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「すずめの戸締まり」駆け抜けた先の、澄み渡る空の彼方で

晴れを祈る廃墟と、雨が降りつつ日差し刺す分かれ道。この二か所を最後の舞台に描き、老若男女問わず見る人に「これからの未来をどう生きるか」を問う。同じ純愛物語であった「君の名は。」のもう一つのメッセージが「過去をどう乗り越えるか」だったのに対し、3年後の本作で新海監督が世界へ伝えたかったのは、そんなメッセージだったのではないでしょうか。
晴れ空が戻ることを祈り、正義を主張してもいい。雨が降る道を走り、個人の意思を貫いてもいい。この映画を賞賛する声・否定する声、いずれも正しくその二つがぶつかることが「天気の子」を作った狙いだったのかもしれません。その愛のある議論の末に生まれる、次の新海作品がどんな映画になるか、今からとても楽しみです。

出典:「『天気の子』未来へ晴れを祈るか、雨を走るか」(ハマダヒデユキ・著)より

その次の新海作品が、ついにキタ。

みなさま、お久しぶりですー!

今回の記事は「コピーは、コーヒー牛乳飲みながら。」インタビュアーではなく、映画ライターのハマダヒデユキとして久々に筆を取らせていただきます。

以前は別のWEBサイトで映画評を執筆しており、昨年末でその活動を終了していました。ですが……それでも、ずっとこの作品だけは書かなければいかんと思っていた映画がありました。

それが11月11日公開の新海誠監督・最新作「すずめの戸締まり」(`22 )

出典:映画.com

なぜこの作品を取り上げたかといえば、自分が書いた最初の映画評が同じ新海誠の「天気の子」(`19)だったから。

3年前のハマダヒデユキが、生まれて始めて書いた記事の〆が冒頭の文なのです。(今思えば我ながら拙い記事書いてんなこのやろい……と思いつつこちら↓もご一読いただければ幸いです)

胃が痛くなりながら書き上げた3年後、果たして愛のある議論の果てに、新海監督は何を生み出してしまったのか。また山手線〇〇しちゃうのか?! 東京の一つや二つ△△しちゃうのか!? 

そんな3年間のモヤモヤへの決着と、また映画評・完結編の意味を込めて筆を取らせていただきました。そして、今回それにふさわしい扉絵を……ということで、かつてご一緒していたイラストレーター・清澤はるかさんにご依頼。

想像を超える素晴らしいイラストをいただけた瞬間、「よし、もう俺の記事はおまけだ。蛇足や」と大変満足できました。ここから長文なので、僕と同じく清澤さんの素晴らしい絵に十分満足いただけた方は、ぜひこのままお帰りくださいませ。

そして「しゃーない、お前の文章にも途中まで付き合ってやるよ」という奇特なあなた様。最高です。深く感謝いたします。それでは3年ぶりに言うぜ……

今から書きあげるよっっ!!!!

※作品のネタバレが多数書かれています。ご覧になってからのスクロールをお勧めいたします。


「天気の子」は失敗だったのか?
新海誠が続編を描かなかった世界の正体

出典:映画.com

宮崎県に住む高校生・岩戸鈴芽はある日、全国にある廃墟をめぐる青年・宗像草太と出会う。彼とともに、廃墟の扉から漏れ出す災いを閉じる鈴芽の旅が始まるのだった……。

というのが、大まかな本作の流れ。

最初の災いの扉を封印していた要石が変身した猫・ダイジンを追い、宮崎から愛媛、神戸、東京へと走る果てしないロードムービーとなっています。

「会ったばかりのイケメンの顔面につられ登校ルートを逆走する」「そのイケメンが音速で椅子になる」などツッコミ要素はありつつも、癖のない爽やかな少女の冒険譚が作中では流れていきます。

そう、今回の新海誠、癖がないのです。え? これじゃあまるで君、まともな映画監督じゃあないかあ……?というほどに。

出典:IMDb

新海作品の魅力といえば、そのハイレベルな作画。日本てこんな綺麗な国だったんだ……と再認識できる細部までこだわったアニメーションが流れつつ、その内容は極めて個人間の物語であることは3年前の記事でも触れています。

