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【ショートストーリー】同級生

 明から連絡があったのはちょうど一週間前の金曜日だった。1か月ほど前に、25年ぶりに中学の仲間で同窓会的に集まることになり、その時に明とも連絡先を交換したのだ。
 「あの時はあんまり話すことできなかったし、今度二人で飲みにでも行かないか?」
 明は電話で言った。
 大成は少しの間迷ったが、最終的には明の誘いにオーケーした。
 「いいよ。来週の金曜日はどうかな?」
 それが一週間前の今日の会話だった。

 先月の同窓会は、大成や明が所属していた中学の野球部の同級生が中心に、サッカー部、バスケ部、そして女子バレー部や女子バスケ部にまでが集まった。
 女子バレー部の顧問の麻生まできていた。麻生は今ではどこかの中学の校長をしているようだった。かつての女子部員に囲まれて、嬉しそうに飲んでいたのだが、麻生が当時は暴力教師だったことを、彼女らは忘れているはずもなかったのだが、今となってはそんなことなどもうどうでもよくなっていたのかもしれない。
 「斎藤とか、連絡先誰か知らんの?」
 どこかの男が言う。斎藤は中学のころに男子から人気のあった女子のひとりだ。元バレー部の女が、
 「私、知ってるから、ちょっと電話してみるわ」
 と言い携帯電話を取り出す。
 「そういや、西本はどうしてんの?」
 また別の男が言う。
 「西本さんはさ、もてるけど、ダメ男にばっかりつかまってるみたい。相手に奥さんがいるとかさ」
 「そうなんだ」
 「やめとけっていつも言ってるんだよ、私は。それでもダメみたいなんだよねぇ」
 あまり明るくない店の中で、同級生たちの話は時折しなびた花のような香りを帯びながらも、にぎやかに続いていた。
 自営業者、専業主婦、結婚している者、していない者、羽振りのいい者、何やら怪しげな仕事をやっている者などがいたが、不思議なものでみんながその場では中学生にもどっている感覚であった。
 明は、小学低学年と幼稚園くらいの娘を二人連れてきていた。父親の側にまとわりつきながら、二人の娘は大人しく料理を食べていた。彼女たちは、卵や乳製品に対してアレルギーを持っていたため、料理も特別なものにしてもらっていた。しかし、どちらにしても食が細いようで、しばらくしたところでもう食べるものもなく、退屈し始めていたのだが、そのうちにいつの間にか床に丸くなって眠り込んでしまっていた。
 大成もかなり酒を飲んだ。
 「大成がそんなに飲む奴だとは思わなかったよ」
 同じ野球部だった紘一が声をかけてくる。大成は笑ってそれに応えた。
 「結婚してるのか?」
 「ああ。3歳の息子が一人いる」
 大成は言った。「紘一は?」
 「おれも、息子が一人いるよ。もう高校生だ」
 大成は紘一にビールを勧めた。
 「いや、俺は焼酎の水割りを飲んでるんだ」
 紘一は3年前に離婚して、息子とはほとんど会っていないと言った。氷の音をからからと鳴らしながら、紘一は透明な液体をうまそうに口に運んでいた。彼とは野球部の補欠組で、小学校からの同級生だった。
 「大成はえらい頭よさそうな顔になったなぁ」紘一は言った。「今は公務員だろ」
 「くだらない税務署の職員だよ」
 「いや、すごいよ」紘一はかなり酒が回っているようだった。「大成ってさ、小学校の時さ、自転車だけはかっこいい奴乗ってたよなぁ。変速つきのさ。おれそれがうらやましくてすごく記憶に残ってるんだよな」
 紘一は昔を懐かしむような表情をした。
 「そんだったかな」大成は苦笑いをし、「ちょっと俺も焼酎もらってくるわ」
 と言って席を立った。
 席を立つと、どうしてだか急に冷めた気分になった。アルコールのせいもあるのかもしれない。さっきまで座っていたところに目をやると、紘一の隣に誰か女性が座っていたが、それが誰なのかはわからなかった。どういうわけか、それがとても遠く離れたところ――手を伸ばせば伸ばすほど届かない距離へと逃げて行ってしまうような――の風景のように見えた。アルコールで視界が微妙に歪み、部屋の柱やテーブルも変形しているように見える。交わされる話し声は、まるで夢の中のように、あるいは遠い過去の記憶のかけらような不確かなものに感じた。
 カウンターまで行くと、そこでひとりで座っている明がいた。二人の娘は少し離れた場所で――店の人にスペースを確保してもらったようだ――静かに寝息を立てていた。
 「子ども大丈夫か?」
 大成は言った。
 「ああ。でももうそろそろ帰らないといけないかもな」
 明はハイボールのグラスについた水滴を指で触っていた。
 「悪いけど、娘を一緒に担いでくれないか? ぐっすり寝てるから、多分もう起きないと思うんだ」
 大成は、明の娘のひとりを抱え上げ、店の階段を注意深く降りていった。最も羽振りの良い二階堂が、部下に連絡し車を手配させた。
 「俺の部下に車出させるからそれで帰れよ」
 彼は半分ろれつの回らない口調で叫んだ。大成は断わろうとしたが、断るには酔いが回りすぎていたのかもしれない。ただ、子どもを落とさないことにだけに神経を使っていた。
 店の前で待っていると、やがて黒塗りのベンツが彼らの前に静かに止まった。夜目にもピカピカに磨きこまれていることがよくわかった。
 明は気後れしながらも、子どもと一緒に後部座席に乗り込み、大成も自分の抱えている子どもを乗せると、まるで巨大魚のように夜に溶け込んでいく車を見送った。その後、自分がどうやって家まで帰りついたのか、まるで記憶がなかった。

