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短編小説「放っておいてくれないか」1/2
今回は、短編小説をアップします。
noteで読みやすいボリュームにするため、中途半端かもしれませんが、2回に分けてアップしたいと思います。
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あらがうことのできない潮に導かれるかのように、意識が眠りの水面からゆっくりと浮かび上がってくるのを、優二はしびれた脳で感じた。しばらくの間、今日がいったい何曜日なのかという感覚がなく、スマートフォンを顔の前に持ってきてようやく今日が土曜日だということを確かめた。
寝ている間にスマートフォンに来ていた通知をベッドの上でチェックしたあと、彼は布団から起き上がる。体はまるで、大量の魚がかかった網を海から引き上げる時のように重くなっていた。
隣の部屋にいくと、美咲が庭に出て洗濯物を干していた。窓が全開になっているので、外の冷気が入り込み部屋の中がかなり冷えていた。
掛け時計を見たが、それはずっと前から止まっていることを思い出し、テレビの前の小さな時計で時間を確認した。10時50分だった。
テーブルには、昨日の夜に飲んだ発泡酒の空き缶がいくつも、昨夜のまま放置されている。美咲が部屋に戻ってきたので、優二は言った。
「今日は、午前中の間に駅の駐輪場に定期の更新に行かなければならないんだ」
「じゃあ、朝ご飯はどうするの? 食べていくの?」
「食べてる時間なんてあるわけないだろう。 昼までにはいかなくちゃ閉まってしまうんだから」
「そう、じゃあ、スープだけでも飲んでく?」
「ああ」
「コンロにかかってるから、勝手に入れて飲んでくれる、悪いけど。」
美咲は、ひと時も手を休めないで、まるで見せつけるかのように今度は部屋の中に洗濯物を干し始めていた。
「それより、壁の時計、ずっと止まったままじゃないか。いい加減電池交換しといてくれないかな。」
「別に、テレビの前の時計があるからいいじゃないの。」
そう言い捨てて、彼女はまた新たな洗濯物を取りに洗面所の方に歩いていった。
「えらい洗濯物が多いんだな」
聞こえたのかどうかはわからないが、美咲からの返事はなかった。
優二は、わざと大きな音を立てながらスープを温め、それからお湯を沸かしてインスタントコーヒーを淹れて飲んだ後、駅に向かって自転車を走らせた。
雨上がりの冬の寒い朝だった。見上げると、水分をたっぷりため込んだ綿のような雲と青空だった。その空の色は、気が滅入るほど濃い青色をしていた。
駐輪場から家へ戻ると、娘の紗江も起きていた。ソファーで寝転びながら、ユーチューブを見て、癇に障るような甲高い声で笑いこけていた。
ソファーの下は、娘の高校の教科書やらノートやらが散らかって足の踏み場もないくらいになっていた。
「やっと、自転車の更新ができたよ」
優二は食卓の椅子に腰かけながら言った。テーブルには、昨夜の空き缶は端に追いやられ、美咲が通信講座で勉強している心理学のテキストが一面に広げられていた。
「よかったじゃない、間に合って」
彼女は、キッチンでカレーを温めながら言った。
「それより、ジーパン履き替えてくれない? 膝が出てしまうから」
「俺は、家でもジーパンがいいんだけどもな。」
すると、彼女は大きく息を吐き出したかと思うと、突然隣の部屋に大股で歩いていき、これに履き替えてくれ、と言わんばかりに彼に向ってグレーのスウェットパンツを放り投げた。
「これを履けってわけかい? スウェットって実はあんまり好きじゃないんだよな」
しかし彼女は何も言わなかった。
「やっぱり、ジーパンのままでいいだろう? 結婚前はずっとそうしてたんだけど」
スウェットパンツを指でつまみ上げながら優二は言った。
「あなた、今日はどうしちゃったの? しょうもないことで突っかかってきて。」
「どうもしやしないさ・・・でも、ちょっと疲れてるのかもしれないな。さっきの駐輪場でも、係の人にイライラしてしてしまったしな。」
そんなやり取りをよそに、紗江はやはり、タブレットでユーチューブを見ていた。そこからはけたたましい笑い声が聞こえてくる。この世の中の一体どこにそんなに面白いことがあるというのだ。
「ユーチューブの声、もう少し小さくしてくれないか。なんかイライラしてしまうんだよ。」
娘は、ちらりと父の方を見ると、わかった、と言ってボリュームを下げた。そして、
「ねえ、パパ。」と言った。「あとで数学の問題教えてほしいんだけど、パパ、数学って得意だっけ?」
「数学は苦手だけど、ま、あとで見てあげるよ」
彼女はうなずいて、またタブレットの方に視線を戻したのだった。
読んでいただいて、とてもうれしいです!