例えば「秒速5センチメートル」(`07)では初恋の女性に対する男のドロドロした未練を描いており、その個人の閉じた世界と美しい映像のギャップが彼の作風でした。だからこそ、その独特の作風を好むコアファンに支持される要因にもなったのです。

一方そこから「君の名は。」(`16)の大ヒットを経て、世界中にメッセージを発信しなくなってしまった新海監督。しかしそれでも個人間の物語を描くという軸を「天気の子」で貫いていたことを、当時の証言から窺い知ることができます。

「君の名は。」は全世界で4000万人が見た映画となり、自作はこれまで宮崎駿監督が向き合ってきたような「この時代にどういうメッセージをエンタテイメントで伝えるか」を考えなくてはならなくなった。
そのなかで監督から出てきたキーワードが、「正義ではないことを選ぶ若者の物語」と「ある種の狂った世界でどう生きるのか」だったんです。

出典:日経エンタテイメント2019年8月号より、プロデューサー・川村元気インタビュー

(前作の「君の名は。」は)もともと道徳的に正しい教科書のようなものを作ったつもりはなかったんですけど、それでもこんなに叱られるなら……と、今回はもっとあまのじゃくになってみようと思いました。

出典:月刊ニュータイプ2019年8月号より、新海誠インタビュー

その結果、少年の個人的な選択により、東京が水没するという衝撃的な結末に。賛否両論にはなりつつも、最終的には興収141.9億円を記録。今でこそ「鬼滅の刃 無限列車編」(`20)の400億円突破のインパクトに隠れがちですが、記録的な大ヒット作となりました。

出典:IMDb

だからこそ、この光景から3年後を新海誠がどう描くのか、気になっていたのですが……「すずめの戸締まり」上映中、あるシーンを見て盛大なツッコミを入れたくなりました。

出典:映画.com

と、東京おおおおおおおお!? 
お、お前、無事だったのかああああ!?

そう、本作で鈴芽たちが訪れた東京は水没せず、綺麗さっぱり。

3年前の記事でも触れていますが、「天気の子」では「君の名は。」のキャラも登場しており、連続性のあるパラレルワールドとしても展開しています。しかしこの「すずめの戸締まり」では主人公である帆高や陽菜は一切登場せず、そして彼らがやらかしたあの顛末もない。「天気の子」とは全く繋がりがない作品として完成されたのです。

(公開当時『天気の子』を賞賛した声に対して)でも、後から振り返ってみればなんですが、“一般的には『君の名は。』の方が好まれるかもしれないけれども、自分はこっちが好みだよ”というふうに励まされていた、慰められていたのではという感覚もあるんです。次の作品では、『君の名は。』や『天気の子』よりも好みだとかどうかではなく、問答無用で“面白かった。最高傑作だ。これが観たかった”と言ってもらいたいという気持ちが強くあったんです。

出典:ダーウィン2022年12月号より、新海誠インタビュー

監督のそんな想いが報われたのか、巷では「新海誠 集大成にして最高傑作」「『君の名は。』からの3部作完結篇」と絶賛されている「すずめの戸締まり」。しかし僕はここになんとも言えない違和感を感じてしまいました。

その理由が、これまで様々な映画評を書いてきた中で感じた「一人の映画監督が描きたい事は、常に一貫している」という事実。

出典:IMDb

例えば「シン・エヴァンゲリオン劇場版」('21)庵野秀明監督は、本作で四半世紀に及ぶ壮大な物語に決着をつけました。

この作品の何より素晴らしかった点は、それまで難解で賛否両論だった「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」('97)「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」('12)をも否定しなかった事。全ての作品を内包した一貫性のある自らの内面世界を描き切り、非常にポジティブな終焉を迎える事に成功したのです。

出典:IMDb

そんな自身の世界観を肯定できたからこそ、監督自身が思い入れのある「ウルトラマン」('66)のオマージュである「シン・ウルトラマン」('22)の作風は伸び伸びしたものに。

