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【短編小説】ある老人の一日 ②
※前の回の内容は、この記事最後のリンクからお読みいただけます。
・・・・・
老人はベッドに腰かけながら、ケースワーカーに言った。
「ケースワーカーの家庭訪問は、急に行くから意味があるんですよ。約束して訪問なんてしたら、本当の生活実態が見られないじゃないですか。」
老人は、煙草に火をつけた。
「病院には行きましたか?」
正木は強い口調で老人に尋ねた。正木は老人の前に立ったまま、部屋の周囲を見回してため息をついた。
「正木さん、あんた若いなあ。何歳や? 前の担当も若かったし、なんで俺らがあんたらみたいな若いやつに指図されなあかんねや?」
「前から言ってるじゃないですか? 酒ばっかり飲んで、ご飯食べてないでしょう? 煙草もやめないし。杉下さんは、市からの福祉で生活してるんですよ。だから僕らは、あなたたちの体調をみなきゃいけないんですよ」
正木は、廊下に散らかった酒瓶やビール缶を手で示しながら言った。
「それに第一、杉下さんの健康状態が心配なんですよ。ヘルパーさんも来てるでしょ? ヘルパーさんも心配してましたよ。だからですね、せめて、健康診断だけでも受けてもらいたいんですよね」
「あれはやな、」老人はあごを周りの酒瓶の方にしゃくりあげながら言った。「前に飲んだやつを捨ててへんからたまってるだけや。毎日はそんな飲んでへん。ビールと、日本酒、たまに焼酎をちょっとやるだけや」
そう言って老人は、黄ばんだ歯の間から煙を吐き出した。
「ちゃんとご飯も食べてますか?」
「食べてる食べてる。近所に将棋仲間がおるんや。その人がいつもコンビニで買ってきてくれるんや」
「そうですか。そやけど、杉下さんも少しは外に出て体動かさんと」
「正木さん、それは大きなお世話っちゅうもんやとちゃいますか? 俺もちゃんと考えてまんねや。生き方も、死に方も自由でっしゃろ」
正木は少し黙り込んだ。部屋は薄暗く、非常に暑かった。ハンカチで額から流れる汗を拭った。、
「杉下さんには、生活改善してもらわなあかんのですよ。ぼくらだって、杉下さんに酒を飲ますために生活費を渡してるわけやないんですよ。もし入院とかってなったら、医療費も全部市が持つことになるんですから」
老人は、口から煙を大きく吐き出した。そして、
「それが本音やな」
と、声を出して笑った。
「あと、このアパート、もう少ししたら取り壊しになることは知ってはりますか?」
「ああ、知ってる。でもな、正木さん。俺らにはここに住む権利っちゅうもんがありまんねん。わかりますやろ。俺はここ出る気はおまへんで」
老人は、ベッドの上で体を半回転させ、後ろの窓を開けた。建て付けが悪いのか、油か何かで窓枠が固まってしまっているのか、窓は少ししか開かなかった。
「そやけど、杉下さんの生活が改善しないようやったら、ちょうどいい機会やし、引っ越してもらうことになりますよ。介護とかがついてる高齢者住宅ってのがあるんで、そちらの方に」
「それは、ええわ。俺はもう新しいとこでなんかよう暮らすことできんからな」
老人は頭の前で手を振った。
「でもね、ぼくらのいうことは聞いてもらわんと困るんですよ。あんまりぼくらの指示に従ってもらえなかったら、保護の廃止も考えなあかんのですからね」
正木の声は自然と大きくなっていた。
老人は、再び煙草に火をつけた。そして言った。
「正木さん、あんたら若い人にはわからんねんやろうなあ。俺らが一体何したっていうんや。ちゃんと働いて生きてきて、頑張って死ぬ思いで働いてきたわ。学がないもんやからできる仕事も限られとったけどもやな、それでも生きてきたんや。悲惨な時代もあったで。それでも、できる時は年金もかけて、家族もこしらえてやって来たんや。それやのに、今のこの年金額はなんや。そんなん、国のせいやないのか? 俺かて、好きであんたらに世話になってるんちゃうんやで。なんも悪いことしとらんのに、なんであんたら若い人らに偉そうに言われなあかんのや? なあ」
「でも、現に福祉がないと生活ができない状態になってはるんで・・・」
正木は、まるで同情する様子もなく老人に言う。
「息子さんからの援助とかがあればいいんですけどもねえ。息子さんとは連絡とれてますか?」
老人は少し黙った。燃える煙草の灰をしばらく見つめた。煙草の灰は次第に長くなり、一定の長さまで行ったところで、音もなく、折れるとも曲がるともどちらでもないような動きで灰皿に落ちた。
「あんたも、ひつこいな」ようやく老人は低い、押し殺したような声で言った。眉はひきつり、頬のしわが細かく震えていた。「息子とは音信不通や。どこにおるかもわからへん。援助なんかあるかいな」
「わかりました」
「何べんおんなじこと言わせるんや。もう帰ってくれ。息子のことはもう二度と口にせんとってくれ」
老人は、言ってちゃぶ台茶をバンっとたたいた。そのはずみで、アルミ製の灰皿が揺れ、溢れていた煙草の吸い殻がボロボロと茶たくの上にみじめにこぼれ落ちた。
③に続きます。
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