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【ショートストーリー】マスク教

 世界的な感染症が蔓延し拡がりを続ける中において、世の中に「マスク教」なるものが誕生した。この感染症は従来の感染症に比べて非常に感染する力が強く、その最も効果的な予防策として、手洗いとマスク着用だとされてきたのである。
 ところがである、現代の世の中は非常に多種多様な概念が受け入れられ、かつ尊重される世界であり、当然マスクを付けることについてもあらゆる考えや思想が生まれ、それぞれが信者を増やしつつあったのだ。
 マスク着用を絶対とするもっとも古い教義を掲げる「マスク絶対教」に対して、最初に現れたのは「鼻出しマスク教」であった。次に現れたのは「あごマスク教」。そして、ワクチン接種が進む世に突如頭角を現し始めた「ノーマスク教」であった。

 ある日曜日の昼下がりの公園に、彼らの集団は四つの方角から集まってきた。西からは「マスク絶対教」、東からは「ノーマスク教」、北からは「鼻出しマスク教」、そして南からは「あごマスク教」だった。
 四つの方角から歩みを進める彼らは、公園の真ん中にあるまあるい噴水のところでかち合うことになった。噴水を中心にして、彼らの列をなした集団がちょうど十字架のような形をなして歩みを止めることになった。

 彼らの胸や帽子には、それぞれいくつものカラフルはリボンがつけられている。オレンジリボン、パープルリボン、ピンクリボン、ホワイトリボン、イエローリボン、レッドリボン。あるいはマタニティーマークやヘルプマークを付けている者も見受けられた。
 彼らは暴力を好まなかった。そして、ともに多様性やジェンダー平等など、あらゆる事象に対する寛容をも求めていた、はずであった。
 西の方から誰かが叫んだ。
 「ジェンダー平等!」
 すると、それに呼応するかのように東の集団からシュプレヒコールが上がる。
 「差別をなくせ!」
 また、誰かが、
 「ブラック・ライブズ・マター!」
 と叫ぶと、またどこかから、
 「イエロー・ライブズ・マター!」
 と叫ぶ声が上がる。
 それぞれの宗教が、あたかも共鳴しているかのように思われた。ダイバーシティー、多様性への不寛容は彼らにとって共通の敵であったのかもしれない。しかしながら、西の集団から湧きあがった声が、彼らの空気を一瞬で変えてしまった。
 「マスクをきちんとしろ! マスクをしない奴らには厳罰を! 市民権を与えるな!」
 「マスク絶対教」からの主張であった。
 そこで「鼻出しマスク教」の集団が応える。
 「鼻出しマスクは、呼吸もしやすく、感染もある程度癖ぐことができる。マスクは鼻出しがもっとも効率がよいのだ!」
 「鼻を出すなど、不細工極まりない。反吐が出る!」
 「到底受け入れることなどできない!」
 次は「あごマスク教」。
 「あごにすれば、咳が出そうになった時や隣でせき込む者があればすぐに装着できる。しかも表情が見える。これに越したことはない!」
 最後に「ノーマスク教」が叫ぶ。
 「マスクが感染予防に効くという科学的根拠などないのだ。マスクなど不要なのだ!」

 叫ぶ彼らの胸の上で、ダイバーシティをはじめとした様々なものの象徴であるカラフルなリボンがむなしくはためいていた。
 彼らは、お互いの存在を受け入れ、認めることができなかった。抱える矛盾に気づくこともなかった。
 お互いがにらみ合いながら、ただ時間だけが過ぎていくように思われたが、しばらくしてそれぞれのグループの中からひとりずつ子どもが歩みだしてきた。
 子どもたちは皆、様々な色と模様で彩られた袋のような物を頭部にすっぽりとかぶり、胸には大きな容器を重たそうに抱えていた。四人が噴水のそばまで来ると、胸に抱えていた容器から透明な液体を噴水の中に流し込み始めた。アルコール製剤であった。四人の子どもたちは、アルコール製剤を注いだ噴水の池に入っていく。するとどういう作用が起きたのか、四方の集団から次々と人が噴水の中になだれ込むように入っていったのだ。
 彼らは、噴水の周りを、まるでジャングルの木の周りをぐるぐると回るトラたちのように回り始めた。アルコール製剤が混ざった池は渦を巻き始めた。人々の勢いはますます大きくなっていく。渦の勢いもどんどんと強くなり、人々は渦に足をとられてバタバタと倒れはじめた。激しい水の流れにのまれ、誰もが自らを制御できなくなってしまっていた。そのような状況が長い時間続いた後、最後にはあの物語のトラたちと同じように、彼らはバターのようにどろどろに溶けてしまったのだった。
 やがて、穏やかに戻った噴水の池の水面には、四人の子供たちがかぶっていた、色とりどりの袋状の物だけがひとつにかたまりながら漂っているだけだった。


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