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見えるもの、見えないもの

 その日は前々から午後休を取る予定だった。
 特に何をするとも決めてなかったんだけど、もうこの日しか休まれへんな、ということだったのだ。
 というのも、先月の土曜日に休日出勤したので、その代休消化をなければいけなくて、その消化できる期限が迫っていたからだ。

 さて、今日は帰ったら何をしようかな、などと朝のうちから妄想をはびこらせながら、うっかりすると仕事もそこそこに意識は別のところへとさまよっていく始末。
 とはいえ、財布の中身も寂しいもんでこれと言ってやれることもないのが現実なのだけれど。
 久しぶりに帰りに映画館にでもよって、何かいい映画を観て帰ろうかなぁ、とかその程度だ。
 でもやっぱり、とりあえず早く帰って、家でゆっくりと家飲みを楽しみたいというのが一番だ。刺し身と豆腐、そして何か美味しそうな惣菜でも買って、冷たく冷やした美味しい日本酒をきゅっとやるのだ。
 明るいうちから飲み始める幸せといったらなんとも言えないものだものね。

 しかし、こんな時に限って事件は起こるものなのだ。

 スタッフの一人が神妙な顔つきでやってきて、トラブルが起きたことを告げた。

 
 なんと、明日発送予定の郵便物数千通の中身が、一部間違っているかもしれないことが判明したらしい。

 最初は、まあなんとかなるだろうと高をくくっていたのだけれど、スタッフの話を聞くうちになかなかに大変な作業が必要だということがわかってきたのだ。

 封筒はすでに封がされている。
 数千通の中のどれに間違ったものが入っているかわからない。
 しかも、間違ったものが混じっていない可能性もある。
 今日中にすべての封筒を開け、中身を確認し、そして新しい封筒に入れ直さなければならない。

 なるほど。
 なるほどなるほどなるほど・・・

 スタッフの話を聞きながら、さっきまで頭の上に描いていた空想は、まるで煙のように音もなく消えて行くのが目に見えるようだった。

 明るいうちから飲むこの上なき幸せの時間はいずこに、、、

 ま、人生というものは往々にしてこんなことの繰り返しだな。
 いや、ときにぼくの人生にはこんなことが起こる確率が人より高いんじゃないか、とも思ってしまうけれど、そんなこともないんだろうな、きっと。

 他の部署の人たちの手も借りて、結局19時頃にはなんとか帰ることができ、とぼとぼと電車に乗って家路につくことになったのだ。

 こんなことが起こったのは、発注した業者のミスが原因だったわけでこちらのミスではなかったのだから、腹が立って仕方がない。しかも、休み返上で頑張ったにも関わらず、中身の誤った封筒は結局1枚もなかったのだから、すべてはとりこし苦労というか無駄骨だったわけで、余計にムカつくのだ。
 本当であれば、今頃はいいお酒を飲んでいい気分になっていたはずなのに、、、

 
 だけれど、ぼくの今日のような怒りなどほんの小さなもので、極めて個人的なものでしかないのだ。

 今も世の中は差別や偏見で溢れているし、世界では絶えず戦争が繰り返されている。
 世の中は変わりつつあるのかもしれないけれど、それでもやはり血は流れ続けているのだ。

 しかしそのような社会や戦争も、発端は個人的な感情から成長してきたものだったのかもしれない。
 個人的な感情が極まれば、暴力(言葉の暴力も)や事件に発展するし、そういった感情が何かのきっかけで集まって大きな渦にまでなると、思想になり、また国家間の戦争にまでつながることだってありえるのだろう。

 帰り道、ふと周りを見渡せば様々な人たちが歩いているのが見える。彼らは各々の態度で、各々の表情で歩いているけれど、きっと何かを考え、何かの感情を抱きながら歩いているのだろう。
 世界が、地球上が、人々の様々な思いや感情で溢れかえっているのかと思うと、すべての空間が人の感情で埋め尽くされているのかと思うと、なんだかとても怖い気がするし、もしもそれらが目に見える形で存在するとすれば、それはなんと恐ろしい光景になってしまうのだろうかと思う。


 最近、”聴く読書”を始めた。
 通勤の間にイヤホンで聴いている。

 今聴いているのは、中国のSF大作「三体」劉慈欣著だ。一度全作を本で読んだけれど、今度は耳で再読しているわけだ。
 そこに出てくる三体人は、思ったことがすべて相手に伝わるという種族であり、思いを隠すことができないのだ。
 したがって、陰謀や嘘というものは存在しないのだ。

 もしも地球人がそのような能力を持っていれば、世界はどうなっていたのだろう。

 それは想像もできないけれど、、、

 


読んでいただいて、とてもうれしいです!