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TKfrom凛として時雨 Studio Live for"SAINOU"【感想】

「FantasticMagic」はじまりのライブはいつ以来だろうか。

いつもの鋭く重厚感のあるSEでそれぞれ立ち位置につけば、パンパンに膨れ上がり凍りついた緊迫感を新鋭ミュージシャン5人が同時にそれぞれのスイッチを押して爆発させたように、ライブがはじまった。

今回のサポートメンバーはドラムBOBO、ベース吉田不可解世界一郎、バイオリン佐藤帆乃佳、ピアノちゃんMARI(ゲスの極み乙女。)と本来4〜6月に行われるはずだった「彩脳」ツアーのメンバーだ。(ツアーの一部にピアノ・ちゃんMARIに変わりjizueの片木が参加予定だった)

「FantasticMagic」の全体的な勢力のなかに見える緊迫感の緩急は、画面越しにも関わらず、あのライブの張り詰めた空気が伝わった。

「Kalei de scope」は近年ではösterreichとCö shu nieをゲストに迎え行われたTK企画「Bi-Phase Brain “L side”」で演奏されている。ミラーボールが回り出した瞬間、まるで万華鏡の中に迷い込んだように可憐だった。

エレアコに持ち替えれば、ライブの定番曲。一音ずつ意志がはっきりしつつも繊細なアコースティックギターに毎度惹かれる。ベース吉田の繋ぎの最中、TKがテレキャスターに持ち替え「君に会えた」と囁く。「flower」の蕾から花がふわっと咲いた瞬間のような、奇跡の開放的な展開は気持ちがいい。

これまで3曲はTKがソロ活動をはじめた当初からの古参曲だが、4曲目に今年発売されたばかりの「彩脳」から「インフィクション」を披露。ツアーが延期になってしまったがため、今回がライブ初披露だ。穏やかで、陽だまりのような暖かさだを感じた。

続けて不気味な和音が耳に残る「鶴の仕返し」。米津玄師といい、TKといい、不協和音の使い方が抜群に上手い。
TKに携わったミュージシャンが口を揃えて「TKは耳がいい」という。TKの耳の良さは、音感であったり音の組み合わせ方を意味する。音楽にしろ言葉にしろ絵にしろ、もやもやとした抽象的な脳内を具現化するのは非常に難しい、TKから生み出される音楽はどこか意志の強いメロディなのだと思う。

2017年のビルボード公演あたりから謎の新曲として歌われていた曲「copy light」は3年の時を経て、作詞をピース・又吉直樹の監修により待望の音源化。バンドセットながらも日常的な音楽だ。

静かな曲が続くが、ここで勢いづけに「凡脳」を披露。この曲は「FantasticMagic」に匹敵する激情っぷりだ。
今まで縁の下の力持ちのように裏で支えていたちゃんMARIのピアノが主役に躍り出る。AメロのTKのラップ調のボーカルも見どころだ。

「蝶の飛ぶ水槽」の世界観には完全に飲まれた。ツアーのチケットを取っていたのでこの曲の演出はアニメ「PET」に寄せるのかなどどうなるのかと楽しみにしていたが、照明と音楽だけでもこの一曲で小説を書けそうなくらいに世界観が作り上げられていた。青色の世界はオオルリアゲハか、クロスジアゲハか、はたまた誰かの記憶の海か。

音源でコーラスを担当している鎌野愛の代わりにちゃんMARIが歌う。複雑な曲構成を、追い詰められながらも演奏しきるメンバーのスキルの高さと素晴らしさに脱帽。どの曲もそうだが「蝶の飛ぶ水槽」は群を抜いて難易度が高いと思う。

今日も今日とで「unravel」の当初から変わらないハイクオリティに釘付けになった。何度もライブで聴いても、アコースティックや弾き語りなどどんなに調理されても、間奏の痛烈な音の金切声に苦しめられる。

タイアップ曲が続き、ここで「彩脳」のリードトラックであるTK作詞版「彩脳-TKside-」を披露。こちらは配信バージョンで、アルバム収録バージョンは「彩脳-Suiside-」となっており、東京喰種作者の石田スイ先生が作詞をしている。

激しさは「凡脳」と並ぶが、「彩脳」の方がポップで絵具で描いた虹のような鮮やかさだ。画面越しのライブバージョンは異次元にも程がある、我を保っていなければどこかへ意識が飛ばされそうだ。

