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表現の往復が欲しい

先日、一般の方が作っているzineの展示販売会に足を運んだ。
色々な方が(主に20~30代)それぞれの興味を、考えを小さな冊子にして売っていた。その場で、自分たちのポッドキャストを文字起こししたものをめちゃかっこいい装丁で出している方たちに出会った。

それぞれ建築や環境などに関わったお仕事やコミュニティで活動されている男性2人組のポッドキャスト。8年ほど前の大学時代からずっと続けているという。

帰宅後即Spotifyで再生し、すっかりファンになってしまった。

各々の仕事や所属するコミュニティでの活動、読んだ本や参加したワークショップ、日常の出来事をぼそぼそと(いい意味で笑)トークしてコミュニケーションをつないでいく。トーンもテンポも内容も、どこか喫茶店や講義室の隅で話しているような、飾っていない素の会話を盗み聞きしている気分。分析的でいて(普段気に留めないものをなぜ?と掘り下げていく)日常の面白い部分を切り取るのがうまい。私の中では何かこう、「生」と絶対つながっているイメージ。。難しいけどとにかくそう。

どこか余裕があって事象を面白がるセンスがあるとも思う。

彼らは公開収録をやったり今回のようなイベントに出展したり、それぞれのコミュニティで体や手を動かして活動していて、こうして私のような人に共感を与える存在となっていて、純粋に憧れというか羨ましい気持ちになる。

なぜ羨ましいのか・・・

考えてみると、私も表現して誰かに共感してもらいたいし、共有したいし、自分の思考だけでは到底たどり着けないものを知りたいし掘り下げたいんだな。

ポッドキャストを聴いて1人うなずいたりにやにやしながらビールを飲むのもすごく楽しいけど、彼らのポッドキャストのように誰かと話し合って、何か1つの答えを導くでもなく、派生する考えをいったん机に並べるようなそんな会話がしたい。それで終わってもいいし、今後の生活に関わる何かを掴めてもいい。

そうだ
表現して一方的に発信するというより
ただ誰かとそういう話がしたい

相手には表現しないと伝わらないから「表現」はしているのだけど
受け手が見えるかつ相手からの表現もかえってくるような
表現の往復的な関係?
を望んでいる。

でも日常の会話も表現の往復ではあるんだよなぁ

となるとただ表現のテーマへ興味があるかないかという違いなのか?


誰が整形したとか不倫したとか
飲み会で暴れていたとか
そんなことはどうだっていいんだ・・・

最近読んだ本や会った人、音楽、お店、食べ物、天気、住んでいる場所、感動したこと、泣いたこと、共感したこと、仕事のこと、、、
もっと話したいしあなたが知りたい
ついでに私の話も聞いてほしい

足りていない。
私にはそういう時間が足りていないんだ。きっと。

noteに書き出してみて気づけた。

表現・・・表現とは、自分の感情や思想・意志などを形として残したり、態度や言語で示したりすることである。また、ある物体や事柄を別の言葉を用いて言い換えることなども表現という。
(引用:wikipedia)

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