見出し画像

畳に寝ころびながら天井を眺める

 畳の上に寝ころぶのが好きだ。
 畳の上に仰向けに両手を左右に大きく広げて寝ころび、背中で畳の少し温度の低いひんやりとした優しさを感じながらぼんやりとするのだ。杉の木でできた天井の木目はまるで命のゆらぎのように柔らかな曲線を描き、ぼくはその模様をなぞるようにしながら眺める。

 畳の上に寝そべると、なんだか嫌なことがすべて忘れられるような気がする。リラックスして、まるで世界が自分だけのものになったような気持ちになるのだ。

 子供の頃に住んでいた実家にも畳の和室があった。畳は古く、天井の板も古びて色が濃くなり、床の間には季節ごとに違った掛け軸がかけられていた。

 夏の昼間などは、縁側の窓を開け畳の冷たさを感じながら、かすりっぽい布でできた座布団を枕によく昼寝をしたものだった。
 子供の頃は畳の上に大の字で寝転んでも、小さな部屋であったけれどまだまだたくさんの余白が畳の上には残されていた。

 寝転びながら、ぼくは心地よさとともに自由を味わってたのかもしれない。
 今でも畳の上に寝転ぶと気持ちが開放されたように思うのは幼い頃の記憶が想起されるからなのだろうか。その気持を求めて、ぼくは今でも時々、畳の上の仰向けに寝転ぶのだ。

 大人になれば子供に比べてできることは多くなるのに、子供の頃よりも不自由さを感じてしまうのはなぜなのだろう。

 ぼくはただ静かに天井の模様を眺めている。時間がゆっくりと流れている。

 実家にいた頃、小さな姪っ子がぼくの姉と一緒にしばらく実家に戻って来ていたことがあった。季節は夏で、夕方になると激しい夕立と雷が連日のように続いていたときだった。姪っ子はまだ1歳か2歳くらいだっただろう。
 夕方、ぼくと姪っ子は畳の上で昼寝をしていると、突然激しい雨と雷が鳴り始めたのだ。雷鳴ははじめの頃はまだ遠いところで鳴っていただけだったが、次第に空が光るのと雷の音の感覚が狭くなり雷鳴も地響きのように大きくなってきた。
 隣の部屋でテレビを見ていた姉は慌てて2階に上がり、大急ぎでベランダに干してある洗濯物を取り込み始めた。
 薄暗い部屋の中で、姪っ子は空がピカッと光り雷鳴が轟くたびに目から涙をいっぱい流しながら泣きわめきぼくにしがみついてきた。
 ぼくは姪っ子の丸くなった背中を、大丈夫だから大丈夫だから、と畳の上で座りながら夕立が過ぎ去るまで静かにさすり続けていた。

 畳の上で寝転んでいると、そのような昔の記憶が蘇ってくるのだ。


 あのとき雷の音に泣き叫んでいた姪っ子も、今ではもう3人の子どもの母親になっている。




読んでいただいて、とてもうれしいです!