驚きの映像表現を交えながらも、監督の持つ「俺はこういう映画を作りたいんだ」という躍動感が滲み出て、心地よく鑑賞する事ができました(今回は脚本家としての参加だったゆえ、まだ庵野色は抑え気味。直接メガホンを取る「シン・仮面ライダー」('23)はどうなるのか……非常に楽しみです)。

それに対し、新海誠監督の「すずめの戸締まり」は「もっと叱られたかった」という前作を否定し、多くの観客に「褒められたい」という動機で作られた作品。穿った言い方をしてしまえば、他人の顔色を伺い自身の作風を捨ててしまった……そんな軸の揺れをも感じたのです。

出典:映画.com

「天気の子」は確かに賛否両論で、如何なものかという表現も目立つ映画でした。ですが、周りに流されず個人の選択を尊重するという姿勢には拍手したくもなる作品でした。

「まるでジブリ映画を見ている気分」とも評価されている今作は、興行収入はすでに100億円を突破。見やすくて優等生な映画とも言えますが……本当にこれが正解だったのでしょうか? 前作の否定が、3年間待っていた新海誠作品の続編なのでしょうか? 

ここからは作品内の様々な要素を分析・考察しながら、監督の心の奥に眠る真意を探っていきたいと思います。

場所を悼む旅のモデル。少女の成長譚は、神話の世界と現代小説の融合か

これまでの作品の舞台挨拶で日本各地を転々とする中、“人がいなくなっている風景”が増えているように感じていました。昔は新しい施設や街をつくる時代だったけど、今はその時建てた家が空き家になって、集落としても人が少なくなっていって、いつの間にか消えてしまっている。だから次の作品は、何かを新しくつくる・生み出す話ではなく、“人が消えてしまった場所を悼みながら巡っていく話”にしたいなと思っていました。

出典:週刊少年マガジン・2022年50号より、新海誠インタビュー

まず考察したいのは、そんな廃墟の扉を閉じていく「場所を悼む旅」の裏側について。

二人が最初に出会う場所のモデルとされているのが、宮崎県日南市。一方で禍いが出てくる廃墟のモデルは、豊後森機関庫、湯の鶴温泉、杖立温泉と熊本県と大分県にそれぞれある街並みを複合した場所だと言われています。

出典:wikipedia
出典:映画.com

宮崎・大分・熊本、その三県が面している場所にあるのが、九州最大のパワースポット・高千穂ですここは古事記に綴られている天照大御神がお隠れになった天岩戸神社があり、この場所が主人公・鈴芽の苗字「岩戸」の由来となっているようです(名前そのものは、天照大御神を踊って引っぱり出したアメノウズメより)

天照大御神が聖なる機織屋においでになって、祭りの神具を織らせていらっしゃった時、その服屋の棟に穴をあけ、天の斑馬を尻の方から皮を剥いで落とし入れた時に、服織女がそれを見て驚き、機織具の梭に陰部を突いて死んでしまった。このことを天照大御神は見て恐れ、天の石屋の戸を開き籠ってしまわれた。このために天上世界高天原はまったく暗黒となり、地上世界の葦原中国も真っ暗闇となった。

出典:「新版 古事記  現代語訳付き」(中村啓信・訳注)
出典:wikipedia
出典:映画.com

本来は神が出てくる扉から、地震を起こすミミズが出てくる……というアイデアを新海誠監督は、村上春樹の小説から着想したそうです。

「みみずくんは地底に住んでいます。巨大なみみずです。腹を立てると地震を起こします」とかえるくんは言った。「そして今みみずくんはひどく腹を立てています」
(中略)
脳味噌は眠りの中でねとねとに溶けて、なにかべつのものになってしまいます。実際の話、彼はなにも考えていないのだとぼくは推測します。彼はただ、遠くからやってくる響きやふるえを身体に感じとり、ひとつひとつ吸収し、蓄積しているだけなのだと思います。そしてそれらの多くは何かしらの科学作用によって、憎しみというかたちに置き換えられます。