 あれから1か月がたっていた。日に日に風が冷たくなり始めていた。駅前の待ち合わせの場所に少し遅れていくと、明はもうぼんやりと立って待っていた。
 「ごめん。仕事で遅くなってしまった。」
 「いや、いいよ」
 明は顔の前で小さく手を振って答えた。明はシャツとジーンズ姿だった。
 「今日は仕事は?」
 明の服装を見て、大成は尋ねた。明は今日は仕事を休んだのだと言った。スーツ姿の自分と、普段着のラフな格好の明とに、なんとなくちぐはぐな感じを覚えながら、大成は歩きだした。
 駅の周辺には多くの居酒屋があった。彼らはいくつかの店を外か除きながらぶらぶらと歩いた。
 「この店どうだ? なかなか旨いぞ」
 大成は、自分が一度言ったことのある店の前で言った。
 「何の店?」
 「焼き鳥がメインかな」
 大成は言った。
 明は目を凝らすように店の中をうかがい、言った。
 「ちょっと高そうじゃないか?」
 「そうか? そんなことないけどもな。じゃ、別のとこ探してみるか?」
 大成はどの店でもいいと思っていたのだが、その後もなんどか同じやり取りが続き、なかなか入る店が見つからなかった。
 「どうしようか?」
 明は言った。ちょうどその時、歩く先にコンビニエンスストアがあるのが目に入った。
 「じゃあさ、コンビニでビールとアテ買って公園で飲むか」
 大成は言った。明は少し逡巡してから、ああ、そうしよう、とうなずいた。
 コンビニエンスストアで、ビール500㎖缶と唐揚げを買い込み、彼らは公園のベンチに座った。公園は少し肌寒かった。頭上には大きな樹木の影が枝を広げ、その隙間からは銀色に冷たい月が浮かんでいた。想像していた飲み会とは違ってしまったが、そこにはどこか不思議な懐かしさ感があった。
 彼らは、缶ビールで小さく乾杯をした。大成は、あたたかい唐揚げをひとつ口に入れた。
 「悪いな、俺のせいで」
 明は言った。
 「いや、いいんだ。それよりほんとにこんなんで良かったのか?」
 「ああ。俺はお前と飲めるだけでいいんだよ」
 明は言った。明とは、中学時代もそれほど親しかったわけではないのだが、それがこんなふうに飲むことになって、大成はなんだか不思議な想いにとらわれていた。
 公園の暗闇の中で、誰かがサッカーボールを蹴る音が聞こえている。ボールを蹴り、それが壁に跳ね返り、そしてまた蹴る。時々リズムを狂わせながら、その響きは何度も何度も繰り返されていた。
 「お前、今は税務署に勤めてるんだよな」
 明は言った。
 「ああ。明は仕事何してるんだったっけ?」
 大成はかすれた声で尋ねた。どういうわけか、喉が何かに急に締め付けられたようになったのだ。
 「俺はおしぼりを配送する仕事ををしてる。喫茶店とかにおしぼりを配ったりな」
 「へぇ。そんな仕事あるんだ」
 「ああ」
 明は、ビール缶の飲み口をじっと眺めた。大成は体を前後に揺らし、公園の砂地を見つめていた。薄暗い街灯のもと、砂地の上に二人の薄い影が、模様のように、あるいは古い染みのようにこびりついていた。
 誰かが蹴り続けるサッカーボールが、いつかこちらに飛んで来やしないかというかすかな恐怖を大成は感じた。
 公園では、風が強くなってきていた。頭上の木の葉が大きく揺れて音を鳴らし始めている。
 「季節外れの台風が来てるらしいな」
 大成が言う。明は、ああ、と答える。
 見上げると、いつの間にか月も黒い雲の後ろに姿を消していた。雲のわずかな隙間からのぞくかすかな明かりが、かろうじてその存在を知らしていた。
 「実はよ・・・」
  缶を見つめながら、明は言った。
 「俺んとこさ、昔、生活保護を受けてたんだ」
 「ああ」
 二人の間に、沈黙が生まれた。闇が質量を持ったかのように重く、濃密になった。乾いた口に、大成はビールを流し込んだ。
 「どうして、今それを言ったんだい?」
 大成は尋ねた。
 「どうしてだろうな・・・でも、何というか・・・フェアじゃないって、そんな気がしてさ・・・」
 明もビールをひと口飲んだ。
 「俺、いつかそのことを誰かに言わければ、とずっと思っていたんだ。それがいつだって俺の重石になっていたのかもしれない。別にどうでもいいことなのかもしれない。でもそのことを言わなければ、俺、他の奴らと同じステージに立つことはできないんだ。でないと解放されることはないんだって、そんな気がしてたのかもしれない」
 雲が驚くような速さで流されていく。
 サッカーボールを蹴る音は、相変わらず響き続けていた。



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