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TOKYO2020 オリンピック開会式を見て感じたこと(次の日の深夜3時版)

2021年7月23日,TOKYO2020オリンピックの開会式が行われた。

コロナ(COVOD-19)の影響で五輪史上初の「1年延期」で始まるオリンピック。5年ぶり。こう聞くと,普段4年ぶりという言葉になれているからか,1年の有無が大きく聞こえる。

日々研鑽を積み,努力を続けてきたアスリートに敬意を払い,応援したい。また,組織委員会など大会の運営に尽力した人たちの苦労は計り知れず,無事大会が執り行われることを願う。

私もとあるポジションで,TOKYO2020大会には関わる。開催意義などを考えることを放棄しない。この国際的な「祭り」に楽しんで参加するのはもちろん,後で振り返って,自分にとってどのような経験になったかをしっかり言語化したい。

開会式

本題に入る。開会式を見た。かなりしっかり見た。入場行進も見た。バッハ会長のあいさつのときはぼーっとしてた時間もあったけど笑

一番印象に残っているのは,「ピクトグラムをパントマイムで表現」したパートだ。ものすごくお金がかかっていたり,有名人が出ているわけではない。ユニークなユーモアで,そしてくすっと笑える,人間らしいパートだったと思う。

また,ドローンのパートも壮観だった。(スポーツ紙からのリークか何かで事前に知っちゃっていたのが残念。記憶消してもう一度見たかった。)

最終聖火ランナーの大坂なおみ選手もよかったと思う。ネット上で反発している人もいたようだが,よくわからない。新しいアスリート像を打ち出す彼女こそ,ふさわしかったように感じた。(大坂選手の直前の子供たちでもよかったけど。)

ただ,全体を通してはもやっと感が残った。なんだろうこれは。

開会式への絶賛の意見や批判の意見に左右されているだけなのかもしれない。ただ,それを抜きにしても,開会式全体のテーマや演出の連続性があまり感じられなかったのは私だけだろうか。

開会式の高揚感や,各選手団のカラフルな衣装,ピクトグラムやドローンなどによって,よい開会式だったとは思う。見ていて楽しかった。

でもこのもやりは...

と思ったら,この記事を読んだ。なるほど,わかりやすくなった。言語化の力がすごい。

今回の開会式が世界に発信した「日本」とは一体なんだったのだろうか。

この視点,まさに「もやり」の原因だと思った。

開会式全体で,「世界に伝えたい日本」がよく分からなかったのだ。

「オジサン的価値観」「少し前の典型的な日本観」で固まったことによって,断片に分かれたパートを繋ぎ合わせたものになっていた。茶碗の修理では,美しいものになるかもしれない。利権なども絡む五輪では,その断片は,素材がまるで違ったり,厚さや断面が全く異なるものになるのかもしれない。(金継ぎの良さはもちろんあり,これが日本分野のユニークな点の一つだと思う。でも世界にアピールする開会式ではよい方向にはたらかなかったのでは...ということ。)

私が今回の開会式で魅力と感じたのは

「アイデアを使ったユーモア」
「最先端技術(ドローン)」
「多様性あふれた社会」

だった。これが「私が世界に伝えたい日本」なのかもしれない。

一方,開会式では日本の伝統がいくつか紹介されていた。(江戸時代の火消しや歌舞伎)ただ,これは昔の日本を紹介するだけで,今の日本や未来の日本にどうつながっているかがよくわからなかった。(市川海老蔵の歌舞伎はピアノとともに行われていたが,少し抽象的ですぐ理解が追い付かなかった。途中,ピアノだけ写って,海老蔵はどうなっているんだろう...っていう時間もあったし。早着替えしていたのだろうけど。)

もちろん,日本の伝統文化は大事だし,世界に誇れる。ただ,これと「現在・未来」とのコラボがあまりメッセージとして伝わらなかった。「私が世界に伝えたい日本」は「伝統文化の精神を受け継ぐ日本」なのだろう。

(開会式に関する議論で,別の演出家の案だったら...という話が散見される。その演出家が降板しなければいけなかったこと自体が日本の大病理だと思う。ただ,今回の演出に関して,比較するのは「ifの話だしなぁ」とあまり気乗りしない。)

今回の開会式は,漂流した結果,行き先があやふやになり,それを何とか進めようとした関係各位(演出チームや組織委員会・政治家)の方向性が食い違い,船頭がたくさんになった。船頭がたくさんいて失敗する組織は日本に限らずたくさんあるだろう。(ワンマン経営も問題だが,一人が道しるべを示し,それを皆で共有することが大事だ。政治も一緒。)今回の開会式もつまるところ,ガバナンスの問題と言えるのかもしれない。

コロナがなかったらどうなっていただろう?

もし,コロナがなかったらどうなっていたのだろうか。演出チームが解散することもなく,満員の観客で盛大に行われていたかもしれない。

ただ,そうだった場合,私も雰囲気に流されやすいので,つられて盛り上がってしまい,こんなことを考えることもなかったと思う。

「こんなこと」とは,開会式のみにとどまらず。日本に染み付いた「(おじさん的)価値観」と,世界にどうみられるか,どう見られたいかという視点だ。(イメージ戦略の重要性。)

また,なにより1年延期されなければ,組織委員会の会長が森さんだった。開会式であいさつするのが森さんなのである。なかなかですよ。これが世界にアピールしたかった日本なのか...(1年延期のポジティブな側面と言えるのかもしれない。不謹慎だが。)

とりあえず,コロナ禍・1年延期によって,私も様々な事を考える機会になった。今後も考えたい。

閉会式を楽しみにしたい。(パラの開閉会式も。)そして,選手の活躍が楽しみだ。

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