【短編小説】#わが子 (2/2)



 翌日、病院から出産の日取りが決まったと連絡があった。その夜も夫婦は部屋で寄り添いながら座り込んでいた。ストーブ上のやかんの蓋がカタカタと鳴っている。夫の隣では、結がこたつに入りながら静かに寝息を立てていた。
 出産は明日になった。時間がかかる事があるので、明日の午前中から病院に来てほしいとのことだった。
 二人は黙りこくったまま、じっと結の寝顔を眺めていた。結の傍らには、古びた人形があった。景子はそれを手に取ると、何かを思い出すかのように、そっと人形の髪を撫でた。
 「思うんだけどさ」浩介は言った。「明日、赤ちゃんが生まれたら、その赤ちゃんも一緒に、俺たちみんなで写真を撮らないか」
 景子は浩介の顔を見た。
 「なんてこと言うの?」
 景子は言った。
 「たとえ生きて生まれてこなかったとしても、俺はこの子がいたということを何かに残しておきたいんだ。いや、残してやらないといけないと思うんだ」
 君はどう思う? 彼は彼女の顔を見た。彼女は彼の目を真っ直ぐに見つめ返した。重い沈黙が流れた。長い時間二人はじっと見つめ合った。景子の瞳が絶え間なく震えるよう揺れ続ける。彼は彼女の髪を撫で、その髪に口づけをした。
 「俺たちはいつだって、家族の写真を撮り続けてきたじゃないか。このお腹の子も俺たちの家族じゃないか。そうだろう」
 彼は彼女を抱き寄せた。彼女は夫の胸に頭を押し付けるようにして、そして力なく頷いたのだった。

 翌日の朝、浩介と結は病室で何時間も待ち続けた。景子は陣痛を促す薬の投与を受け、何時間もかけて赤ん坊を産んだ。
 そして、浩介と結の待つ病室に戻ってきた。
 「あかちゃんは?」
 結が母親に尋ねた。
 「あとで看護師さんが連れてきてくれるよ」
 彼女は言った。その表情は疲労と悲哀に満ちていた。景子を真ん中にして、三人はベッドの上に寄り添って座った。
 しばらくして、看護師が生まれたばかりの赤ん坊を連れて病室に入ってきた。看護師は何も言わなかった。景子は看護師から赤ん坊を受け取り、優しくくるむようにして抱きかかえた。赤ん坊は、小さくてとても軽かった。
 「触ってもいい?」
 結が母親に聞いた。母親は戸惑いながら看護師を見た。
 「大丈夫ですよ。感染のリスクはありませんので」
 看護師はそう伝えた。看護師のその言葉は決して悪気があって発せられたのではなかっただろうけれど、その言葉の持つ意味に景子はとても悲しくなった。しかしそれでも彼女は結に微笑みを投げかけた。
 彼らは再びベッドに腰掛け、結は、よしよし、と言いながら赤ん坊のおでこをさすってあげて、母に笑いかけた。赤ん坊は大人しく母の腕に抱かれていた。
 「よし、みんなで写真を撮ろう」
 浩介は言った。携帯電話をセットし、家族みんなで撮影をした。結は、
 「貸してあげるね」
 と言って、人形を赤ん坊の手に持っていった。
 みんな笑顔で写真に収まることができた。
 「一緒に遊びたかったね」
 赤ん坊と結の手を握りながら母は泣いた。涙は頬をつたい、二人の子どもの手の上にぽとぽとと落ちた。結は母の顔を見、母につられるように彼女も顔を崩して泣き出した。父も涙を抑えることができなかった。
 景子は、二人の子どもを抱きしめながら、ごめんね、ごめんね、と謝り続けていた。

 やがて看護師が赤ん坊を別室へ連れて行った。
 その夜は、無理を言って家族で病室で泊まることを許してもらっていた。
 部屋が暗くなると、結はすぐに寝息を立て始めた。しかし夫婦はなかなか寝付くことはできなかった。
 浩介は病室を出ると、自動販売機でお茶を買って戻ってきて彼女の足元に腰掛けた。
「お茶買ってきた」
 彼は言った。
「ありがとう。でも今はいいわ」
 彼女はベッドに横たわったまま言った。
 結が寝返りをうち、何か寝言を口にするのが聞こえた。彼女は結の方に目をやり、そして微笑んだ。それから彼女は仰向けになりじっと天井を見つめた。廊下の明かりがかすかに病室の中に入り込み、その天井をほんのりと照らしている。
 「あのさ」彼女は言った。「さっきみんなで撮った写真なんだけどさ、インスタグラムに載せてもいいかしら?」
 妻の声は鼻が詰まっているせいでくぐもって響いた。
 「あなたが言ったように、私はこの子がいたという証が欲しいの。生きて生まれては来てくれなかったかもしれないけれど、でもあの子もちゃんと命を受けたのよ。私のお腹の中で間違いなく生きていたのよ。私は、あの子がお腹を元気に蹴るのを感じていたし、あの子も私たちの声をずっと聞いていたのよ・・・だから生まれてきてくれてありがとうって、祝福してあげたいの」
 浩介は黙って聞いていた。
 「私たち、いつも家族の写真をみんなに見てもらってたでしょ。この子も家族なんだから、私たちの大切な家族の一員なんだから載せてあげないといけないって思うの」
 「そうだね」浩介は答えた。そして、彼女の隣に寝転んで、一緒に携帯電話の写真を見た。家族四人が笑顔で写っていた。
 「あぁ、もっともっと、愛してあげたかったなぁ」
 彼女はそう呟いた。その目尻から一筋の涙が流れた。
 「大丈夫。これからもいっぱい愛してあげよう。俺たちの大切な家族なんだから」そう言って夫は妻の涙をそっとぬぐった。
 「よし、じゃアップするよ」
 夫は言い、妻は黙ってうなずいた。そうして彼らのインスタグラムに、また新たな写真が一枚加えられたのだった。

#わが子 #私たちの家族

 写真の下には、そうハッシュタグが添えられていた。





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