妻の知り合いのマンガ原作者さんから聞いて知りました。なんでも、ご自身のマンガ賞受賞の際に利用したのだとか。
「私に残された道は、もはやこれしかないのかもしれない」と光明が差し、私も、その方が利用したという『伊勢丹』さんの骨格診断をさっそく予約しました。
渡航十日前、おどおどしながら、新宿『伊勢丹』へ。通されたのは、8階にあるアテンドルーム。重厚なしつらえの部屋です。気後れしながら、席に着くと、それぞれ男性、女性一人ずつのコーディネーターさんが、私のお世話をしてくださいました。
「失礼します」と断りながら、男性が私の身体を触っていきます。手の平をムニムニ、二の腕をもみもみ、その都度、隣でプロファイルをとる女性にひそひそ耳打ちしていきます。
私自身の身体の秘密が明かされていくような期待、同時に解体されていくような不安で、もうなすがままです。同時に、カラー診断ということもやってもらいまして、これはようは自分にどんな色が似合うのかが分かるというもの。

 

カラー診断中のいたたまれない私

 
結果、自分に似合うと考えていた色やシルエットの服装が、まったく似合わないものだったということが判明しました。これには愕然とさせられました。コペルニクス的大転回に近い驚きがありました。
黒や紺や白が似合うと思っていたのに、それらはまったく自分に似合う色では無かったりとか、少し、オーバーサイズが似合うと思っていたのに、とにかくジャストサイズ以外は似合わないと判明したりたとか……。
自意識の中での自分と、他者から見られる自分、もちろん、薄々分かっていたことなのですが、ここまで違うものかと、強烈に意識させられたのです。
「ほう、これは、くだんの『箱男』にも通ずるテーマである」と思ったり。
そして、無事、私の「何を着るか」に対する答えが出ました。

以下戦利品です。
Hugo Bossのスリーピース、ブラックスーツ。
Les Lestonのドレスシャツ。
Robert Fraserのネクタイ。
Dieffe Kinlochのポケットチーフ。
Seekのロングホーズソックス。
Crockette&Jonesのコノート2。


これがその全貌だ!
手にはミニチュア箱男とオジさん御用達の紙袋。そしてお隣はおすましの関さん。



私が出せるギリギリの予算を勘案して全てコーディネーターさんが集めてくれました。奇遇にも、Bossのスーツ。ドイツに行くのだし、ちょうどいいかもしれないと思ったり、ちょうど、先日、『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んでいたこともあり、少し運命的な気分です。(Hugo Bossはナチの制服をデザインしたというネット言説がはびこっていたそうですが、それは間違いだそうです。Bossがファッションブランドになったのは戦後。当時は、いち縫製工場を営んでいただけで、ナチ・ユニフォームを縫製していたにすぎない)
ちなみに『ナチスは~』という本はとてもよい本でした。みなさんも読むといいかもしれません。

(いながききよたか)


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