アップナンバーは続き、比較的新しい曲ながらもライブの定番曲と人気曲の枠を獲得した「P.S RED I」を披露。キレのあるギターのリフが耳に残り、青と赤の照明が交差し映画・スパイダーマンの世界がこの曲に宿れば、まるでライブ会場のような臨場感に陥る。あのスピードなんて出せないと分かっていても、何故だかあのスピード感で追ってしまう。

「memento」では北欧のグレーな景色が浮かぶ。運河の海風は冷たく、森林は寡黙で穏やかだ。ピアノとバイオリンが語りつつ、だんだんと壮大になっていく。

早くもラスト、「katharsis」のどこかシリアスで丸いピアノの音は、まるで水の中にいるような浮遊感を感じる。ラストにかけての怒涛の展開にはいつも飲まれてしまう。

このご時世、2年前に発売された曲にも関わらず歌詞の「I will miss you」を思わず深読みしてしまう。

最後に「TKでした、ありがとうございました」と一言添えて、TKfrom凛として時雨史上初スタジオ配信ライブが終了した。

感想


ライブが従来のように出来なくなった、行けなくなった今思う。どれだけハイクオリティのライブを見たって、ライブを映画館で見たって、ライブ配信をライブハウスでやったって「満員の客がいるライブに変わるものは無い」ということ。

もちろん配信ライブにもいいところがある。
期間内であれば何度も繰り返し見れる、ブッキングしてもアーカイブで好きなときに見れる、自宅で見れて手軽、現代的なメリットが多い。

ただそんな手軽さゆえ、ライブに行くまでのプロセスが失われている。客としてはライブのチケットを取る、ここまでは配信は一緒だが、休みや予定を調整して、電車や遠征時は新幹線・飛行機・ホテルを予約し、当日になれば物販に並んだりして、ライブが始まる1時間、大きな会場で長い時は3時間も前から会場に入り、緊張感に潰されながらも彼らがステージに出てくるまで待つ、ただ待つのだ。

何より客の存在によって曲が化学反応を起こすのが音楽の醍醐味であって、一生懸命作った曲を画面越しに披露するのは言って終えば音楽番組とは変わりがない。

今音楽を届けられるのは音源化と有料・無料ライブ配信、そしてでたらめな規則を守らなければならないライブだけだ。

彼らの作った音楽に命を吹き込むのも1つの観客の役目だと私は思う。音楽は、目の前でミュージシャンが演奏することで意味を成すものだと思う。だから、どれだけ窮地に立たされても「ライブ」という素晴らしい文化は無くしてはならないと思う。ライブはミュージシャンのためだけでは無い、ライブという非日常は私たちにとって「日常」だった。ライブという日常は、取り戻さなくてはならない。今のため、未来のために。

ぴあ総研の統計では約5800万人分のイベントが中止・延期になったと発表があった。インストアイベントなど小規模なものや未発表のライブを含めれば、それ以上になるだろう。単純計算でも国民の半分が楽しみと生きがいを奪われていることがはっきりと数字が示している。医療従事者が命を救うのならば、音楽は誰かの心を救う。無意味な音楽なんてない。実際、私がそうだ。


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ライブ自体はツアーに向けてリハーサルをしていたこともあり重く緊迫感のあるライブ前の雰囲気から「やっと見せれる」といった心意気を全員から感じた。
単純にツアーを楽しみにしていた私もその心意気が見えて嬉しかった。それより照明、カメラワーク、急遽決まったとは思えないクオリティだ。時雨チーム、さすがとしか言いようが無い。

溶融と凍てり、常時最高潮のパフォーマンスの中に緊迫感の糸がピンと張り詰めたり、溶けたりする。TKがギターを鳴らせば湖が瞬時に凍る、TKが囁けば雪解け水のようにゆるりと穏やかな水が流れる。

TKが魅せる音楽性とTKの持つ人間性の二面性が感じ取れるライブ・セットリストだった。

約8ヶ月ぶりのTKのライブ。メルトとエクスタシーが交差した瞬間、TKの世界に召された。ライブを見ながら気づけば息を止めていたあの日ライブハウスで見たTKfrom凛として時雨を錯覚した。

TKさんへ、ファンのためにありがとうございます、楽しみにしているツアーですが、安全に心置きなくTKさんに会える日がくるまで、チケットは絶対に持って置きます。あなたの音楽に触れれる日がくるまで、生き延びます。また、どこかの会場で、お目にかかれる日が来るまで。



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