見出し画像

morning 2

微かに聞こえるアラームの音。
目を瞑ったまま音の鳴る方へ手を伸ばす。
音楽がなり始めてすぐアラームを止めて、しばらく見慣れた天井を見つめながら今日も思う。
ベッドこんなに広かったっけ、って。
あと5分、いや10分だけ…そんな風に布団の温かさが名残惜しくなる季節は過ぎ去って、ジメジメとした空気の漂う梅雨に入った。
ベランダへ出ると分厚い灰色の雲が空を覆っていて小雨まで降っているし、朝だというのに薄暗い世界を見渡してまるで私の気分みたいだなと思う。


あの日からずっと時が止まったままだ。


本当は今もまだどこかで彼は生きているんではないかと思えるほど、
何事も無かったみたいに世界は回っていく。


「いいにおい…」

そう言いながら寝室から歩いてくる彼の姿を待ち望んで、いつも通り落とす珈琲は毎日1杯分残ったまま冷めきってしまうからそれを飲まずにシンクの中に流しては虚しさでいっぱいになる。
そんな日々を1ヶ月続けた頃、急に馬鹿らしくなって珈琲豆の代わりにインスタントコーヒーを買うようになったし、祖母の形見のコーヒーミルはキッチン下の収納の1番奥にしまった。




「死因はなんですか?」

彼の訃報を聞いて急いで駆けつけた病院の安置所で、すやすや眠るみたいに死んでしまった彼を見つめながら自分でも驚くくらい冷たい声で問いかける。ドラマでやっていたみたいに泣き崩れたりとか名前を呼んだりとかそんなことはなくて、ただ受け入れたくない現実を目の前に突き付けられると人は声も出ないし感情も湧いてこないんだなと冷静に考えていた。

「自死です。」

医者も冷たい声でそう呟くとまだお若いのにお気の毒にと言わんばかりに切なげな表情を浮かべていた。

彼が自殺なんてするとは思えなかった。
あの朝だって何の違和感も無かった。
いつも通りの朝を一緒に過ごしていたじゃないか。
一緒に珈琲を飲んで、朝ごはんを食べて、そんな日常が私達の当たり前になっていたのに。
当たり前なんて本当は存在しないということを痛感させられる。

温度を感じない青白い肌。柔らかかった肉体がじわじわと硬くなっていく。
まるで映画のワンシーンみたいに現実味のない光景を観ながら、いつエンドロールが流れるのだろうかと待ち構えている。
全部演技なんでしょ?嘘だって言ってよ。
ねえ、なんでなんでなんでなんでなんでなんで?


あの朝が最後だって知っていたらもっとちゃんと触れていたのに、

潰れるくらい抱きしめて温もりを感じて
眠たそうに瞬きする瞼にキスを落として、柔らかいその髪に指を通して、
仕事なんて行かないでずっと傍にいたら 。 


傍にいたら…彼はまだ生きていたのかな。
 
なんで死んじゃったの?
私の事1人にするの?
今も1人で悩んでないかな。
1人にしちゃってごめんね。

なんで、気づけなかったんだろう。 
彼の笑顔や優しさに救われるばかりで私は彼に何かしてあげられていたのだろうか。
悲しさよりも後悔ばかりが募っていった。




彼の遺品を整理していた時に、財布の中に心療内科の診察券が入っているのを見つけた。

通院していることすら知らなかったけれど思えば
いつも私の話を聞いてくれるばかりで自分の話はあまりしたがらない人だった。

人一倍明るくて悩みなんてなさそうな彼に私はいつも元気をもらっていたけれど、
そのイメージがまとわりつくせいで誰にも言えない悩みを抱えて苦しんでいたのかもしれない。

しかし予想に反して遺族や彼の友人、誰に聞いても彼にそんな素振りは無かったと言うものだから彼が死んだ理由は遠ざかるばかりで、気がつけば四十九日が過ぎた。
本当の死因は彼しか知らないまま、結局彼はこの世から完全に姿を消してしまった。


何度もあの朝を繰り返しているのに少しずつ朧気になっていく記憶。忘れたくないのにあの日の彼が私の中から離れていくみたいで生きていくのが辛くなる。

何を食べても味がしないし、美味しいって言ってくれる彼がいなくては作りがいもないので趣味だった料理はいつの間にかしなくなった。
あれほどしっかり死んだ彼を見たというのに、彼がまだ生きていると信じたいという私のエゴで週に一度、彼の使っていた部屋を掃除してはまだ同棲しているような錯覚に陥る。

彼の死後明らかに様子が可笑しい私を見て周りからは心配の声が相次ぐけれど、可笑しいのなんて自分が一番よく分かっている。
彼が居ないことが普通になるのが怖いだけ。普通でいる方が壊れてしまいそうなだけだ。





いいなと思ったら応援しよう!