出典:「はじめての文学」文藝春秋(村上春樹・著)より、「かえるくん、東京を救う」

そう考えると「ミミズが這い出てくる扉を閉め続ける旅」という設定は、古代の神話と現代小説を融合させたものだと推測されます。

さて、鈴芽はその道中で、さまざまな人々と交流し、様々なアイテムを与えられてその街を旅立っていきます。愛媛の千果からは服を、神戸のルミからは帽子を。そんな彼女は東京の草太のアパートで、元の制服姿に戻るのですが、靴のみは草太の靴を借り、終着点の東北へと向かいます。この彼女の変わりゆく姿にも考察する余地がありそうです。

出典:映画.com
出典:映画.com

靴が有名な神、として多くの方が連想するのはギリシア神話のヘルメス(ローマ神話のメルクリウスに相当)でしょう。彼は

・生まれたのが早朝(すずめが鳴く時間)
・靴の他に、翼の生えた帽子と二匹の蛇がからみつく神杖(ダイジンとサダイジン?)を所有
・豊穣と牧畜の神、旅人と交通の神、そして死者を冥府へ送り届ける神

と、どこか鈴芽を連想させる複数の特徴を併せ持っています。

出典:wikipedia

靴、足ということで触れておかなければいけないのが、草太が変身させられた子ども用の椅子。

出典:映画.com

劇場で限定配布された「新海誠本2」によれば、三本ある脚のうちの一本が欠けているのは「震災の象徴であり、鈴芽の心の傷の象徴」「その三本でも立つことも走ることもでき、欠けた心でも生きていける」ことの表現なのだそうです。その椅子=草太が履いてきた靴に足を通すという事は、自身の欠けた心と向き合う覚悟も意味してるのでしょう。

出典:映画.com

「言の葉の庭」(`13)の描写も踏まえると、新海誠監督にとって「足」と「靴」はこだわりのあるファクターだと考えられます。ヘルメス=鈴芽なのかはわかりませんが、旅の最後に「靴」を入手し、ずっと足を向けなかった大地に向かうことにはさらなる意味があるのではないでしょうか。

東日本大震災を描くこと、常世を描くこと。モンシロチョウが意味するもの

さて旅の最後に辿り着く場所が、東北。鉄塔があることから岩手県・宮古市ではないかと言われています。優等生とされる本作で、唯一賛否両論の対象となっているのが「多くの人のトラウマを揺さぶる、東日本大震災を描写したこと」です。

震災から10年以上が経過して、震災の記憶のない若い方たちも増えてきて、われわれの共通体験としての震災がどんどん薄くなっていく焦りのような気持ちがあったんです。

出典:月刊ニュータイプ2023年1月号より、新海誠インタビュー

「君の名は。」ではメタファー的に挑んだこの震災という題材を今回は直接描いたことを、個人的には評価したいと思っています。それは以前、現地を取材し復興がまだ完了していないにも関わらず、風化が進んでいるという声を聞いていたから。

現地に足を運び、まだ復興が終わっていない事実を知る。そのきっかけになるという意味で「すずめの戸締まり」を観ることには大きな意義があると思っています。

そしてこの土地で鈴芽が飛び込む「常世」。この死者の国を連想する世界は、過去の新海誠作品でも多数登場しています。

出典:映画.com
出典:IMDb
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「星を追う子ども」(`11)の地下世界・アガルタ、「雲の向こう、約束の場所」( `04)の蝦夷の塔、「君の名は。」(`16)の黄昏時。もう取り戻せない人が待つ世界へのダイブというのは新海作品共通の大きなテーマのようですが、本作では今までと大きく異なる点があります。

それはその飛び込んだ世界で待っているのは、死者でも未練の対象でもなく、今まだ生きている草太とかつての自分。そして、二匹のモンシロチョウです。

出典:wikipedia

この二匹は、冒頭夢から覚める鈴芽の前でも飛んでおり、作中度々姿を現します。モンシロチョウに代表される白い蝶は、スピリチュアルの世界では再生と変化のシンボルなのだそうです。

白蛇や白い狐に代表されるように、無垢や浄化も意味する白。しかし過去作とは違い、常世には死者や二度と会えない人はおらず、今作の再生は鈴芽自身を意味していることがわかります。

現在公開中の「THE FIRST SLAM DUNK」(`22)「かがみの孤城」(`22)のように、心に深い傷を負った主人公の再生はコロナ禍を経験した僕たちにとって、今最も共感できるコンテンツのテーマだと言えるでしょう。

出典:IMDb

そして、もう一つの再生を示唆する存在が本作では登場しています。要石こと、ダイジンです。

大人になるとは、過去を受け入れること。「すずめの戸締まり」とは今を生き、明日へ走りだす物語

出典:映画.com

ダイジンといえば、途中までは鈴芽たちにとってヴィラン的な役割を担っていますが、終盤に入り「行く先々で扉が開く場所を案内していた存在」だったことが明かされます。そして「鈴芽の子にはなれなかった」という言葉を残し、再び要石となります。

実は新海誠作品では、猫を主役にし監督本人が声を当てている映画があるのです。

出典:映画.com

「彼女と彼女の猫」は1999年に制作され、その後2016年にリメイク。もしダイジン=新海監督という要素があるならば、監督自身も「場所を悼む旅」に同行していたとも解釈できるのではないでしょうか。

遥か彼方の世界へ旅に出る物語は、監督のデビュー作である「ほしのこえ」(`02)から始まっています。

出典:映画.com

もし「場所を悼む旅」=「新海監督が失われた世界を巡る旅」とも捉えることができるならば、監督自身の過去を見つめる旅・受け入れて再生する旅だとも解釈できるのです。そう考えるならば「すずめの戸締まり」で鈴芽が過去の自分を「これからあなたは光の中を生きていく」と励ます姿は、大ヒットとなる「君の名は。」以前の、まだ知る人ぞ知る監督だったかつての自分と過去作へのエールという意味が込められていたのではないでしょうか。

自身の過去に足を向ける。自身の再生を祈る。自身のこれまでの世界を駆け巡る。

「靴」「モンシロチョウ」「猫」そこにそんな意味があるのならば、「東日本大震災を悼む」と別のテーマがこの「すずめの戸締まり」にはあったとは十分に考えられます。

そして以下のインタビューでは、前作のエンディングのタイトルにもなった言葉が何度も登場しています。

今の自分自身や今生きているその場所に、なにか不安を抱えていたとして、周りの人が大丈夫だよって言ってくれることがあると思います。それは嫌な言い方をすると、ただの気休めに聞こえかねない。でも、もし仮に、将来の自分が大丈夫だよって言ってくれたら、それは本当に大丈夫だったってことじゃないですか。なぜなら、今から起こることをすべて経験した自分自身の言葉なんですから。

出典:週刊少年マガジン・2022年50号より、新海誠インタビュー

世界から注目される立場になり、そして3年前とは時代が変わったことから、もう過去のような作品は生み出せないとも語る新海監督。ですが、

出典:映画「すずめの戸締まり」公式YouTube

「君の名は。」は「過去」に戻って乗り越える物語、

「天気の子」は「未来」をどう生きるかを問う物語、

「すずめの戸締まり」は過去を受け入れて、
 未来へ向かう「今」を生きる物語。

 そして「ほしのこえ」から始まった今までのすべてを悼み、
 受け入れる物語。

これまでの作品をそう捉えられるならば。例え水没した東京を描かなくても、帆高たちが出てこなくても、この「すずめの戸締まり」はまごうことなき「天気の子」の続編であり、否定ではなく力強い肯定なのです。

出典:映画「すずめの戸締まり」公式YouTube
出典:映画「すずめの戸締まり」公式YouTube

そしてこの「すずめの戸締まり」を経て、次に生まれる新海誠監督作品がどうなるのか……今からとても楽しみです。

……ということで、この映画評は閉幕! 皆様、長々と書いてしまった一個人の解釈に、最後まで本当にお付き合いいただきありがとうございます。あなたは最高の中の最高です。神です。

さてここから始まる2023年、何が待っているのか見当もつきません。これまでの苦労に見合う祝福なのか。これまで以上の災禍なのか。もし何が待っていてもこの一年を駆け抜けた先に、皆様一人一人に澄み渡る空が広がっていることを祈り、筆を置きたいと思います。

いってらっしゃい。いってきます。


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